映画『ARGYLLE/アーガイル』二つの存在から選ぶ"本当の自分"とは
※途中、映画の内容に触れている箇所があります。
3月1日より、映画『ARGYLLE/アーガイル』が公開されている。
凄腕エージェントが活躍する人気小説「アーガイル」の作者エリー・コンウェイ。彼女の書く内容が実在するスパイ組織の活動とことごとく一致してしまったことから、危機を救ってくれたスパイのエイダンとともに逃亡する物語である。
列車アクションやガンアクションなど、鮮烈なパフォーマンスが目をひく本映画。戦闘シーンでは音楽やカラー、アクションに混じったコミカルな動きが巧みに使われ、THE・エンタメというのがぴったりな作品であった。
本映画でずっと問われていたのは、"本当の自分とは?"ということである。この問いかけの表現が、とても面白かった。
交差する二つの世界
スパイ活動の予言者となってしまったことで、実際のスパイ組織から追われる身となったいち小説家のエリー。スパイらと顔を合わせるようになってから、現実の世界と小説の中の世界という二つの世界が発生し、交差するようになる。余談だが、アーガイルといえば頭に浮かぶのが「アーガイル柄」。線が交差して構成された模様であるため、ストーリーと掛かっているのでは……(ちなみに列車のシーンでは、ちょっと夢女子的な気分が味わえる)。
話を戻すと、二つ存在するのは世界だけではない。小説に登場するエージェントのアーガイルとスパイのエイダンがオーバーラップし始めるなど、徐々にエリーの中に二つの個人が見えてくるようになるのだ。そして、最初こそスパイという共通点によりアーガイルとエイダンが重なっていたが、ストーリーが進むにつれ、次第にアーガイルとエリー自身がオーバーラップするようになる。
この二つあるという演出は、エリーの心の揺れを表していたのではないだろうか。加えて、序盤のエイダンは殺しを恐れる一般的な常識を持ったエリーにあまり共感を示さない。これは、現実と空想の世界など、二つのものの境界線をよりはっきりと区別する意味を担っているのだと捉えられる。
二つの存在が意味するものとは
また、世界や個人だけでなく、環境も二つ存在する。エリーは愛猫家であり、唯一の家族というほど大切にしている猫のアルフィーがいる。アルフィーという名前を名乗る者は実はもうひとりいて、それがエイダンの仲間である中年男性・アルフィーなのである。
ここでいう環境は、家族というコミュニティを指す。つまり猫のアルフィーは、小説家のエリーとしての家族という環境。そして、人間のアルフィーは、もうひとりのエリーとしてのファミリーを表しているのだ。
本映画に限ったことではないが、スパイは本来、嘘をつくのが仕事である。このことから、本当の自分と偽りの自分、二つの自分が混在することがわかる。これまでの二つの存在は、それらを視覚化するための表現なのである。
本当の自分を見つけるということは、もうひとりの自分とは決別するということ。自分のことを知らなかろうが、他人の方が自分のことを知っていようが関係ない。本映画では、"本当の自分とは?"という問いをすると同時に、"本当の自分は自分で選ぶものだ"ということを実直に伝えているのだ。
さて、ここで気になるのは、エリー自身がなにを選ぶのか、問いの答えとは、である。ぜひ劇場で確かめてみてほしい。
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