どん底人生について、モチベーショングラフで振り返ってみた_自己紹介Part2
自己紹介Part2ということで、自分の人生をモチベーショングラフで振り返ってみました。
今の自分が出来た理由も改めて再確認でき、今日からギアを入れ直せたらと思います!
私のモチベーショングラフ
幼少期
どちらかというと、活発な子。外で体を動かして遊ぶのが好きで、幼稚園児の時から、マウンテンバイクを乗り回していた。
特に悩みもなくのほほんと生きていた。
小学生
小学生低学年の頃は、宿題をせずに、街中をマウンテンバイクで走っていた。男っぽい性格により、男友達が増え、毎日友達の家でゲームをしていた。虐められている子を見ると、寂しい気持ちになり、いじめられっ子と仲良くする感じだった。(幼稚園児の時から)
家ではほぼ毎日泣いていた。理由は親に怒られる毎日で、特に生きている意味がないと思っていたから。今思えば、母は、私を母の言う通りにしてほしく、それは自分から離れて欲しくないためだと思っているのだが、当時は、なぜ自分の意見を言ったらダメなのかわからなかった。
母の中のルールから外れたら全て悪だった。
この辺りから、自分の人生について考え、生きるとは、勉強するとは、働くとはについて考えていた。
小学校高学年になると、より一層、生きる意味を失っていた。学校では、いじめる奴らと対等に戦っている日々を過ごしていた。バトミントン女子に憧れ、バトミントンクラブに入るなど、学校では積極的にやりたいことをやっていた。
家に帰ると、私は母と一緒に死んだ方が良いのではないかと思うぐらい、毎日辛かった。
16歳になれば、高校生なので自由が訪れるのではないかと、もう少し頑張れと自分に言い聞かせていた。
中学生
中学に上がり、念願の陸上部に入った。元々長距離走が得意で、小学校のマラソン大会で3位で終わり、絶対に抜かしてやる!!と思っていたが、目標にしていた前の2人は、一番最初のデビュー大会で抜かせてあっさり目標達成。
陸上は向いているのかもしれないと思っていた。
周りの友達は、親が真剣に応援してくれていて、特別足は速くなくても褒めてもらえるが、私は親に貶されることしかなく、どんどん自分に自信がなくなっていた。最終的には、全国大会もあと2−3秒のところで出られず、それに対しても、人間のクズだと言われていた。
また勉強もしろとは言われるものの、テスト1週間前は家から出なければ、母は安心する感じだったので、勉強という勉強はしていなかった。
むしろ、勉強しろと言われるけど、何かしら反発しないと負けると思って、勉強しないというスタンスを貫くぐらいだった。
自由になるには、「お金」が必要だと思っていたので、高校へはいかずバイトをして家を出ようと決めていた。
しかし母に、高校に入ったら自由にさせてあげると言われ、その言葉を鵜呑みにし高校へ行くことを決意。
当時、その高校を選んだ理由は、制服の可愛さ。唯一自分で選択したかもしれない。
高校生
入学して、すぐにバイトを始めた。バイトNGな高校だったため、バレないように働いていた。お金を貯めて、何としてでも自由を手に入れなければと思って必死だった。
高校に入った時の成績は、上から3番目ぐらい。バイトに明け暮れる毎日。さらに成績で最下位、謹慎3回ぐらいした彼氏と3年ぐらい付き合い、どんどんダメな人生を歩んでいった。
当時の自分の口癖「まぁいいか」に疑問を持ち、その言葉が自分に与える「孤独」に気付き、ここでも毎日泣いていた。
小学生の頃から、泣いていない日の方が少なかったかもしれない。
また小学生高学年の頃から、塾には行っていたが、塾も気休めでしかなく、ほとんど遊びに行っているようなものだった。
塾で、私はどういう進路歩んだら良いかわからない!と相談すると、お前は良い大学に行って、良い企業に就職し、良い男性と結婚するのが良いと言われ、その人生に魅力を感じず、また勉強するのはやめた。
その後女子大に入るのだが、その大学を選んだ理由は、当時の悪い彼氏が女子大に入って欲しいと言ったこと、塾にいた可愛い先輩がその女子大に行ったこと、後は楽に卒業できそうと言う観点で決めた。
大学生
私は可愛い女の子が好きだ。私の女子大には、相対的に可愛い女の子が多く、そんな女の子たちに囲まれて過ごす毎日は楽しかった。
私は、ずっと大人に憧れていて、中学生で社会の時間に習った「人には権利」という物がある、ということを信じていた。
20歳になると、法律上は親の保護下から出て、責任のもと権利も主張してよくて、今度こそ自由になれる!自由になることを宣言していいのだと思っていた。
実際に20歳の誕生日には、親に手紙を書いた。今まで嫌だったこと、、、ではなく、今まで育ててくれたことへの感謝と、自分の今後に対する意思表明だ。旅立つ感じのする手紙で、寂しいと親には言われた。
そして、ずっと憧れていた海外に行くということを実現する。
後からわかったのだが、私の海外行きたい欲は、日本にいると母が干渉してくるため、自由になるには海外に行く必要があったからだ。なので海外がめっちゃ好き!というわけではない。(もちろん嫌いではない)
バイトを毎日3つして、お金を貯めて、タイに行くことを決意。
お金がなく、周りの人が行っている、アメリカ、オーストラリア、カナダなどのキラキラ都市には行けなかったし、さらに、タイへは留学ではなくインターンで行ったので、毎日ボーッと海外を楽しめる感じでもなかった。
結果的に、留学ではなく、インターンしたことで、今の自分があるのだけど、たまたまインターンをしたというのは、私の人生を180°変えた出来事となった。
ここでCtrl+Cのコピペから学ぶ。ITという世界を知り、周りにマーケティングや、エンジニアの友達が増える。
社会人〜現在
タイの後、そのままフィリピンへインターンに行き戻ってきたのは、4年生の3月。もう大手IT企業の選考は終わっており、特に行きたい企業もなかったため、友達におすすめされた企業を受けてみる形で就活スタート。
大手IT企業、ITベンチャー、ITスタートアップの選択肢があり、最終的には人で決めて、ITベンチャー入り。
今はマーケティング部に所属。
自分の人生を振り返って
私は受験勉強をしたことがありません。昔は自慢だったのですが、今は気軽に言いたくないコンプレックスになっている。
学歴もなく、Fランクの大学出身者です。人生やり直すなら、勉強していたし、良い学校に行く努力をしていたと思う。
自分の身を置く場所によって、関わる人も変わるし、それにより考え方も、価値観も変わる。
ただ私の人生で一つ言えるとしたら、気づいて行動すれば「人はいつでも変われる」ということ。
可能性は無限大である。
私は自分の短所、もちろん長所も理解している。補わないといけない短所に関しては、普段の業務で克服できるように設計して、意識づけている。
今まで努力をしてきていない分、「人よりも1回は絶対多くやる」というのは、自分に対するキーワード。
(最近運動を始めたのだが、教えてくれる人より1回多くを意識して取り組んでいると、足がムキムキになってきた)
学歴は裏切らないと思う。なので学歴がある人は優秀である可能性が高い。ただそういう人たちと勝負していくには、結果で証明するしかないと思う。
それが社会。厳しくも、戦略的に進めればどんな人でも勝てる可能性のある社会で、自分を育てる気持ちで、今日も頑張る。
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