思春期とガチャピン

最近のちいかわブームを見ていると、私が中学生くらいのときにもこういうキャラもののグッズとかが流行ったなあと思い出す。
当時中学生の私のまわりで流行っていたのはなぜかガチャピンとムックを現代のキャラクターぽくアレンジしたグッズだった。
ガチャピンリバイバル。
流行りに敏感なギター部の女の子たちはガチャピンのメモ帳やマーカーをさりげなく日々の勉強道具に紛れ込ませていた。私はというと、確かにガチャピン可愛いとは思っていたが、限られたお小遣いをもはや定員オーバーの筆箱に入れるためのガチャピングッズに注ぎ込むことは諦めていた。
そのうちガチャピンブームは終息し、中学校生活の折り返しにくる頃には、女子の間ではシンプルな文房具を持つことがおしゃれとなっていた。(マイルドライナーとか、プレイカラーのマーカーとか)

ある日、学校が終わり帰宅すると、母親がニコニコしながらこう言った。
「洗面所に行ったらいいもの置いてあるよ」
その場には当時小学生の妹がおり、2人してワクワクしながら洗面所へと向かった。
何か買ってきてくれたのだろうか、そういえば新しい飾り髪ゴム欲しかったな、もしかしてそれかな。お母さん、普段こういうサプライズとかしないから珍しいな。嬉しい。楽しみだな。
洗面所で色々探した結果、妹がある袋を見つけた。
「なんかある!」
我が家の洗面所は脱衣所を兼ねており、引き戸の裏側に自分のパジャマや下着などを置くスペースがある。妹が袋を見つけたのはそのスペースだった。
何だろうと思ってその袋をあけたところ、中に入っていたのは色違いの2足のガチャピンの靴下だった。
妹はそれを見て「わ、ガチャピンだ、かわいー」とシンプルに喜んでいた。
私は

それを見て何とも言えない複雑な気持ちになっていた。
正直、少し前はガチャピンのグッズを可愛いと思っていたし欲しいと言っていた。しかしそれは過去のことであり、中学生の流行りなど1ヶ月もすればまた新たに別のものが出てきて別のものがもてはやされている。とにかく流行り廃りが激しいのだ。そのときの私はすでにガチャピンへの熱を失っていた。
いや、もうガチャピンブーム終わってるんだよな、分かってないな、お母さん。ていうか、靴下ならもっとシンプルな靴下屋とかで売ってるワンポイントのくるぶしソックスほしかったな。
だがそれと同時に、母親の、子どもの喜ぶ顔が見たいという気持ちも理解出来るくらいには大人だった。私が前にガチャピングッズを見て可愛いと言った(んだと思う、覚えてないけど)ことを覚えてくれてて、何でもない日に買ってきてくれたんだなとか思うと、その気持ちは嬉しかった。

このとき、私は少し大人になったのだと思う。
本当はそんなに欲しいわけじゃなかったけど、もう子どもっぽいデザインで私の好みじゃないけど、母親の私と妹を思って選んでくれたこと、私が言っていたことを覚えてくれていたこと、全部ひっくるめて私は言った。

「可愛い、ありがとー」


今でもたまに思い出すのだ。昔は親が与えてくれるものは何でも嬉しくて喜んでいたけど、もう親が私に選んでくれるものは子どもっぽすぎて素直に喜べないことの悲しさを。そして、心から嬉しいフリをすることの空虚さを。


あのガチャピンの靴下、どこいったかな。
確かはいてるうちに足首周りがだるだるになっちゃった気がする。どうやって処分したのだろう。少なくとも、一人暮らしのときにはその靴下を持ってきてはいない。

洗濯物の靴下をたたむとき、たまに思い出すことだ。


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