お客であることと、お友だちであることの区別
私は、友だちは少ない方だ。
広く浅く付き合える人もいると思うが、
私は信頼できる人と、じっくり付き合う方が好き。
人間関係、そんなに得意でもないのかもしれない。
でも、これから、歳をとっていくとき、友だちと呼べる人が、いるといいなあと思う。
数年前、あるところで知り合ったマッサージ師(便宜上そうしておこう)さんがいて、何故か彼女は私を気に入ってくれたみたいな感じだった。
好意をあらわにされると、弱い。しかも、心も身体も弱っている時だ。優しくされると弱い。
当時、弱っていた私は、好意をあらわにされることに負けて、個人開業している彼女のマッサージを時々受けることにした。
が、どうしても心の片隅に、彼女に対して、信じきれないものがいつもつきまとっていた。
お客さんだから、そんなに褒めてくれるのよね。
お客さんだから、そんなに持ち上げてくれるのよね。
お客さんだから、好意を示してくれるのよね。
もしかして金づるみたいに思ってるんじゃないか。
生粋の商売人でやり手の彼女にしたら、当然の振る舞いだったのだろうけれど、私は疑いつつも、時々、彼女のふるまう好意に触れたくなって、そこまで彼女の提供するマッサージを気にいったわけでもないのに、月一くらい、ふらっと通った。
でも、人として少し尊敬も信頼もしていたのにな。
時々、ランチに行ったり、お出かけにつきあったり、お友だち付き合い、みたいなこともした。
楽しくないことはなかったけど、彼女のことが好きかと聞かれると、微妙だった。
私も自分の信念に反して、お客様であることをある意味利用して、彼女と付き合っていたのかもしれない。
段々、違和感が膨らんだ。彼女もそれを感じたのか、それはわからないけれど、、、。
彼女のマッサージは段々形を変えていった。
いろんな器具を、使うようになった。
私は人の手で触れて欲しかった。器具を使うとあまり後がよくない。
器具はちょっと好まないことを伝えていたのに、
一度一方的に「これ、した方がいいよ」といわれ、その勢いに断れなかった。プラス500円。と請求もされた。知らないうちにマッサージの値段も上がっていた。
私はお客に対しては、値段が変わることは始める前に説明するのが礼儀ではないかと思う。器具を使うことを押し付けるようにされたことも嫌だった。それをいえなかった。
友だちなら言えるのかも知れないけど、私は私の承認欲求を満たしたくて、そこに行った、その後ろめたさがあったから、言えなかったのだ。
お客と友だちとの境界線がなくなったような、なあなあにされていることは嫌だった。お客さんとしてちゃんと扱ってもらえないなら、きたくなかった。
彼女のマッサージも、体に合わなくなったことが、段々わかってきて、もう、この人にマッサージをお願いすることはやめようと思った。
そして、私は彼女との疑問符のつく関係性を続けてきたことに、自分が情けなくなった。
相手をそう好きでもなかった、
マッサージの技術を気に入ったわけでもなかった、ただ、承認欲求を一時味わいたかった、そのために続けてきた、半分偽りのお友達ごった。
そんなことをしてきた自分が、情けなかった。嫌になった。
愛情がなかったわけではないのが、なんとも、複雑で。
こんな、嫌な思いはもうしたくない。
大切な友だちと、お客の立場はきっちり分けよう。
本当に好きな人と時間を過ごそう。
これからは。
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