見出し画像

歴史・人物伝~松陰先生編①吉田松陰が「先生」と呼ばれる理由は?

幕末から明治にかけて、長州藩(山口県)出身者が大勢活躍しました。明治のリーダーだった伊藤博文や山県有朋、維新三傑の一人・木戸孝允(桂小五郎)、そして幕末の英傑である高杉晋作や久坂玄瑞。

木戸を除く4人は松下村塾で学びました。その師こそが吉田松陰です。松下村塾は地方の小さな私塾に過ぎませんが、日本の歴史を変え、明治の日本社会を支えた人材が次々と巣立っていきました。


吉田松陰は、地元の山口県萩市で今でも「松陰先生」と呼ばれ、多くの人たちの尊敬を集めています。木戸や伊藤、山県らをあまり「先生」と呼びませんが、なぜ松陰だけが「先生」なのでしょうか?

その理由は、松陰の教えにあるのではないかと私は推察します。一つは、単に知識や教養を得るだけの学問ではなく、その知識を実践に生かすことが大事という考え方です。

もう一つは、身分の分け隔てなく誰でも入塾を認めたという姿勢です。高杉のような上級武士の子もいれば、足軽など軽輩も多く、「学びに身分差別はない」というのが松陰の信条でした。

松陰は優れた指導者でしたが、同時に革命の志士でもありました。その激烈な生涯は、安政の大獄によりわずか30年で閉じたのです。松陰が残した教えは、高杉や久坂らに引き継がれ、維新へとつながっていきます。


吉田松陰が「松陰先生」と呼ばれるまでの半生は、自身の「学び」を積み重ね、深めていった時期でもありました。その生涯をたどりながら、「松陰の学び」をキーワードに松陰先生編を書いていきたいと思います。

noteでは連載コラム、エッセイをほぼ毎日書いています。フリーランスのライターとして活動中ですが、お仕事が・・・ご支援よろしくお願いいたします!