見出し画像

【取材こぼれ話】最高級和牛・松阪牛が全国的に知られるようになったのはいつから?

こんにちは。CRAFTRIPライターの河合です!

ライターという仕事をしていると、「書きたかったけど、いろいろな都合で書けなかった」ことがさまざま出てきます。紙幅の関係だったり、大人の事情だったり……。

現在公開中のCRAFTRIPでも、取材したり、調査して得たエピソードを全て掲載できたわけではなく、泣く泣くカットした情報で盛りだくさんです。

今回はそんな中から、思わず人に話したくなる(かもしれない)、“こぼれ話”を1つご紹介したいと思います。


「松阪牛」と言えば、今では押しも押されもせぬ黒毛和牛の代表的存在ですが、そうなったきっかけを皆さまはご存じでしょうか?

時は明治時代にさかのぼります。明治時代に入ると、これまで日本で禁止されていた肉食が解禁に。すると、東京を中心に、牛肉は大ブームを引き起こします。

もともと農耕用の役牛として、現在の三重県松阪市一帯では牛は身近な存在だったそうで、肉牛として良質とされる但馬牛のメス牛を古くから肥育していました。

肉牛の需要が高まるに連れて、但馬牛が「神戸牛」として優れた肉質を持っていると名を上げるようになると、松阪で肥育された肉牛も人気を集めるように。明治時代の中期には、上質な「神戸肉」の産地として知られるようになっていったそうです。その後、肥育方法などが独自の形で発展を遂げ、松阪は黒毛和牛の一大産地として認識されるようになっていきます。

「松阪牛発祥の地」は三重県松阪市の飯南町深野と言われています

当時はまだ「松阪牛」という呼称は一般的ではなく、「伊勢牛」として広く知られていたそう。「伊勢牛」は共進会と呼ばれる「肉牛の品評会」で華々しい成果を収めるようになり、“松阪牛”の名声の下地を作り上げていきました。

最高級和牛として“伊勢牛(松阪牛)”の名が知れ渡ったのは1935年、東京芝浦屠殺場(現東京都中央卸売市場食肉市場)の落成を記念して開かれた「全国肉用牛畜産博覧会」。道端長松さんが松阪の地で育てた「みち」が、神戸牛や近江牛と競って最高賞である栄誉賞を獲得。“松阪牛”の名が全国から脚光を浴び、その名を知らしめるきっかけとなりました。

それ以前から、牛銀や和田金を中心とした松阪の肉処は著名人の間で愛されており、その味は各媒体を通じて発信されていましたが、名実ともに最高級和牛と認められた瞬間はこの時だったと言われています。

その後、1950年代に「伊勢牛」から「松阪牛」へと呼称が改められ、和牛のトップブランドとしての名声を確立していくのでした。

つい最近の出来事、というわけではないですが、「神戸牛」や「近江牛」などと比べると、「松阪牛」の名が全国に知れ渡るのは意外に遅かったんです。


そんな松阪牛の名を轟かせた共進会や品評会は、今でも全国各地で行われているのですが、松阪市でも今年の11月27日に、松阪牛の頂上を決める「松阪肉牛共進会」が3年振りに開催されました!

予選を勝ち抜いた選りすぐりの50頭が登場してセリにかけられ、最高賞の「優秀賞1席」には三重県大紀町の岡田一彦さんが肥育した「ここの3」が選ばれました。その落札額は、なんと2,600万円!! 前回開催時の最高落札額も同額でしたが、一流の松阪牛にはそれだけの価値があるということなんですね。

「松阪牛についてもっと詳しく知りたい!」という方は、ぜひCRAFTRIPをご覧ください!


この記事が参加している募集

#業界あるある

8,634件

#ライターの仕事

7,419件