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「英語がすき」ヒストリー(1)高校生時代-それは短波ラジオから始まった

1980年、四国は香川西部の農村に生まれた私の周りに、英語が話せる人はほぼいなかった。それが、大学で英語の学科に入り、米国の大学院に留学もして、学会発表や論文も英語で書き、クリスチャンになった今は英語で礼拝する教会で奉仕している、という自分が存在することになった。

私の英語は今でも勉強中のものだし欠けがいっぱいあるけれども、私の親は「どうしてこんな息子が生まれたのか」と不思議がっている。ふと思い立ったわけでもないが、どなたかの参考になれば、あるいはせめてお茶の御供になればと思い、何回かに分けて私の「英語が好き」な人生の歴史を書いてみたいと思う。

写真は、下記の記事「ラジオがあったからこそ今の自分があるーきょうは民放ラジオの日—」にて使ったのと同じもの。1996年頃、私が高校生だった時にお年玉をはたいて買った。当時は、SONY製のMADE IN JAPANな短波ラジオがまだ市場にあって、この機種は裏側にカセッㇳレコーダーまでついていた。

高校生の時、私はアマチュア無線部にいた。父がハムだったからその影響だったのである。部員は私一人。アマチュア無線雑誌を読んでいると、その付属の話題として短波放送に関する話題が載っていた。「短波放送」とは、遠方まで届く周波数帯を用いて国外に放送を行うこと。日本でもNHKがNHK WORLD RADIO JAPANという名称で実施している。

これで英語を聞くというのは、私にとっては衝撃であった。イギリスの公共放送BBC(British Broadcasting Cooporation),米国の海外向け国営放送VOA (Voice of America)などを聞くと、内容がほとんど分からなかった。公文式で小学校5年ぐらいの時から英語はかじっていたし、中学校でも勉強できていたから、少しは内容を聞き取れると思ったが甘かった。ちょうどそのころ進学先を考える時期になり、どうせなら英語がもっとわかるようになって世界観を広げたい、と思い英語の学科に入ることになる。大学時代の話は次回にゆずる。

この出会いがあったからこそ今でも私は英語に対する欲求が止まらないのである。短波放送は今ではほとんど聞かなくなってしまったが、ストリーミングで英語のラジオを聴いたり、配信サービスhuluでBBC NEWSを観たりはしている。明らかに話の幅と深さが日本のメディアとは違う、と思わされる毎日である。 

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