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特別な空間

前回の続きです。前回はこちらから。

そんなこんなでファミレスでバイト、親に隠れて風俗でバイト、空いた時間に学校へ行くというなんとも不自然な生活を続けていた。

高校生活は周りの友達が学校に来なくなってから私もだんだん行かなくなったが、物理担当のO先生だけはずっと私を気にかけてくれていた。

学校に来て授業をサボる私を見つけては、普段は入れない物理準備室に私を招いて「コーヒーしかないよ」と理科の実験器具でいれたコーヒーを私に出してくれた。理数系、特に物理は苦手な科目だったが、O先生のことが頭をよぎって選択授業で物理をとった。

「お前な〜授業サボらないでちゃんと受けろよ」と小難しそうな本を読むO先生の背中を見ながら「はぁ〜い」と適当に返事をする。ただそれだけの時間だったが、私にとって物理準備室はO先生との特別な空間になった。

2年生が終わる頃、O先生は私の頭に手をそっとのせて「お前3年こそちゃんと来いよ」、そう言った。物理準備室という特別な空間はそれで最後になった。なぜなら、3年に上がった時O先生は他の学校に異動になってしまったからだ。それを知った時本当に寂しくて悲しくて、もういないO先生をネットで探しまくった。TwitterはやってないだろうしFacebookならいるかな、と今で言う「ネットストーカー」みたいなものをしまくって探したが見つけることができなかった。

3年に上がって評議委員の委員長になった。評議委員は生徒会と対になる委員会で、生徒会のよくないことを指摘したり、生徒全体の生活指導をするのが仕事だ。体育館に人を集め「みなさん学校に来てください」と壇上で熱く演説することもあったが、そんな私はまともに学校に来て授業すら受けていなかった。

O先生がいなくなってから、物理準備室は他の先生の居場所になってしまったので出入りができなくなってしまった。代わりに生徒会長と仲良くなり生徒会室によく出入りするようになった。授業をサボっては生徒会室でお菓子を食べたり、ネットサーフィンをして暇を潰した。当時生徒会長をしていた子は今でも友人で、とある駅の駅員をしている。たまに見かけては用もないのに挨拶をしに行くくらい仲の良い友人だ(と私は思っている)。

高校生活だけにフォーカスを当てたら、まあまあ充実していたと思う。授業こそ真面目に受けていなかったけど、内申点は悪くなかったし、なによりO先生に言われたからという理由で3年になってからはきちんと学校に行っていた。実習メインの授業を選択し、車の整備をしたり陶芸をしたり、適度にサボりつつ完成させた課題を提出するだけで通知表には5をつけてもらえた。文化祭も体育祭も部活も楽しく過ごすことができた。

O先生は今まで私が思っていた「学校」という世界をまるで変えてくれた。誇張しすぎていると思われるかもしれないが命の恩人だとまで思う。O先生がいなかったら高校は中退していただろうし、O先生がいたからこそ成り立っていた「青春」だったのだと思う。

つづきはこちらから。

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