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薬物乱用

前回の続きです。前回はこちらから。

「この仕事つらいじゃん?だからさ〜私これやってんの。かのんちゃんもどう?」パケに入った白い粉が目の前で揺れた。パケを持つその腕には大量の生傷が見えた。風俗の待機室でよく一緒になっていた女の子が私に勧めたそれは高校の「薬物乱用防止教室」で聞かされた例の薬物だと確信した。「それはまずいんじゃない?」「じゃあこれは?これならドラッグストアでも買えるよ」と瓶に入った錠剤を手渡してきた。「……これ飲むとどうなるの?」と尋ねると「ふわふわしてぇ〜幸せになるの。で、気づいたら仕事終わってんの!スゴくね!?」と目をランランと輝かせていた。ドラッグストアでも売ってる薬なら⋯⋯とその時渡された薬を30錠程手に取り、一気に水で流し込んだ。悪いことをしているんだという強い気持ちと、これで本当に楽になれるの?という疑問が自分の頭の中を駆け巡った。そうしてるうちにふわふわ宙に浮いたような感覚に陥り、特に理由もない多幸感が出てきた。身体は重いような軽いような味わったことのない不思議な感覚。さらに集中力も増してきている気がして、事実接客のアンケートも評価が高くなりついにはその薬の虜になっていた。

飲み始めて1ヶ月経ったくらいから30錠じゃ効かなくなり、風俗に出勤する道中薬局で例の薬を買い、制服からワンピースに着替えたあと1瓶84錠をザラザラとグレープフルーツジュースで流し込んだ。グレープフルーツジュースが一番相性が良い。もう手慣れた作業になってしまっていた。20分もすれば身体が宙に浮いたようになり、とろんとした多幸感に包まれる。手足はだらんと脱力し、余計な思考の一切が排除された。待機室のティッシュの上に綺麗な蝶が飛んでいる幻を見ることもあった。美しく輝きながら羽ばたく蝶は、私の周りを綺麗な鱗粉を散らすように飛んでいた。そして気づけば退勤時間、いつ切ったのか覚えがない腕の傷の先に大金を握りしめていた。

最初の3ヶ月は風俗の出勤をする時だけと決めていたのに、依存性があるので家でも隠れて飲み始めた。砂糖に包まれた錠剤なので飲みすぎると歯が溶けるというのを小耳に挟み、ザルに大量の錠剤を入れ水道水で糖衣を溶かしグレープフルーツジュースで貪るように流し込む。ああ〜。あー。ふわふわする。もうどうでもいいや〜という気持ち。しかし薬の効果が切れるととんでもない後悔と辛い気持ちが襲ってくる。またやってしまった、これがないともう生きていけない身体になってしまった。ああ、ああ⋯と声を出し泣きながらまた薬の瓶に手を伸ばしてしまう。

副作用としては尿意があるのにおしっこの仕方を忘れてしまう排尿症と記憶喪失、また食欲の低下、入眠困難など。朝5時に父親から「まだ寝てないのか」と言われたのを薬がバレるのではないかという恐怖からよく覚えている。

そして1日中薬漬けになる生活をどれくらいだったかな、1年は続けていたと思う、もう最後のほうは1日3瓶も空けるほどの完全な薬物中毒者になったいた。大量の空き瓶が母親に見つかり、「お前らのせいでこうなった!」と包丁を振り回しながら暴れ回った。もう頭がおかしくなっていた。母に財布と携帯を取り上げられ薬を買うことも友人と連絡を取ることも禁じられ、バイトや外出すらも許されなくなった。離脱症状であるアカシジア(手足がムズムズしたり、虫や血溜まりと言った悪い幻覚を見たり、眼球上転と言って黒目が上にいってしまい常に白目を剥いた状態になる症状)に2ヶ月もの間苦しめられ、寝ようとしても5分すれば目が覚めてしまう。あれだけ1日という時間が長かったのはあの時くらいだ。夜中アカシジアに耐えられず家を飛び出し、副作用で食欲がなかった為ガリガリになった身体で3駅先まで全力疾走をした時もあった。母親が泣きながら後ろからついて来て、帰り道「もうやめよう、ちゃんと病院に行こう」と言われたのは覚えている。

薬を飲んでいた時の記憶が殆どないので、その時使っていたTwitterのアカウントのツイート内容を載せておきます。

当時のTwitterを遡りながら思い返すと、私は何かしらの建物の3階から飛び降りていたらしい。しかも見事に着地までしてしまっていたらしい。あの時死ねたら楽だったろうな。憎い相手に「死ね」という言葉を使う人間がいるが、私は憎い相手には一番辛い状態で生き続けてもらいたいと思う。生き地獄というのは存在するとあの時身をもって体験した。「死ぬこと以外かすり傷」?。かすり傷で済んだ奴がそう言っているだけだ。私の左腕と左脳は薬物のせいでかすり傷なんて言葉じゃ表せないほどズタズ夕になった。今でも半袖を着て外に出るのを躊躇う。左脳は溶けて文字も読めない。かすり傷なわけないだろう。

精神科に連れて行ってもらって「何が辛いのですか」と医者に言われても脳が薬でやられていたので「つらいからつらい」「しんどい」「死にたい」としか言えず、結果ついた病名は統合失調症だった。完全なる誤診と気づいたのは処方薬が全く効かなかったからだ。当時は統合失調症の人に使う強い新薬を飲んでいたが、効かないどころかそれの副作用でまたアカシジアが出て頭を掻きむしったり包丁で腕を切ったりしていた。

纏わりつく希死念慮。常に死にたいと思っていた。家の中にいる時も車で精神科に連れて行かれる時もずっと今すぐ死ねる方法だけを考え続けていた。

そしてついに、アカシジアに苦しめられながら意識が朦朧とするなか親が家にいないタイミングを見計らい、最寄駅の改札をくぐりホームに飛び降りた。

つづきはこちらから。

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