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昭和の路上駄菓子/カルメ焼き

 「僕の昭和スケッチ」55枚目

55カルメ焼き

<画/もりおゆう 原画/水彩 サイズF5>

あなたは、町でカルメ焼きのオジさんを見た事がありますか?

子供の頃、学校の帰りにカルメ焼きが来ていると思わず立ち止まってオジさんの技に見入って、「カルメ焼きが来てるよ〜」とクラスメイトを呼んだものです。オジさんは小学校の通学路や公園の脇などに座っていました。

ご存知の方もいらっしゃると思いますが、これが普通の駄菓子と大きく違うのは参加型の駄菓子イベントだったという事です。

つまり、ザラメをおシャモのような器具に入れて、自分で焼くのです。撹拌していると程なく膨らんで来るのですが、オジさんのように綺麗なまん丸ふっくらとは中々いきません。大抵はいびつな形になってしまうのです。

しかし、食べてみると失敗作であっても味はまずまず。甘くて美味しいのです。ただ、何と言っても材料はザラメだけですので、どうしてもただ甘いだけの単調な味です。だから、子供達も有り体に言ってすぐに飽きてしまうのです。

そして、オジさんは子ども達が飽きたなと言う頃合いを良く知っていて、気がつくといなくなっています。つまり、オジさんは隣の町に移動するのです。そうして、又しばらくするとやって来る。すると、又もや子ども達が取り囲み商売繁盛となるわけです。その繰り返し(笑)。

しかし、次第にオジさんの姿は町角から見かけなくなりました。
衛生面が取沙汰される時代になっていきましたから…そんな事もあったのでしょうか。

以上、今回は参加型の駄菓子「カルメ焼き」についてでした😊


*ちなみにカルメ焼きの語源はポルトガル語の「甘いもの」(caramelo)。カルメ焼きの値段は年度によって変わって行きますが、僕らの子供の頃は1個5円から10円だったように思います。僕はずっと長い間カルメ焼きを何故か「カルメン焼き」と思っていました。

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