宮崎康支

うどん県生まれ、関西在住歴10年くらい、在米歴1年。2021年4月より再び関西在住。障…

宮崎康支

うどん県生まれ、関西在住歴10年くらい、在米歴1年。2021年4月より再び関西在住。障害者福祉に関心がある言語学者(徒)です。知的でわかりやすい文章を目指します。 研究者としてのページ:  https://researchmap.jp/myzkyss

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note再開、私の自己同一性について(自己紹介に代えて)

noteを再開します。 2年前にアカウントをいただきましたが、あっという間に運休になってしまいました。気負うと続かないそうです。こういうものは。それでも、書かないと忘れるし、生きた証を伝えらえない…。ここでは短くても支離滅裂でも(たぶん)いいから書いてみようと思いました。 2年前に下記の記事を書いていますが、その時とは自分との向き合い方も随分変わっています。なので、その一端をここに書くことで、自己紹介に代えることにしました。 https://note.com/myzky

    • 1年は短い…、のか?

      私は米国に1年間留学していた。2008年から2009年までのことである。1年間の在米歴がある、ということになる。 先日、ある人から「あなた、アメリカに住んでいたんでしょ?」と訊かれ、「ええ、1年ほど…」と答えると、「たったの一年?」と返された。この人はカナダに数十年住んでいた人らしいので、単純計算すれば滞在年数はその数十分の一。そう思っても無理はない。それでも、「たったの…?」と言われると引っかかる。 数年前、ある人と英語論文執筆について話をしていたら、「(留学期間が)一

      • 「英語が好き」ヒストリー前史 高校1,2年生時代の英語の先生のこと

        2023年10月、私が英語好きになったきっかけについて書いた。このシリーズがこれ1回きりで止まっていて、読者の皆様には申し訳ない気持ちでいるが、お付き合いいただければ幸い。 下記は、その記事。 ふと、「それ以前はどうだったっけ?」と思い出すことが最近あった。私が郷里の香川の田舎で高校1,2年生だった時、私がお世話になった英語の先生には、あまりよい思い出がなかったことに気づいた。 1年生の時、担任の先生が英語の先生だった。優秀な先生だったのだろう、近いうちにスコットランド

        • 情報源の違いと都知事選

          昨日、高齢化が進んでいる神戸の某団地の話をしていて、「70代の高齢者の方々の娯楽って何でしょうね?」と私が聞くと、「圧倒的にテレビですよ。」とある人が言った。 その会話がひょんなことからこの度の東京都知事選の話に飛んで、若い人々の間でSNSで情報が広まり何人かの人の街頭演説にとてつもない数の人が押し寄せている、という話になった。 その二つが繋がり、都知事選は一体どうなるのかと訳が分からなくなった。ご高齢の方々にとっての娯楽の主流と言われているテレビに都知事選の話があまり出

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        note再開、私の自己同一性について(自己紹介に代えて)

          日本語教師養成講座最後の日

          今日、あることの最後の日です。 今日、2023年7月から受け始めた日本語教師養成講座の最後の日です。 博士号を持っても仕事の幅が限られていて苦闘してきた中で、「仕事の幅を広げたい」と思い受講してきた日本語教師養成講座。 思えば、学問的にも人格的にも新しい気づきがたくさんあり、苦しいときもありながらの有意義な一年でした。 最初の半年は「基礎理論」という座学でした。言語学を大学院でやってきましたが、違った視点で学ぶことができました。過去に書いた記事のようなこんな気づきも。

          日本語教師養成講座最後の日

          必死に?楽しめば点数も賞もついてきてくれる、と思いたいTOEICの話

          2月、日本でTOEICを実施している団体から、2度の郵便を受け取った。どうして受け取ったかというと、英語の4技能分の試験を受けたからである。 日本では、TOEICというとListening and Reading Testのことを指すことが多い。990点満点の、あの試験である。しかし、実はこれと別に400点満点のSpeaking and Writing Testsというのもあって(Speaking Testもある)、これらを合わせて受けると4技能が測れるということになってい

          必死に?楽しめば点数も賞もついてきてくれる、と思いたいTOEICの話

          あきらめることと、「対比誤差」と闘うこと―鈴木秀子著『あきらめよう、あきらめよう』を読んで―

          先週、香川の実家に用事と休養を兼ねて帰っていた。実家には「積読」にしてある本がたくさんある(今の居所にもたくさんあるけど)。そのうちの一冊を手に取り、帰りの高速バスの中で一気に読んだ。 鈴木秀子さんのお書きになった『あきらめよう、あきらめよう 不安、イライラ、怒り、終着を消すヒント』(2020年、アスコム刊)がそれ。肩書には「聖心会シスター」とあるが、大学で教鞭をとられていたこともあるという。 「あきらめる」には、二つの表記があって「諦める」と「明らめる」だという。前者は

          あきらめることと、「対比誤差」と闘うこと―鈴木秀子著『あきらめよう、あきらめよう』を読んで―

          「英語がすき」ヒストリー(1)高校生時代-それは短波ラジオから始まった

          1980年、四国は香川西部の農村に生まれた私の周りに、英語が話せる人はほぼいなかった。それが、大学で英語の学科に入り、米国の大学院に留学もして、学会発表や論文も英語で書き、クリスチャンになった今は英語で礼拝する教会で奉仕している、という自分が存在することになった。 私の英語は今でも勉強中のものだし欠けがいっぱいあるけれども、私の親は「どうしてこんな息子が生まれたのか」と不思議がっている。ふと思い立ったわけでもないが、どなたかの参考になれば、あるいはせめてお茶の御供になればと

          「英語がすき」ヒストリー(1)高校生時代-それは短波ラジオから始まった

          私は過去の奴隷ではないのですから…。

          「私は過去の奴隷ではないのですから・・。」 2週間ほど前にある人と話をしていた時に、私はふとそう言った。 私に昔の苦い経験を引きずり出す癖があって、それが原因で、 「あの時頼んだら断られたから、また誰かに頼んだら断られるかもしれない。」 「あの時こうしていなければ、いまごろもっと充実した人生だったろうに。」 そんな思いが脳裏をよぎることがあった。 それに勝ちたくて、私は冒頭のことを言ったのであった。 「出る杭は打たれる」経験も多かった。私ははた目には消極的な人間に

          私は過去の奴隷ではないのですから…。

          10月15日、日本社会福祉学会出席のため日帰りで東京へ。朝4時起床で6時台新神戸発の新幹線に乗り、10時に目的地着。即日帰宅。日帰り東京行きは初めてだったが本当にできるものだと実感。 学会では闊達にポスター発表ができ、充実した時間を送れた。

          10月15日、日本社会福祉学会出席のため日帰りで東京へ。朝4時起床で6時台新神戸発の新幹線に乗り、10時に目的地着。即日帰宅。日帰り東京行きは初めてだったが本当にできるものだと実感。 学会では闊達にポスター発表ができ、充実した時間を送れた。

          発達障害者は〇〇の仕事が向いている、という物言いについて

          その昔、視覚障害者の人はマッサージ師になれ、と言われていた時代があったらしいが、特定の障害のある人に特定の仕事を押し付けるロジックは日本においては残念ながら健在らしい。 発達障害者に向いている仕事、なんて検索をかけるといくつかの記事が出てくるが、「対人関係が向かない」と決めつけているような記事が多い。しかし、対人関係が苦手、などというのはとんでもないステレオタイプである。コミュニケーションとは相互行為だから、相手との関係を相互理解のもとに構築しさえすれば良き対人関係の構築は

          発達障害者は〇〇の仕事が向いている、という物言いについて

          この支配からの卒業

          世の中には、過去の出来事や、人から言われたことに縛り付けられて苦しんでいる人は多い。かくいう私もその一人である。 私の生まれて育ったところは四国の農村部で、なにかと均質的圧力が強かった。小学校では1学年でも上の学生には敬語を使え、と教えられた。中学校を卒業すると高校に行くのは当たり前、高校卒業後の進路が決まっていないと人間の屑、だと思わされてきた。20代で結婚しているのが当たり前だった。人間とはそういうもので、そうでない人は異常者だと頭のどこかで思っていたのかもしれない。だ

          この支配からの卒業

          居住地の裏山。雨が止んだ後、湯気が立っているように見える。 多すぎると被害になるが、雨というのはある意味では恵みだ。

          居住地の裏山。雨が止んだ後、湯気が立っているように見える。 多すぎると被害になるが、雨というのはある意味では恵みだ。

          コンパクトデジタルカメラを侮るなかれ。

          先日、父が使っていたコンパクトデジタルカメラを、実家から送ってもらった。十年前くらいのモデルらしい。 今や、スマートフォンのカメラが高性能になったので、コンパクトデジタルカメラはほとんど店頭で見かけなくなった。先日、某家電量販店に行って問い合わせると、「デジタルカメラは、ほとんど一眼レフのものが主流になって、コンパクトデジタルカメラ、ましてや電池式なんてありませんよ。」と言われた。 しかし、コンパクトデジタルカメラにも利点はあると思っている。時に電池式だと、やむなく充電が

          コンパクトデジタルカメラを侮るなかれ。

          青春のメロディシリーズ「Swinging Popsicle」

          人には誰しも「青春時代の思い出のメロディ」があるかと思う。私にとってその最たるもの一つにSwinging Popsicleという日本のバンドの歌がある。 ファーストアルバムが発売されたのは1998年、当時の私は不登校を経て高校を留年して、通信制高校に編入した高校生だった。当時の私は今の百倍以上不器用で、CDを買って音楽にのめりこむのが最大の楽しみだった。その中でも、当時流行していた「ギタ―ポップ」と呼ばれる音楽が好みで、このバンドもその一つに数えられていた。 香川の農村部

          青春のメロディシリーズ「Swinging Popsicle」

          大歩危 吉野川くだり

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