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泥沼料理教室 第3話

妻の浮気が確定して一週間経った。

どうするべきか決めかねている。妻の態度は以前と変わらない。普段通りに見えるが、実際距離を詰めると、はっきりと拒絶するようになった。

それでも夕食の食卓には結構豪華な料理が並ぶようになった。ハンパーク、鶏の照り焼き、シチュー…… ふと気が付いたが、味付けが以前より濃くなったことだ。これは料理教室に通っているおかげか。これらの料理が俺のために作ってくれたことを考えると、複雑な気持ちになって悩む。忙しくて家を空けがちになっていたのは事実だし、きっと寂しい思いをさせてしまっていたに違いない。三橋と関係を持っている妻は断じて許せないが、もしかするとそんなきっかけを与えてしまった俺にも原因があるかもしれない。俺がちゃんと妻のことをもっと構っていればこんな事にならなかったのではないか? そんな気持ちにさせる程、妻の様子は甲斐甲斐しく感じた。ベッドでの拒否っぷりは相変わらずだが…… しかし、味付けが変わったせいか、食べると胸やけがしたり、軽く戻すようになった。戻してしまうのは、せっかく料理を作ってくれた妻にあまりに失礼だと思い黙っていた。

ある日、妻が出かけて行った時インスタントラーメンを作ろうと台所に立った。普段はめったに台所など立たないが、見たこともない白い粉、細かい結晶体が、塩と砂糖に並んで瓶に入っていた。塩とも砂糖とも違うようだ。気になって手のひらに少し取って舐めてみた。苦い。何だこれは…… 調味料とも思えない。まさか、毒薬? いや、さすがにそれはないだろう。しかし気になる。瓶の中の粉を小さなビニール袋に入れ、興信所の人に聞いてみた。
白い粉の正体はあっさり分かった。ホウ酸だという。

学生時代の理科の時間になじみがある薬品だ。何のために、とつぶやいたら、俺に対する明確な殺意だと言った。殺意? 俺を殺そうとしてるのか? しかしホウ酸なんかで人を殺せるものなのだろうか。調べてみると、ホウ酸は結構な劇薬らしい。普通に流通しているものは毒性を弱めてはいるが、純度が高いと人を殺すことも可能だと言うことだ。素人が手に入れられるホウ酸はもちろん純度が低いものだ。おそらくドラッグストアで買ったのだろう。料理の味付けがいきなり濃くなったことも合点がいく。もはや怒りを通り越して、失望と悲しみで心がいっぱいになってしまった。俺は親友に連絡を入れ、居酒屋に呼び出した。不覚にも泣いてしまった。殺されかけたことへの憤りよりも、そうまでして三橋と一緒になりたいか、と言う情けなさと、裏切られたことへの悲しみとで、親友の顔を見るなり涙が止まらなくなってしまった。

親友は一通り俺の話を黙って聞いていると、俺に弁護士を立てることを薦め、すぐに家を出るように言われた。翌日ひとまず医者に行き、事情を説明し、診断書を書いてもらった。会社には親が倒れたということでまとまった休みを急遽もらい、妻が自宅を空けるタイミングを見計らって私物を持ちだした。とりあえず住んでいる所とは違う沿線のビジネスホテルを取り、落ち着いた。次第に絶望感から立ち直り、怒りが込み上げてきた。親友に紹介された弁護士に全部ぶちまけた。弁護士の見立てでは、立派な殺人未遂でもあり、その告訴を視野に入れてまずは向こうの出方を見ましょう、となった。まずは三橋の野郎から血祭りにあげてやる。

弁護士が三橋の職場に出向き、俺が待機しているファミレスに連れてきた。俺からは一切言葉を発することなく、弁護士が全部話をした。浮気の物証を全部抑えていること、妻が俺にホウ酸入りの料理を食べさせていること、そしてそれに関して、三橋に殺人の教唆の嫌疑がかけられていることを淡々と説明し、民事と刑事両方で三橋を起訴する旨を伝えた。三橋は顔を真っ赤にして否定をした。そもそも三橋にモーションをかけたのは妻だということ。三橋は妻と一緒になる気などさらさらないこと、もう二度と妻と連絡を取らないし会わない。そして料理教室もやめるということだ。まあ、俺としてはもう別にどうでもいい話だ。妻がコイツとくっついた所でどうでもいい。そして、刑事告訴だけは勘弁して欲しい、と泣きながら土下座を始めた。実は三橋の実家は市会議員で、こんなスキャンダルは絶対に許されない。ボンボンである三橋は、生活を実家に依存していた。弁護士は、慰謝料を相当額支払ってもらう、期限内に支払いが無い場合は警察に告訴する旨を告げ、三橋から一筆取って家に帰した。金額は、えぐい金額なのでここではやめておくが、浮気には相当高い代償が伴うということ忘れてはいけない。

さて、次は妻をきっちりカタにはめなければならない。

まずは日曜日、あえて約束をせずに妻の実家に弁護士と共に押し掛け、事情を洗いざらい話した。義母は非常に優しい人で、俺は嫌いではなかった。弁護士の淡々とした説明を聞きながら、義母は泣き崩れてしまった。義父はそのまま、畳に額を押し付けて土下座をした。家屋敷を売り払ってでも、お詫びをしたいと言った。そりゃそうだ、浮気どころか殺人未遂だ。まだ現役の会社員で、そこそこの地位にいる。こんなことが明るみになれば自分の立場何て軽く吹っ飛ぶ。弁護士は、今日そのまま、妻の所に行って話をしてしまいたいと言うと、協力すると約束した。

義父は妻に電話を入れると、大事な話があるので、今から向かう旨を伝えた。妻は待っているとのことだった。

全てのお膳立ては整った。俺たちは、四人で、俺の自宅だったマンションに向かった。

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