『天気の子』とセカイ系、そしてその先へ
こんにちは、こんばんは、はじめまして!
あたしは錐洲美雨奈といいます!保田塾という同人サークルで文章を書いているインターネット女子小学生です。
この度はツイッターでさわりを貼ったツイートが好評だったので、ちょっと調子に乗ってnoteにしてみちゃいました!
読者の皆さんにおきましては「なんで女子小学生なのにゼロ年代やセカイ系に詳しいんだ?」と思われるかもしれないですが、それはインターネット女子小学生だからです!!(強引)
では、みなさまインターネット女子小学生の美雨奈を愛でつつ、記事を楽しんでください!
★セカイ系ってなに?
地上波で初放映されたばかりの今、インターネットSNSをちょっと眺めれば天気の子の感想がたくさん流れてきます。
そして、その多くに"セカイ系"という言葉が使われています。
このセカイ系というのはいわゆるゼロ年代、2000年~2009年の間において非常に流行った概念で、ゼロ年代を代表する言葉の一つです。
セカイ系という言葉はゼロ年代に生きたのオタクにとってはよく知った言葉ですが(あたしはインターネット女子小学生ですよ!)、それ以降にオタクになった人やそもそも今もオタクでない人にとっては耳慣れないものでしょう。
感想を書くのにみんながなんでわざわざこのよくわからない単語を使っているんだ、と憤る方もいると思います。
ただ、ゼロ年代に生きた人間として、この天気の子という作品は完全にセカイ系の文脈にあるもので、みんなが口にするのは嫌でも理解できます。
また作者性という視点から見てもセカイ系という言葉はこの作品を理解するためにはとても重要で、なぜなら"新海誠監督はゼロ年代にセカイ系の旗手として脚光を浴びて世間に登場した"からなのです。
そもそも新海誠の作品を語るにおいて、その出自であるセカイ系の影は嫌でもつきまとうものなのです。
ですので、ここからは"セカイ系"についてピンとこない皆さんに、このインターネット女子小学生の錐洲美雨奈がですね、セカイ系についての説明、そしてこの作品がセカイ系の文脈の中でどう位置付けられるのか、ということについて述べたいと思います。
専門家ではありませんが当時を生きた人間として空気をお伝えしたく一生懸命書くので、温かい目で最後まで読んでくれたら嬉しいです!
その前に一つだけ注意です!
セカイ系について説明するにあたって、ゼロ年代に大人気だった天気の子のバックボーンとなるいくつかの作品のネタバレを含む可能性があります。
もちろんあたしとしても、出来るだけ核心は避けるように努力しますが、ネタバレが絶対嫌という方はこの記事を閉じるか、急いで以下に挙げる作品を読んでからあたしのこの記事の続きを読んでくださいね!
天気の子とセカイ系については気になるけど過去のセカイ系は読まなくていいやと思う人や、作品既読の人は気にせずに読み進めてください。
<ネタバレを大きく含むもしくは作品のイメージが伝わってしまうであろう作品一覧▶︎一般にセカイ系三大作品と呼ばれる、新海誠『ほしのこえ』、秋山瑞人『イリヤの空、UFOの夏』、高橋しん『最終兵器彼女』。そしてセカイ系の源流となった作品である、GAINAX→庵野秀明『新世紀エヴァンゲリオン』>
★セカイ系の定義
セカイ系という言葉の定義はゼロ年代においてたくさん生まれ、また語られてきました。
その中で最も有名な定義はおそらく『動物的なポストモダン』(この本で提唱されているデータベース消費という概念は、出版から時を経た現代においても非常に参考になります)でオタク言論の最前線に立った批評家の東浩紀を中心とした編集部が出版した『波状言論 美少女ゲームの臨界点』に記載されていた
『主人公(ぼく)とヒロイン(きみ)を中心とした小さな関係性(「きみとぼく」)の問題が、具体的な中間項を挟むことなく、「世界の危機」「この世の終わり」などといった抽象的な大問題に直結する作品群のこと』
というものでしょうか。
これはゼロ年代当時の人間にはわかりやすくて素晴らしい言い回しなんですけども、ちょっとゼロ年代以外にはわかりにくいかもしれません。
あたしなりのセカイ系という言葉をこの定義を始めとした当時の言説を念頭に置きつつとっても乱暴に定義してみると、
『世界を守ることができる特別な戦う力を持っている女の子が、世界の危機において恋い慕う相手である主人公を含む世界を守るために、謎の存在と犠牲となって戦う話』
という感じになります。もうこの時点で天気の子感ありますよね。
そもそも、セカイ系という言葉はポスト・エヴァンゲリオン作品を語る中で登場しました。
エヴァンゲリオンは端的に言ってしまうと『世界を守ることができる能力を持つ14歳の子どもたちが、世界を守るために自らの命を賭けて謎の存在と戦う話』なんですね。
しかし、これまでの少年少女が世界を守る話とどう違うかというのがちょっとわかりにくいと思います。
エヴァンゲリオン以前に存在した少女が世界を守る話として、武内直子『美少女戦士セーラームーン』を例に挙げましょう。
セーラームーンがエヴァやポスト・エヴァであるセカイ系とどう違うかというと、一つに強制性が挙げられます。
美少女戦士セーラームーン(ここでは主にアニメ無印について言及します)はダークキングダムと呼ばれる敵と戦うわけですが、そこではルナやアルテミスと呼ばれるパートナーはいますが、彼女たちを強制的に戦闘に駆り立てる存在はありません。
一方、エヴァンゲリオンにおいてはNERF、ほしのこえにおいては国連宇宙軍、イリヤの空においては米軍、最終兵器彼女においては自衛隊が、それぞれ能力を持った子供たちを徴兵などによって強制的に戦いに駆り出すのです。大人が特別な能力を持った子供を戦わせるのです。
(『ぼくらの』や『ファフナー』もその文脈を共有していることがおわかりでしょう。もっと言えば『ガンダムSEED』も)
そして、セカイ系と呼ばれる三大作品においては、ほしのこえのミカコ、イリヤの空の伊里野、最終兵器彼女のちせ。その全てで能力を持った子供が女の子なのです。そして、その女の子たちは、好きになった男の子(三大作品において男の子は特別な力を持ちません)との日常を戦いや侵略によって失いながら、世界を守るために戦うのです。
セカイ系以前の作品であるセーラームーンにおいては、男女の関係はタキシード仮面とセーラームーンの二人の関係を覗いて、もちろんスポット的な演出や恋バナという形で登場することはありますが、恋愛模様は大きくはクローズアップされません。
またタキシード仮面はセーラームーンとともに戦場に立つ、特別な能力を持った男の子です。セカイ系の源流であるエヴァンゲリオンにおいても、主人公のシンジくんは特別な能力を持った男の子です。
ちなみに、おおよそセカイ系の作品では、子供たちが戦う相手は具体性を持ちません。
よくわからないけれど、ヒロインたちが負けてしまえばセカイは滅んでしまう、そういう説明しかなされないこともあります。
あたし的にはその曖昧さが、漢字で『世界系』と書くのではなく、カタカナの『セカイ系』と表記させた原因だと思っています。
このセカイの敵については後の天気の子との比較で大事な意味を持つので、ぜひ覚えていてください。
更に、完全ネタバレになるので具体的な作品名は挙げませんが、だいたいのセカイ系はビターな終わり方をします。
好きな男の子を守ろうとして、セカイを守ろうとして、女の子は死んでしまう。もしくは男の子と決定的な決別をするのです。
そして、男の子は無力さに打ちひしがれる。それがセカイ系のオーソドックスなパターンなのです。
これを踏まえて、先程のセカイ系の定義に少しだけ付け加えると『セカイを守る特別な力を持った女の子が、大人の組織によってセカイを守るために謎の敵と強制的に戦わされて、自分の好きな男の子と彼が生きるセカイを守ろうとして犠牲になる話』となるでしょうか。
実はセカイ系ムーブメントが横溢するゼロ年代に登場し大ブームを巻き起こした谷川流『涼宮ハルヒの憂鬱』もセカイ系文脈の作品です。
本筋とは離れるのでここでは深く触れませんが、関係性によって世界を律するストーリーはアンチセカイ系と言えましょうか。
(波状言論の定義における、セカイときみとぼくの関係が密接している部分は多くのセカイ系で見られるものですが、意図的にあたしの定義からは省略しています。なぜならセカイ系の別側面に着目しているからです。しかしながらハルヒにおいてセカイ系/アンチ世界系を論じるのに援用しているのは、波状言論的な定義が主体となるものです)
★天気の子とセカイ系
さて、ようやくここで天気の子とセカイ系の話に戻りましょう。
天気の子のストーリーラインを、セカイ系文脈になぞらえて要約すると、『セカイを守る特別な能力を持った女の子が、セカイと好きな男の子を守るために能力を使い強制的に犠牲となるが、男の子の努力によって、セカイを守るのを放棄して男の子と幸せになる話』なんです!!!!!!!!!!
そう、セカイ系作品というのは、基本的に能力を持った少女が大事な人とセカイを守るために、自分が死んでしまい恋が成就しない話なんです。
でも、天気の子は、そうならないんですね。
セカイが変わってもいい!!!!!!!!!
陽菜の方が大事なんです!!!!!!!!!!!!
もうその時点ですごい!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
つまりこの『天気の子』という作品はですね、ポスト・セカイ系なんですよ!!!!!!!!!!!
女の子がセカイを守る選択をしてきたのがセカイ系。
セカイなんかより君が大事だ、と特別な能力を持たなかったはずの男の子がセカイを否定して女の子を手放さないポスト・セカイ系!
そう、セカイ系の一歩先をいくのですよね。
ていうかですね!あのですね!"セカイの敵"の設定が絶妙なんですよ!
敵ではなく逆らいようのない神様である。そして負けても人類が滅びるわけではなく雨が降り続くだけだけ。
しかも、この天変地異は昔からあったことで今始まったわけじゃない。
すぐに皆が死ぬわけでもない、誰が悪いわけでもない。強制してくる組織もない。
これだけのお膳立てがあるからこそ、ようやくセカイじゃなく女の子を選べたわけですよ!!!!!!!!この丁寧さ!!!!!!!!!!!
ですが、天気の子ではセカイの軽さばかりを強調していたわけでもありません。
晴れ女の仕事を通して晴れることによって幸せを感じている人達を何人も出し、ほぼ自明にも思える晴れと幸せをイコールで明白に結ぶことによって、陽菜さんがセカイを選ぶ正当性にしたわけですね。
須賀さんが言う「一人の犠牲~」っていうのはまさにそれです。特に須賀さんの娘である萌花ちゃんなんて、雨だと喘息で大変に困るわけですから。
勿論、帆高もそのことを理解しています。
というか、今までに多くのセカイ系の作品が、結末にセカイを守ることを選んだのは伊達じゃないんですね。
セカイを守るならヒト一人の命は軽いという思想で、多くの作品で子供たちは犠牲になっていきました。
帆高だって、三年後にその重さを痛感していたことでわかるように、知ってるんです。
セカイの重さを。
でもそれでも、萌花ちゃんのことを知ってても、晴れで喜ぶ人たちを見てきても、晴れの方が天気としては好きだと自分が思っていても、それでも陽菜さんを選んだんです。
帆高!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
すごいぞ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
今までのセカイ系作品では主人公は、セカイの危機に関してただひたすら無力な傍観者でした。
そして、それは数々のセカイ系を見てきたあたしのような、ゼロ年代の亡霊や生霊たちにとっての共通認識でもありました。これも本筋から離れるので、また簡単に述べますが、作中において無力な傍観者である主人公とは、つまりはあたしたち読者のことでもあったのです。
ですが、従来のセカイ系作品では無力な傍観者であった主人公というポジションに立つ帆高は、陽菜さんが一度犠牲になっても愚直なまでの暴走でそれを打破し、陽菜さんを取り戻したのです!
何もできないままヒロインに守られるだけだった主人公が、セカイである空の神様に挑み無力さを吹き飛ばしたのです!!!!!!!!
この展開を映画館ではじめて見たとき、あたしは本当に驚きました。
前作の『君の名は。』がハッピーエンド……トゥルーエンドのほうが適切かもしれませんが、を迎えて希望のある結末を大いに期待できたとはいえセカイ系のテンプレ的な進行の中では、幸せな終わり方には正直なところ期待はどんどん低減していたことは否めませんでした。おそらく、ラブホテルで警察に踏み込まれたあたりでは信じる気持ちは六割くらいにまで衰えていたと思います。
しかーし!
そこからの補高のセカイ系文脈を大いに逸脱する主人公っぷりで、夏実さんのバイクに乗った瞬間にこれは絶対行ける!と思い!
そして!そして!陽菜さんを助けて!!!!!!!!!
再会っ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
HAPPY! END!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
はあ、もう最高でした。インターネット女子小学生人生で最高の視聴体験でした!涙も出すらしませんでしたね。
エンディングテーマの大丈夫がかかった瞬間にもう号泣ですよ、映画館の中に雨が降り始めました。そう、あたしの目から。……って結局涙出てるんじゃん!あたし!
まあそんなことはどうでもよいのです!
帆高と陽菜さんがまた会えてよかった。本当によかったです。
セカイ系という呪いを打破した帆高と陽菜さんに幸いあれ!!!!!!
ふたりとも一生幸せでいてください!!!!!!!!!!
★おわりに
というわけで、最後は駆け足な上にテンションがどっか行っちゃってましたが、皆がこの作品に対してセカイ系と言う言葉を使った意味、そしてゼロ年代の呪いに縛られていたあたしみたいなオタクたちが天気の子に沸き立った理由が伝わったんじゃないかなと思います。
これからセカイ系について以外にも、天気の子の考察をTwitterやこのnoteで繰り広げていきたいと思うので、よかったらぜひTwitterやnoteをフォローしてくださいね!お願いします!
次回は天気の子のリアリティについて、もしくは監督新海誠の前作である『君の名は。』との比較です!ぜひ楽しみにしててくださいね!
大事なことなのでもう一回言いますけど、ぜひTwitterだけでもフォローしてくだされば嬉しいです!
インターネット女子小学生たるあたしの私生活の話もしています!
例えば給食に何が出たとか、体育で跳び箱が跳べなかったとかですね!
よろしくお願いします!
以上、インターネット女子小学生の錐洲美雨奈でした!じゃあね!ばいばい!
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