HSPの断れないを考える|考えるHSP⑤

「断る」って大事。
「断らない」って大事。

HSPがグループにいて、その人の同調性がうまく回っている時って本当にまわりも巻き込んでうまく回っている(摩擦がすくない)と思える。

HSPって見てわかるもんではないから、目に見えてわかるものでないけど。

そのグループの「みんなの平等」を3歩先くらいまでよくみてるなと思う。

自信もってHSPのみなさまと思う。(目に見えないから誰に褒められるわけでもないし、ほめられても大したことないと思いがちだけど、つまり、HSPってそもそも縁の下の力持ちで地味なんだな)

HSS型HSPの私は、別の言葉で言うと新規探索傾向が平均の日本人より高いと思える。新規探索傾向は海外の人で特化した人が目立つから、その人たちをレベル5マックスとすると、私はレベル3くらい。日本人はレベル0(その地に生まれてその地に死ぬとか)からレベル1くらいがほとんどじゃないなと思う。自分の意思で環境を変えようとするより、致し方なく変わる環境に適応する人、外的要因で変更される要因も海外に比べてくないから、例え合理的な変化でも変化を嫌う傾向は強いだろう、特に田舎。

「正当」な理由が大きいと断りやすい。
それでも幼少期の過敏性から頭真っ白になりやすかった時は、乗りや空気で断れなかったことが多いけど。

「「正当」な理由」とは公序良俗に反するが近いかな。法律行為無効だけど。例えば暴行為愛人、不倫差別いじめ一方的に誰かが不利益な内容になるものって感じかな。

HSPの平和主義は本当に好き。

が、①断るにも「言語化」能力が必要だった。言葉にできないと断る理由が言えない自分に非を感じて、「わがまま」に断ってる気分を味わい後味が悪い。断れなかった後で、なんか違った、気分悪いなど後悔がくる。
または、②苦し紛れに断って、正しいのに状況がや空気が攻めてくるなんか不調和音起きているような感じを醸し出してしまう。

「断る」って結構堂々とサラッとバシッと断らないと意味ない。オドオドしてると「非」が断れない人の方にその場の空気感で罪を着せられることもあると思っている(心理学でなんか立証もされてたな)。

私のHSPあるある過去談である。

つまり、HSPにとって「断る」とは最上位高等スキルとも言える。

1)誘われた時に、即時の判断が必要
(遅考を得意とするHSPにはきつい)
2)返答に、言語化が追いつかない
(なんで、どうして?とか相手が強引だとなおきつい)

が、これに毎度断れないままだと、知能境界の子達が犯罪に巻き込まれる工程と同じ道筋をたどる。というか断れない、判断できないは一種の生きる「障害」につながると思う。

だから、「断れてる」HSPえらいぞ!と私は言いたい。
苦しく、後味悪くても断れてることで私たちは「病気」と言う括りの一歩を抜け出せているのである。

ま、理想を言うと「え?なんで参加しないの?」と聞かれ、
「え?なんとなく」
「気分が乗らないから」
とか自分の気持ちを第一優先した回答で気持ちよく断りたいものなのだがね。(ちなみにアメリカ圏はごく普通にこうゆう回答でお断りは至極スタンダードらしい。HSPだからではなくお国柄の性格も追い風のように生きづらくさせてるかもね)

次に「断らない」も大事について
先に書いたように、私は新規探索傾向が強め、自分でリサーチして楽しむ限界を友達の誘いという道の扉から知れるのは得だと思っている。

そんな私でも、その昔、「行くー!」と軽い乗りでいったのはいいが、約束当日に近づくほど、億劫になってどん、ずん落ちを毎度していた。

これも私のHSPあるある過去談である。

今振り返れば、至極当然で「週末渋谷行こー」とか学生プランは雑である。
なにが起こるかと言うと
・人混みに疲れる
・行くまでに疲れる
・どこ行くかに疲れる
・疲れているのに会話するのに疲れる
・ご飯食べるとこの選定につかれる
・おいしくないとイラつく
・イラついて相手との沈黙に気を遣ってつかれる
・解散した後、楽しかったかな???と一人反省会が止まらない。
若いからしょうがないけど、過去に戻って私に言えることがあるなら。。。

バカなの?HSPって言葉なかったからしょうがないけど、バカなの?私?

と言いたいし、バカだったと思う。
と言うのももうちょい賢く生きないと私の苦しみは解消されないからだ。
HSPの生きづらさはHSPというだけではなく
・リテラシーの低さ
・メタ認知の低さ
・おばか
がある。と思う。

リテラシー|特定の分野における知識やスキル
遊びに行くにも、その日何するかは決めて行け!
・おいしいお店を決める・調べる
・イベントなのか、散歩なのか
メタ認知の低さ|自分の現状を俯瞰できず、自分のレベルやスキルも把握できない状態
仮想の普通を作り出し、それに合わそうとしてデスマーチ行き
おばか|毎度そうなるのに、改善できず、エンドレスだった若かりし私、ばかー

HSPはまわりと自分の差異というか異常性には敏感に反応してしまうのに、
自分が相手やまわりとあってないという違和感に異常に気づきづらい。

ま、おかげで「病気」扱いされてないとも言えるんですがね。
(もちろん、こっから鬱とかノイローゼとか認知の歪みが進んで「迷惑人」「障害」でね?、みたいな状況には陥る人もいるけど、HSP自体が病気じゃないから、一時的状況として「治る」とされているんだろうね。)

最終形態は、アーティスト・デートとして、私は私との今までしたかったデートを楽しんでいる。おひとりさまデートである。

ま、ここに行くまで、とわいえ「誰かとなになにしたい!」という願望の強いインナーかまってちゃんの対処に溺れた。おひとり様を満喫してても、ここに誰か一緒にいてお茶できたらな〜美術館一緒にまわるひといたらな〜とかとか。

対処法01
美術好きな人という繋がりだけで誰かと行く(今やdating APPは彼氏を作る目的を排除したらHSPには神である、それ以外のお誘いは断るルールなどを先に徹底すれば、断るという行為も苦ではない。ただ、襲われるかもという恐怖があるうちはやめて欲しい。断れない人いるだろうから)
対処法02
自分をとびきりケアしてあげる
実はとびっきりのオシャレをするのが恥ずかしかった。今も模索中だけど、素敵な場所で素敵な格好をして、自分の興味のあるものをみるのは、隣にカップルがいても全然羨ましくなくなった(ま、場所によるけど)。
こんなに楽しいところに他人と行くなんて集中できないじゃん!
そう、楽しさを知ってしまうと他人で邪魔なのである。

そんなこんなで私は私との生き方を楽しみ始めているのだけれど。

本日やっちまった。

最近、ゴルフをはじめ最強の師匠(近所のおじいちゃん)に練習をみてもらっているのだけど、、、雪降った。田舎の−5度の雪はやばい。

が、脳内で、今日のゴルフレッスンをして午後ダラダラするは私の最強プランとか言って自分を暗示かけるように鼓舞していたもので。。。

師匠から電話がかかってくる。「今日雪だけど、大丈夫」「大丈夫です!」

ばかー!私ばかー!80歳のおじいちゃんがわざわざ電話かけてきてるんだから、ここは相手が「危険」かもとかけてきてくれるんだから、スマートなのは「今日は大事をとって練習は次回にしましょう」が正解だったのに。

なんで「大丈夫です!」って言ったー!ばかー!となった。

が、なんにも考えていない私の胸は「ざわつき」ちょっと考えて、外にでて雪をみて、今まだ小降りだから行けるとまだ希望をもって、いた。
(ばかーばかーと今は思う。)

冷静に考えた結果
今よくても昼頃には雪かき必須に積もるであろうとiphoneから予測される
じいじからわざわざ電話がかかってきているほど
仮に大丈夫だったとしても、なにかあった方のリスクがじいじには高い

5分後、折り返してお断りを入れた。
まだ、出発してなくてよかった。

私の回答が遅れることで、じいじが雪の中出発してたら、後悔と申し訳なさが止まらなかった。

これがHSP。そしてこれが最上位高等スキル「断る」の難しさ。

どんなに分析し、鼻高く気に抜けられるようになってもやってくるのが、こうゆう日常。

懺悔も反省もできたから、午後はだらだら過ごすぞ、
今日も今日とて私を褒めて、
えらいぞ、私。

みなさんも素敵な午後を

HSPの記事にいいねいただけたら、ますますHSP研究したいと思います。まだ新しい分野なので。正直生きるのに本業で精一杯なので、みなさまのサポートがあれば追求大いにがんばります。