怪物はささやく

物語は、人の心を動かす怪物だ。『怪物はささやく』

すべての物語は怪物だと思う。どんなに静謐な物語でも人の心のなかでは獰猛に暴れまわり、一番弱い部分にゆさぶりをかけて泣かせる。

『怪物はささやく』に出てくるのは、イチイの木から生まれた怪物だ。少年の小さな心を極限にまで追いつめ、この上なく残酷な<真実>に向き合わせようとする。それはなぜなのか、正体は?―――どんな行き止まりにも、<物語>だけが拓くことのできる道がある。暗い場所からやってきた怪物が私の隣でそうささやいてくれた時、少年のために、そして自分のために、涙がとまらなかった。そして映画館を出るころには、再び<物語>の力を信じたくなっていた。



■ストーリー

12時7分。墓地の向こうの丘から怪物がやってくる時間だ。治る見込みのない病にかかっている母親と二人暮らしのコナーは、学校でも孤立し、毎夜悪夢にうなされていた。ある日怪物はコナーに言う。「いまからおまえに三つの物語を話す。最後の物語は、お前が話せ。その物語は絶対に<真実>でないとならない」…抵抗するコナーなどお構いなしに、怪物は一方的に物語の幕を上げる。やがて三つの物語が明かされ、ついにコナーの番になるが、彼には決して誰にも言えない秘密があった…。

■三つの<物語>と、第四の<真実>

鍵となる三つの物語は決して子供向けのお噺ではない。フェアリー・テールのような「めでたしめでたし」も、道徳の教科書にあるような分かりやすい教訓もない。水彩画の溶け出したような美しいアニメーションに目を奪われるも、そこにあるのは善悪や信念が混沌とした分かりにくい世界だ。

怪物は言う。”Humans are completely beasts.”「人間は、どうしようもないほどビーストなんだ」と。

幼い子どもの心をあまりにも忖度しない大人たちは見ていて腹が立ってくるし、病気治療に関する社会的救済システムが薄そうなところにもやるせなさを感じる。それでも、それはそれぞれ厳しい現実に折り合いをつけようと必死にもがいている大人たちの姿でもある。

怪物はそんな人間も現実も、何一つ否定はしない。求めるのはただ一つ、自分自身の解ともいえる<真実>に向き合うこと。それさえ叶えば、どんなに不条理で矛盾に満ちた世の中にも、己の道を見つけることができるのだ。だからこそ少年がついに語る第四の<真実>には、胸が震える。

正体の分からないものを私たちは「モンスター」と呼び、できるだけ遠ざけようとする。古い『キングコング』のフィルムを観ながら、母親はコナーに語る。「人は自分の知らないものが怖いのよ。だから攻撃するの」

しかし、私たちのすべてを優しく肯定してくれるのは、人の想像が生んだモンスター(怪物)のような存在に他ならないのかもしれない。想像の力こそが心を勇敢にし、生々しく残酷な<真実>を一緒に乗り越えてくれる生涯の友なのではないだろうか。

イチイの木は千年生きるという。年月はありとあらゆるものを変えていく。その中で私たちが知ることができた事なんて、ほんのわずかしかないのだと思う。だとしたらせめて自分自身の<真実>だけは見つめたいな。きっとそれは本当に苦しい泥の中でも、自分の手を握り返してくれるはずだから。


■『怪物はささやく』公式サイト

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全体的にどこか憂いを帯びた色彩で描かれるこの作品の世界観がとても私は好きです。コナー少年の描く絵もまた、紙の上に感情がそのままにじみだすような美しさでした。原題は、”A Monster Calls”。三つの物語の解釈ももちろんのこと、Callの解釈についても誰かと深く語り合いたくなるような、素敵な映画です。ぜひ。

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