見出し画像

『オーデュボンの祈り』を一日で読みました


こんにちは みょーです。

肩がバッキバキです。原因はタイトルの通りです。

伊坂幸太郎さんの『オーデュボンの祈り』を夕方から深夜にかけて一気読みしました。460ページくらいでしょうか。

かなり体力つかいまして、今日はクタクタです。



ということで、感想をまとめます。

多少のネタバレを含みつつ、内容たっぷりなのでご注意を




感想と分析


まず一言でまとめると「すごい!」でした。面白すぎて語彙を失うやつです。本当に素晴らしい作品でした。

前回読んだ作品は『オーデュボンの祈り』の約3分の1くらいの長さにもかかわらず、読むのがしんどくて挫折しそうになりました。しかし今回は続きが気になって気になってどんどん読み進めちゃいました。別の意味でしんどくなりました。


なによりの違いは「安心感」です。「この作品は無駄な物語を書いてないな」という安心感がありました。

創作についてたくさん勉強してきた中で、好きだった漫画が映像化するということがなんどもありました。そうすると、テレビ放送のスケジュールに合うように脚本が調整されるものです。

僕はそのたびに「どこがどう変化するのか」に注目するのですが、特に興味深いのが「どこを削るのか」という点です。削られるシーンというのは大体が“ストーリーに必要ないと判断された部分”で、「確かにここは無くてもいいかも」と考えるきっかけをくれるんです。もちろん「なんでそこ削るんじゃボケ!」と床をのたうち回ることもあります。


斬新な床掃除を終えた僕は、物語を読むたびに「このシーンはどういう目的で描いているのだろう」と考えるクセが出来ました。そして小説は文字だけで表現される分、その文章が無駄かどうかがハッキリと分かります。noteを真面目に続けていることも関係あるかもしれません。

以前、僕は「書き出しの親切さ」みたいなことを語りましたが、『オーデュボンの祈り』の書き出しはもちろんのこと、一ページ目から目的のある文章ばかりで、その緻密さに圧倒されました。


僕にはこだわりがあって、物語は「初めまして」の状態で読みたいんです。あらすじさえも知らない状態が理想なんです。

だから本当は小説の裏に書かれた説明さえも見たくないんです。僕個人の感覚ですし、批判しているわけではありませんが『コンビニ人間』はあらすじを見ないと分からないことが多々ありました。手元にある方はページを開いてもらうと分かると思いますが、最初のページで主人公について分かる情報量ってかなり少ないんです。“コンビニの仕事に慣れた人”という情報のあと、「私」という一人称でやっと女性と分かり、一通りコンビニでの行動を終えた後に自分語りが始まります。


『オーデュボンの祈り』は主人公の置かれた状況と“城山”というキーマンの名前を出した後、すぐに自分の情報へと進んでいきます。そこに無駄な文章はありません。バニーガールの夢だって面白い書き出しで読者の心を掴むという目的があります。

僕のそういう判断によって「この小説は面白そうだ」と前向きな姿勢で読み進めることが出来ました。そして、その直感は確信へと変わります。


登場人物全員に個性があり、謎を持っていました。全員が主人公の第一印象とは別の一面を持っています。そしてそれらはしっかりとしたバックボーンと意味を持ち、作中で変化していきながら読者に説明されていきました。また、ミステリーの要素を多分に持った作品でありながら無駄な死が全くありません。これはとても大きなことです。

作中で命を落とす人物達はそれぞれが役割を持っていました。「桜」や「城山」の引き立て役であったり、荻島の謎を深めるためであったりです。


そして作品に仕込まれた謎の全てが読者に分かりやすく配置されています。僕は物語を見る際に、なるべく謎を解明しない様に考えないように意識しています。脚本の勉強をしていると今回のように『目的のある情報しか書かない作家さんに出会った時に謎の答えを当ててしまうことがあるんです。そうなると自分にネタバレくらうとかいう意味の分からないことが起きて床掃除する羽目になります。

細かい仕掛けは流石に考えて読まないと分かりませんでしたが、“島に足りないもの”や園山の奥さんの真実といった明確に提示された謎は比較的早い段階で分かった方だと思います。そして城山の最期は桜が登場した時点で分かっていました。でも打たれる場所はわからんかった。ざまあ



明確に目的を持たせた登場人物しか現れず、無駄な情報を極力減らし、ミステリーでありながらファンタジーな要素を併せ持つ世界観を創り上げる。しかも文章表現もオシャレかつクサく無くて分かりやすい。


神か?




個人的なお気持ち表明


僕がこの小説を買おうと思った決め手は、『フォロワーさんのおススメ小説を紹介してもらった際に伊坂幸太郎さんの名前が何度も出たということ』、そして『ゆのまるさんが「伊坂幸太郎さんのデビュー作だよ」と教えてくださったこと』のふたつ……以外にも実はあります。


TSUTAYAの本棚では作家さんの名前ごとに小説が陳列されていたのですが、明らかに伊坂幸太郎さんの枠が広かったんです。つまりはずっと面白い小説を書いている”ホンモノ”の作家さんであるということです。僕みたいな小説初心者かつ、さっさと学びたいという変態は良いモノと悪いモノを知らねばならんのです。別に『コンビニ人間』が悪いとは言ってないよ

そこであらすじや書き出しをパパっと見た時、「ああ、この人の小説は間違いないな」と思いました。頂点に立つ実力のあるトップクラスの作家さんであることが伝わってきました。


僕は一度面白い物語(映画とか漫画とか)を見始めるとずっと見ちゃうんです。だから『オーデュボンの祈り』も止まらなくなりました。しぬかと思いました。

純粋な作品の面白さと小説ならではの表現、伊坂幸太郎さんの神がかり的な構成と文章。全部が新鮮で今までにない感覚です。全身に電流が走ったように痺れました。手は肩こりで痺れてました。


最高の経験になりました。

それも教えてくださった人たちのお陰です。感謝!



思ったことと気に入らなかったこと


さて、『オーデュボンの祈り』を読んで改めて考えたいことがあるのですが、それが「あらすじで情報を教え過ぎじゃない?」という疑問です。

裏表紙に書いてるから僕も記事に書きますが、「優午は〇されます」ってバッチリ記載しちゃってるんですよね。


僕はこの作品を購入してからしばらく経って読み始めたのであらすじの内容なんてすっかり忘れていたんです。「うわー、この作品面白いな~!」と夢中になり、「疲れたからちょっと休憩しよう」って小説を机に置いた時、『未来を見通せるカカシはなぜ自分の死を阻止できなかったのか?』という文字が目に飛び込んできました。床掃除の時間です。


なにしてくれてんねんと。



わざわざあらすじでめちゃくちゃ大事なところを書かなくても良くないですか?『誰がどんな目的で作ったのか?』でも興味引けるし、優午の死もより輝くと思いません?

確かにあらすじは物語を教える役目は持っていますが、わざわざ“核心”を書くでしょ。だから説明が要らなくなっちゃって物語をつまらなくするんですよ。日比野が困惑した顔で「大変だ」って主人公を訪ねた時も、こっちは「ああ、今から優午ね」ってなるんですよ。これは作家への冒涜と言っても過言ではない(過言)


まあ『オーデュボンの祈り』に関しては作品が深いからほぼノーダメージですけども、実際にこうしたことで〇されてしまった作品はあります。まとまれば明日その記事を投稿しようと思います。



あとこの作品に一つだけケチをつけたいのが、城山が怖すぎるってこと。




最後に


僕もう警察官を信用できない。



この記事が参加している募集

読書感想文

応援よろしくお願いします 心の支えになります