見出し画像

【文化としての"愛"】【言葉艶ではなく】【行動として残り】【次世代へ託すもの】

2月1日、ちょっち我が故郷、美瑛に足を延ばします~。若干失礼というかはかばかりもあるのですが、我が故郷でこんなイベントを企画決断出来る日が来るとは正直思ってなかったですw

いあ、青田さんのお力というか、ほんと、「人のチカラ」って前例を覆していくからこそ価値と意味があるのだと改めて思いました。

イベントとしては、私もお世話になっており、世界で初の「水平リサイクル」を実現した岩元会長が美瑛にお越しになり、お話頂けるというじゃありませんか!

岩元会長は株式会社JEPLANの会長で、水平リサイクル…服から服をリサイクル出来る技術を確立し、その技術は世界に認められ、世界の名だたる企業が岩元会長の技術を使わせてほしい!っとなっています。

マクドナルド、パタゴニア、H&M…そうそうたる面子が岩元会長の元に集まり、東京オリンピックの金メダルもスマホなどのリサイクル品でお作りになり、あまたのテレビなどに出てらっしゃる方です~

いあ、そんな方が我が故郷に来られる!というので私も行くしかないので、札幌から旭川まではJRですが、そのあとはレンタカー借りていきます!もし興味あるなら一緒に行きましょうー!

っと、昨今、エシカル、サスティナブル、SDGsなどの言葉がにぎわっております。リサイクルという言葉の定義を飛び越えて、「みんなで環境に優しい事をしていこう」という発想です。少し高くても、環境にいいものを選ぶ、とかそういう流れですね。

これは慈愛から生まれたものもあるとは思いますが、現状だけを見れば、危機感から生まれていると思っています。地球の環境を人類の科学力が穢し、それが異常気象などになって人類そのものにかえってきている。このままじゃ次世代に地球を残せないと気づいた危機感から。

それが悪いとかダメとか思っていませんが、SDGsの発端となったのは、江戸時代の日本といわれており、その時の日本的生活は、工夫と慈愛から始まったと思っています。

例えば。日本は多神教信仰です。いろいろなものに神様がいるという考えです。ここで宗教を論じたいわけではないので、ざっくりと割愛しませんが、一神教文化圏も多い中で、日本はゴミにすら神が宿っていると考えたわけです。

だからこそ、大切にした。ゴミを燃やすときですら、神事としたように。

よしあしではなく、そういう土壌で生まれ育ったというわけです。神を大事にする慈愛に満ちて。

すなわち"愛"。個々に対するだけではなく、文化とか社会とか…人類愛とも言い換えてもいいかもしれません。そういった愛が、今までを構成してきた…じゃぁ今後もこの愛が続くのか?

繰り返しますが、エシカル・サスティナブル・SDGsという言葉や定義が悪いわけじゃない。ただ、こういった言葉で"愛"を識別しなくちゃいけないって事が、課題なんじゃないかと思いました。

科学の発展は人類に栄達栄華をもたらしましたが、副産物として環境を汚染した。これは事実ですが、誰もが汚染したくて汚染したわけではない…人類史上初の出来事で、科学が悪いわけではなかった。大切なのはこれをカバーリングすることであって、科学を否定する事ではないはず。

環境を大切にすることが悪いわけじゃなく、それを定義付けしている時点で"愛を愛として認識しなくちゃいけない"って事になっている違和感に気づくべきじゃないかと。

信用と愛があれば、それとなく気遣い気配りが出来るように。

"愛"を高らかに叫ばなくても、そこに"ある"事が大事なように。

俺たちが地球を守ったんだ!を押し付けるのではなくて、次を創るのは君たちだと手渡せる地球を残してあげたい。

世界を盤上事ひっくり返して、子供達に笑顔を!