宮崎康支

うどん県生まれ、関西在住歴10年くらい、在米歴1年。2021年4月より再び関西在住。障…

宮崎康支

うどん県生まれ、関西在住歴10年くらい、在米歴1年。2021年4月より再び関西在住。障害者福祉に関心がある言語学者(徒)です。知的でわかりやすい文章を目指します。 研究者としてのページ:  https://researchmap.jp/myzkyss

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note再開、私の自己同一性について(自己紹介に代えて)

noteを再開します。 2年前にアカウントをいただきましたが、あっという間に運休になってしまいました。気負うと続かないそうです。こういうものは。それでも、書かないと忘れるし、生きた証を伝えらえない…。ここでは短くても支離滅裂でも(たぶん)いいから書いてみようと思いました。 2年前に下記の記事を書いていますが、その時とは自分との向き合い方も随分変わっています。なので、その一端をここに書くことで、自己紹介に代えることにしました。 https://note.com/myzky

    • 必死に?楽しめば点数も賞もついてきてくれる、と思いたいTOEICの話

      2月、日本でTOEICを実施している団体から、2度の郵便を受け取った。どうして受け取ったかというと、英語の4技能分の試験を受けたからである。 日本では、TOEICというとListening and Reading Testのことを指すことが多い。990点満点の、あの試験である。しかし、実はこれと別に400点満点のSpeaking and Writing Testsというのもあって(Speaking Testもある)、これらを合わせて受けると4技能が測れるということになってい

      • あきらめることと、「対比誤差」と闘うこと―鈴木秀子著『あきらめよう、あきらめよう』を読んで―

        先週、香川の実家に用事と休養を兼ねて帰っていた。実家には「積読」にしてある本がたくさんある(今の居所にもたくさんあるけど)。そのうちの一冊を手に取り、帰りの高速バスの中で一気に読んだ。 鈴木秀子さんのお書きになった『あきらめよう、あきらめよう 不安、イライラ、怒り、終着を消すヒント』(2020年、アスコム刊)がそれ。肩書には「聖心会シスター」とあるが、大学で教鞭をとられていたこともあるという。 「あきらめる」には、二つの表記があって「諦める」と「明らめる」だという。前者は

        • 「英語がすき」ヒストリー(1)高校生時代-それは短波ラジオから始まった

          1980年、四国は香川西部の農村に生まれた私の周りに、英語が話せる人はほぼいなかった。それが、大学で英語の学科に入り、米国の大学院に留学もして、学会発表や論文も英語で書き、クリスチャンになった今は英語で礼拝する教会で奉仕している、という自分が存在することになった。 私の英語は今でも勉強中のものだし欠けがいっぱいあるけれども、私の親は「どうしてこんな息子が生まれたのか」と不思議がっている。ふと思い立ったわけでもないが、どなたかの参考になれば、あるいはせめてお茶の御供になればと

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        • 必死に?楽しめば点数も賞もついてきてくれる、と思いたいTOEICの話

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          私は過去の奴隷ではないのですから…。

          「私は過去の奴隷ではないのですから・・。」 2週間ほど前にある人と話をしていた時に、私はふとそう言った。 私に昔の苦い経験を引きずり出す癖があって、それが原因で、 「あの時頼んだら断られたから、また誰かに頼んだら断られるかもしれない。」 「あの時こうしていなければ、いまごろもっと充実した人生だったろうに。」 そんな思いが脳裏をよぎることがあった。 それに勝ちたくて、私は冒頭のことを言ったのであった。 「出る杭は打たれる」経験も多かった。私ははた目には消極的な人間に

          私は過去の奴隷ではないのですから…。

          10月15日、日本社会福祉学会出席のため日帰りで東京へ。朝4時起床で6時台新神戸発の新幹線に乗り、10時に目的地着。即日帰宅。日帰り東京行きは初めてだったが本当にできるものだと実感。 学会では闊達にポスター発表ができ、充実した時間を送れた。

          10月15日、日本社会福祉学会出席のため日帰りで東京へ。朝4時起床で6時台新神戸発の新幹線に乗り、10時に目的地着。即日帰宅。日帰り東京行きは初めてだったが本当にできるものだと実感。 学会では闊達にポスター発表ができ、充実した時間を送れた。

          発達障害者は〇〇の仕事が向いている、という物言いについて

          その昔、視覚障害者の人はマッサージ師になれ、と言われていた時代があったらしいが、特定の障害のある人に特定の仕事を押し付けるロジックは日本においては残念ながら健在らしい。 発達障害者に向いている仕事、なんて検索をかけるといくつかの記事が出てくるが、「対人関係が向かない」と決めつけているような記事が多い。しかし、対人関係が苦手、などというのはとんでもないステレオタイプである。コミュニケーションとは相互行為だから、相手との関係を相互理解のもとに構築しさえすれば良き対人関係の構築は

          発達障害者は〇〇の仕事が向いている、という物言いについて

          この支配からの卒業

          世の中には、過去の出来事や、人から言われたことに縛り付けられて苦しんでいる人は多い。かくいう私もその一人である。 私の生まれて育ったところは四国の農村部で、なにかと均質的圧力が強かった。小学校では1学年でも上の学生には敬語を使え、と教えられた。中学校を卒業すると高校に行くのは当たり前、高校卒業後の進路が決まっていないと人間の屑、だと思わされてきた。20代で結婚しているのが当たり前だった。人間とはそういうもので、そうでない人は異常者だと頭のどこかで思っていたのかもしれない。だ

          この支配からの卒業

          居住地の裏山。雨が止んだ後、湯気が立っているように見える。 多すぎると被害になるが、雨というのはある意味では恵みだ。

          居住地の裏山。雨が止んだ後、湯気が立っているように見える。 多すぎると被害になるが、雨というのはある意味では恵みだ。

          コンパクトデジタルカメラを侮るなかれ。

          先日、父が使っていたコンパクトデジタルカメラを、実家から送ってもらった。十年前くらいのモデルらしい。 今や、スマートフォンのカメラが高性能になったので、コンパクトデジタルカメラはほとんど店頭で見かけなくなった。先日、某家電量販店に行って問い合わせると、「デジタルカメラは、ほとんど一眼レフのものが主流になって、コンパクトデジタルカメラ、ましてや電池式なんてありませんよ。」と言われた。 しかし、コンパクトデジタルカメラにも利点はあると思っている。時に電池式だと、やむなく充電が

          コンパクトデジタルカメラを侮るなかれ。

          青春のメロディシリーズ「Swinging Popsicle」

          人には誰しも「青春時代の思い出のメロディ」があるかと思う。私にとってその最たるもの一つにSwinging Popsicleという日本のバンドの歌がある。 ファーストアルバムが発売されたのは1998年、当時の私は不登校を経て高校を留年して、通信制高校に編入した高校生だった。当時の私は今の百倍以上不器用で、CDを買って音楽にのめりこむのが最大の楽しみだった。その中でも、当時流行していた「ギタ―ポップ」と呼ばれる音楽が好みで、このバンドもその一つに数えられていた。 香川の農村部

          青春のメロディシリーズ「Swinging Popsicle」

          大歩危 吉野川くだり

          大歩危 吉野川くだり

          Friendshipって? つきあいが壊れた話

          「困ったら連絡ちょうだいね」 といった感じでフレンドリーに話してれる人がいる。しかし、何に困っても助けてくれるかというと話は別。 先日、精神的に参ったことがあり、その件である人にLINEを送ったら困惑され、私がその返答にまた困惑したので私が返答を送ると、その人は、「専門機関に連絡してください。距離を置きます。遠くから応援しています。」と返ってきた。 その人は大学時代から20年以上の付き合いだったので、私はショックを受けて苦しんだ。しかし、私にも反省するところがあって、心理

          Friendshipって? つきあいが壊れた話

          ラジオがあったからこそ今の自分があるーきょうは民放ラジオの日—

          ラジオがあったからこそ、今の自分があります。 きょうは、「民放ラジオの日」であると、とある番組で聴きました。「3月3日」が「み(3)み(3)の日」というごろ合わせから来ているそう。 今はラジオなんて聴いたことがないとか、存在すら知らない人がいるとか、いろいろ言われていますが、私の在り方のいくらかはラジオにきっかけをもらったものです。 ひとつは、クリスチャンとしての自分。 私は中学生時代に入学祝でaiwaのミニコンポ(懐かしい響き!)を買ってもらって、なんとなくの興味で早

          ラジオがあったからこそ今の自分があるーきょうは民放ラジオの日—

          たぶん梅、の写真です。所属先大学より。

          たぶん梅、の写真です。所属先大学より。

          のびやかになろう

          大学教育に関わっていると、 「いまの学生は何も言わないんですよ。授業でも発言しないし手も挙げないし…」 といった嘆きの声を聞くことが多い(もちろん一概には言えない)。 もどかしい思いをすることは私にもある。 しかし、考えなければならないこともある。 「この学生さんたちも好きで、そういうふうになったわけではないだろう」と。 私はいまの小・中・高校の事情につき「先生も忙しくてギスギスしていて、生徒にもプレッシャーがかかって…。」と聞くことは多くなった。 それらを振り

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