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閉鎖病棟①

前回の続きです。前回はこちらから。


ハッと目を開けたら知らない天井だった。天井の隅には監視カメラのようなものがついていた。看護服の女性に「鎮静剤を打っているのでしばらくは動かないでくださいね」と言われ、病院にいることが把握できた。ただ身体はどこも痛くない。ホームに飛び降りたはず、電車に跳ねられたはず。頭がはてなマークでいっぱいだった。

精神科の閉鎖病棟に入院するにはおおまかに3種類の方法がある。
①任意入院
②医療保護入院
③措置入院
私は③の措置入院だった。任意入院というのは成人になると許可される自分の意思で閉鎖病棟に入院する方法。医療保護入院は未成年が親の承諾を得て入院する方法(患者側の拒否権は無い)。私が入ったのは国の命令で親や保護者が拒否しても入院しなければならない強制入院だった。措置入院は主に自殺に失敗した人がなる。まさに私はそれだった。ホームに飛び降りたはいいが意識が朦朧としているせいで電車がまだ来ていないことを確認できていなかったのだ。

鎮静剤が切れて動けるようになってから3日くらい、心理検査と身体検査、また頭部CTや心電図といったありとあらゆる検査を受け、閉鎖病棟に入院する際の注意事項のようなものを説明された(あまりよく覚えていない)。

プライマリーと言って担当看護師が決まるのだが、ガタイの良いAさんという男性看護師が私の担当になった。

閉鎖病棟はその名の通り閉鎖空間、ではなく、男女分かれた大部屋小部屋の病室のちょうど中心に広いホールがあり、ピアノやゲーム、テレビ、本などたくさんの娯楽が置いてある。ホールは陽の光がよく入る病棟でとても開放的に感じた。ただ病棟から出る出入り口は厳重に鍵がかけられていて、分厚く重たいガラス製の扉が二重になっている。さらに金属探知機まで置いてあった。それは病棟に刃物などの危険物を隠して持ち込まないように置いてあるものだった。危険物というのは想像しているより範囲が広く、リングノートやボールペン、ベルトや靴の紐なども禁止物の対象。もちろん携帯電話、現金、タバコや薬も禁止。爪切りなども対象内なので、爪が伸びた場合は病棟内のナースステーションに行って申告し看護師の前で爪を切る。とにかく自分自身を傷つけるおそれのあるものは全て没収された。

閉鎖病棟の寝室にある寝具はベッドの柵などにカーテンを千切って首を吊る患者が時折いるため全て敷布団だった。

諸々の検査や説明を受けた後ホールに出ると同じくらいの年齢の患者が15人くらいいて、各々自分の時間を過ごしているように見えた。が、よく見ると所々少し変だ。楽しそうに患者同士喋っているが呂律が回っていない子、ずっと1人で手を洗い続けている子、腕を掻きむしっている子、壁を長時間蹴り続けている子。とりあえず空いている端の席に座り病棟内の漫画を読もうと手に取ったが文字が読めなかったので絵を眺めていたら、金髪でガラの悪そうな女の子が車椅子に乗ってこちらへ来た。

「ねえ名前なんて言うの?なんでここ来たの?保護室から来たってことは未遂?」ニヤニヤと笑いながら私に話しかけた。「よく覚えてないんだけど…薬やってて…ホームに飛び降りて…それでここに」「あーね。薬か。何やってたの?」「〇〇だよ」「あーあれよく効くよね。1日何錠飲んでたの?」「250くらい…」「250!?スッゲー!アタシなんて1瓶も飲んでなかったよ!」初対面でいきなり話が弾み、後にそのAちゃんとは病棟で一番仲良くなった。Aちゃんは強迫性障害という病気で、家庭環境が悪い中「今日この色の服を着ていたら1日幸せ」「今日はあの信号が青信号で渡れたら1日うまくいく」「今日白線から足が出なかったら……」と自分自身に行動制限をかけまくったせいで最終的に家に引きこもってしまい、歩けなくなってしまったそうだ。「だから車椅子。足悪いわけじゃないんだけどね!」とカラッとした笑顔で言われた。足が悪いでもなく心の病気で歩けなくなってしまったという事実と、それを笑い飛ばす彼女の性格に私は呆気に取られた。

食事は決まった時間に毎回患者全員そろってホールで食べる。アレルギーや食べると精神的に不安定になるものがある場合申告すればその食べ物は他の食べ物に差し替えられた。私は乳製品が身体に合わない体質なのでそれを申告し「乳禁」と書かれた紙が置いてあるプレートに乗った病院食を出されてAちゃんと食べた。ちなみにAちゃんのプレートにも紙が置いてあって「大」と書かれていた。「大」はご飯大盛り、という意味でAちゃんは「もう半年以上いるとさ、ご飯くらいしか楽しみなくなるよ。Fax注文でお腹減ったらカップ麺頼んじゃうし、ここ来てから20キロも太っちゃった」とまた笑いながら言った。ちなみにFax注文というのは週に3回病院内にあるコンビニの商品を紙に書き出して看護師に渡せば、2日後届くという閉鎖病棟内の宅配便みたいなものだ。

最初の1週間は薬の離脱症状なのか食事が喉を通らずひと口食べるのが限界だった。プライマリーに「〇〇さん、これじゃラコールになっちゃうよ」と言われたが何のことか分からず、Aちゃんに尋ねたら「ラコールって言われたの!?ウケる!ご飯食べないからだよ!ラコールはね、ウィダーみたいになってるゼリーなんだけど、味、最悪。マジで人間のゲロ。」と説明された。説明されても食事が喉を通らないのは変わらなかったので結局ラコールを2日ほど強制的に飲まされたが、思い返してみても今まで食べたご飯の中で2番目に不味かった。ちなみに1番は一時保護所内で食べたご飯。

2週間してプライマリーとは別の病棟内の主治医が決まった。M先生というおばあちゃん先生だった。M先生はゆっくりとした口調で私の話をベッドに一緒に座りながら、時には廊下のラウンジで聞いてくれた。M先生から告げられた病名は4つ。境界性人格障害(ボーダー)、解離性健忘、適応障害、〇〇(薬物の成分)中毒。精神科では病名がいくつもつくのは当たり前のようで「大丈夫よ。大丈夫。ここでゆっくり過ごしましょう」とM先生は優しく笑い、病名とその症状を説明してくれた。

つづきはこちらから。

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