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母の言葉との再会

母は物事を放っておけない。

道端に誰かのハンカチが落ちていたとしたら、それがどんなに汚れていても拾い上げ、せめてこれ以上踏まれないよう少し高いところへ置くような人間である。

誰かがどうにかするだろう、と多くのひとが通り過ぎるような状況下で、気づいた以上は自分がやらねば、と良くも悪くも義務感に駆られてしまう。義を見てせざるは勇なきなり、を先天的に実行しているとも言える。

しかし、母が息子に言い続けてきたことは、こういった母の人格とはまた別だった。

「ひとにやられて嫌なことを、ひとにしてはいけない」

物心ついた時から、竹谷が何か良くないことをしたり、心身問わず他人を傷つけたりすると、決まって母はこう言ってきた。

殴られるのが嫌なら、殴らない。悪口を言われたくないなら、言わない。

理屈ではわかっていながらも、中々その教えを守れずに日々を過ごしていたように憶えている。腹の立つことをされたら、やり返していたし、馬鹿と言われたら伝統の反駁手段「馬鹿と言う方が馬鹿」で応戦していた。

背が伸び、頭が重くなり、しつけといったものから離れて久しくなっていた。当然、母からの言いつけは程度頻度ともに低下していた。

そんな折だ。

「己の欲せざる所は人に施すこと勿かれ」

30歳になった竹谷は、自らの生き方と向き合うべく色々な書物を漁っていたのだが、この文言が視界に留まり、思わず頁をめくる手が止まった。

訳すに「自分の望まないことを人にしてはいけない」。

はるか昔に中国で書かれた『論語』、孔子の言葉だった。

母の顔が浮かび、声が瑞々しく聞こえた気がした。そして、30歳という年齢には、その言葉を受容できる老いが備わっていた。

母の教えは、竹谷の無意識において長い間醸成され、奇しくも『論語』によって結実したのだ。

以来、特に会社を設立してからは一層、この考え方は竹谷の中心にあり続けている。

「そんなこともあるのねえ」

どこかで『論語』の言葉を目に入れ、それを幼き竹谷へ教えていたのかと母に後日尋ねたところ、母は皆目知らぬと首を横に振り、それからなぜか得意げな表情を見せた。

母は孔子をまったく知らない。音を聞いても、モウモウと鳴く子牛が先に浮かんでくるに違いない。

しかし、母独自の哲学は、『論語』を媒体にして息子へ到着した。母は、竹谷が『論語』へ傾倒する契機のひとつを作ってくれた。

ありがとう。

今度会った時、改めてそう言おう。なぜだか少しだけ、恥ずかしいけれど。

そして、こういう内容は、母の日に合わせて書くべきである。

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せんもじ雑記とは:
書くといつも長文になってしまうのをなんとかするべく、1000文字を目処にエッセイのようなものを書こうとする試みです。「せんべろ」から感触をお借りしました。

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