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#8 アジア旅3カ国目「カンボジア王国(プノンペン)」

アジア旅 3カ国目 カンボジア🇰🇭(プノンペン編)
現在の正式名称は「カンボジア王国」

スースダイ(こんにちは)
私たちは、カンボジアの首都でかつ最大都市のプノンペンと観光地として有名なシェムリアップを訪れました。全く違った都市なので、気づきをそれぞれ書いていこうと思います。

プノンペンを訪れて思ったのは「ほぼ中国」「中国企業と現地住民の乖離」「今なお多くの傷痕を残す衝撃的な歴史」

① ほぼ中国
プノンペンに着いて、一番最初に感じたこと、それは「中国語表記が多すぎる」ということでした。プノンペンに建ち並ぶビルには必ず中国〇〇銀行、中国〇〇有限公司、中国〇〇集団という表記がありました。それは中国企業がバンバン投資している証拠で、私が不動産を買うならプノンペンは候補値の一つです。使える通貨はドルとリエル(現地通貨)ではありますが、プノンペン経済はほぼ中国が担っているのではないかと思いました。10年後にまた来たら、景色がガラッと変わっていそう。

② 中国企業と現地住民の乖離
私たちは、プノンペンに着いてから近くのショッピングモールに入りました。ここも言わずもがな中国系企業で、高級ビジネスホテルも隣接されていました。しかし、中に入ってみると…誰もいない……。レストランにも、ゲームコーナーにも、スーパーにすら人が殆どいないのです。
ここからは私の仮定ですが、中国企業の投資に対して、現地の需要が全く追いついていないと思いました。カンボジアは後発開発途上国であり、国民一人当たり年間GDPは1,080ドル程度と世界平均水準の10%にも満たっていません。現地住民からは、中国企業が続々と進出し、中国人がどんどん来ていると聞きました。これは恐らく中国一帯一路計画の一部なのでしょう。正直言って、その勢いに身震いしました。

③ 今なお多くの傷痕を残す衝撃的な歴史
カンボジアと聞いて、ポルポト政権のイメージが浮かぶ方も多いでしょう。

簡潔に説明すると、
ポルポト政権は1975年〜1979年にカンボジアを支配し、恐怖政治・独裁政治を敷きました。独裁者ポルポトは”平等な共産主義社会”を目指し、古代的な農業社会を築き上げようとして、ポルポト政権は知識や能力のある者、富を持つ者、政権に反対する者などを標的にして拷問・処刑しました。当時800万人いた人口の推定150万〜300万人が残虐な方法で殺害され、4年間でカンボジアの人口が3分の1まで減少してしまったのです。

カンボジア大虐殺は、今もなおカンボジア社会に大きな傷痕を残しています。例えば、人口が1,500万人ととても少ないこと、先生の殆どが処刑されたために教育が自国だけでは再建不可能であること、ポルポト政権が好んだ地雷が今もなお現地住民へ恐怖を与えていることなどが挙げられます。

正直言ってプノンペンはインスタ映えの観光地には向かないでしょう。でも、カンボジア国民が命をかけてポルポト政権と闘った記録、虐殺博物館やキリングフィールドがあります。非常に重い内容ですが、一度訪れてみてはいかがでしょうか。

ここまで読んでくれてありがとうございます、最後に一つだけ…

GrabTukTukを利用した時に、ドライバーのお兄さんが日本に感謝していると言ってました。何故かというとカンボジア再建のために色んな支援をしてくれたから、カンボジア国民は日本人が大好きだよと言ってくれました。道中には、JICAのプロジェクトで建てられた学校がありました。私を含む多くの日本人はこの事実を知らなかったと思います。世界平和を望む一人として、私たち人類が起こしてしまった過ちを繰り返さないためにも、こういう事実を発信していきたいと再度決意しました。

オークン(ありがとう)

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