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中毒性のある人になりたい。

 気がつけば新年が始まって5日が経っていた。おせちを食べたくらいで、今年も特に正月らしいことはないもしていない。
 コロナのおかげで親戚と疎遠になりつつあることが何よりも嬉しく思っている。まだ結婚しないのかと聞かれることもないし、お年玉をせがまれることもない。
 そんな僕は今年で30歳になる。20代と30代では何かが違うような気がする。
 よく師匠から「気張るなよ、クソ漏らすぞ」と言われる。僕自身仕事に熱量がある人は苦手だから、仕事でも麻雀でもゴルフでも「よし、やってやるぞ!」と意気込まずに、なるべく自然体でいられるように心掛けてきた。
 それと同時に、「頭を使えるのは生きてる間だけだから頭を休ませるな」という教えも受けている。
 普段は目標なんて立てないが、今年は1日1日を無駄にしないためにも何かを意識して生きていきたい。そう思った。
 常日頃から漠然と中毒性のある人になりたいと思っている。
 冒頭で親族付き合いは面倒臭いとボヤいたから人付き合い嫌いなんだなと思われるかもしれないが、むしろ逆だ。人それぞれ自分だけの物語を持っているからどうしたら面白い話を引き出せるか考えている。
 特に恋愛話は、そこら辺に転がっているドラマや映画よりひと味もふた味も違っていて「え、そんなことあるの?」と新鮮な衝撃を与えてくれる。
だが、変に「彼氏いるの?」とこちらから話題を振ると場合によってはセクハラ扱いされる可能性があるという話を聞いてからは、相手のパーソナルな部分に踏み込むにはそれなりの関係性を築いてからという決め事を自分の中で設けた。
  どうすれば中毒性のある、またこの人と話したいと思われるリピーターを増やせるかはわからない。だが、どういう人が嫌われるかはわかってきた。
 神は細部に宿るという言葉がある。近代建築の巨匠ミース・ファン・デル・ローエの名言であり、いかに細部までこだわるかが作品の本質を決めるという意味だそうだ。
 これは作品だけでなく、人間関係の文脈でも応用ができる哲学だ。いかに相手のことを考えられるか、気配りができるか。何気ない一言で相手を癒すことも傷つけることもできる。言葉には魂が宿るからこそ、扱い方にも注意が必要だ。
 また僕は大雑把で雑な性格だから、ケアレスミスが多い。これで大丈夫だろうと思い込まずに細かいことまで丁寧にやらなくてはいけない。
まあ、いっかという僕の適当さでこれまで多くの人に迷惑を掛けてきた。自分のミスが自分に返ってくるのはいいが、何の罪のない人が被害を受けてしまうことだってある。それで疎遠になってしまった人もいる。
 30歳になる今だからこそ、もう一度自分を見つめ直そうと思う。中毒性のある人になる為には、最低限人に嫌われちゃダメだ。気が利かないとよく言われるからこそ、人一倍人への配慮を意識して生活していこう。

 というわけで遅くなりましたが、あけましておめでとうございます。
 去年の1月からnoteを始めたので、今月でちょうど1年になる。これまで僕のスマホの中に眠ったままだった文章たちが有難いことにたくさんの人に読んでもらえた。
 

 読んでくれた人たち本当にありがとうございます!今年も自分のペースでぼちぼち書いていこうと思います。

 「君がいない世界は、ちょっとだけ物足りない。」の続編も近々投稿する予定です(待っている人がいるかどうかわからないけど…)。
 最後はなんか宣伝みたいになっちゃったけど、神は細部に宿るという言葉を胸に刻んで日々を過ごそうと思っています。こんな僕で良かったら応援して貰えると嬉しいです。


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