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シーユーアゲインな彼ら

最近、トロントでの日々を共に過ごしたと言っても過言ではない友人ダニエルからDMが届いた。

出張でオーストラリアに行くから会いに行くよ、7月18日から数日間滞在するけど会えそうかい?と彼は言った。

偶然なのか、その日は私の誕生日だ。今年の誕生日はツイてる。ずっと住んでみたかったメルボルンにいるし、4年ぶりに友人に再会する機会を得た。最高のバースデープレゼントだ。

20代に突入してからというものの、年に一回くらいのペースで引っ越しをしている。

国内は西から東へ、国外はアメリカとカナダとオーストラリアに住んだ。

親族の間では常に不在でどこにいるかよく分からない人となっており、ジンフリークス状態。

人生でフェアウェルパーティをしてもらった数はおそらくちょっぴり多い。

常に住まいを転々としていることから、ヤドカリには親近感が湧く。


引っ越しはおもしろい。

飛行機のモニターに映る飛行線が長ければ長いほどワクワクするし、その地を初めて踏んだ時に感じる温度や匂いの明らかな違いに「ほわあ…」となる瞬間が好き。

これからどんな生活になるのかまったく想像がつかない時こそ体と頭と心がフル回転し、ああ生きていると感じる。

ちょっぴり悲しいというか切ないことがあるとすれば、移動して新たな出会いがあるのと引き換えに、別れを経験しなければいけないことだろう。

はじめましてと言う回数が多い人は、さようならを言う回数が多い人だ。

今後ヤドカリライフをしたい人はそれを受け入れる覚悟が必要だ。


ここでの別れはふたつに分類できる。

永遠の別れと、一時的な別れだ。

その地を立つ時が来てお別れするとき、ああこの人に会うのはこれが最後な気がすると胸がギュッとなる人と、この人とは人生のどこかで会い続けるんだろうなと感じる人がいる。

グッバイか、シーユーアゲインか。


シーユーアゲインな人は会う回数も話す回数も決して頻繁ではないが、タイミングがカチッと重なった瞬間にどこかで必ず再会し続ける。

365日以上が経過しているにもかかわらず、まるで時を冷凍していたかのように全く久しぶり感のない人がいる。

半年、1年、3年、5年

どれだけ間が開こうとも、たくさん会ったり話したりすることはなくとも、ちゃんとつながっている感じがする。

私はそんなシーユーアゲインな彼らのことを友達と呼んでいる。



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