見出し画像

わたしについて

自分の事を語るのは、難しく感じますが、私の半生をまとめてみました。

幼少期

人見知りが強くてなかなか友達を作れなかった、幼少期でしたね。親に友達になってくれと言ってもらったのを今でも覚えてます。
その子とはその後ヒーローごっこなどして、日が暮れるまで遊んでたな〜。その後活発な子になってたんだけど4歳くらいで車に引かれて大腿骨を骨折してから少し大人しくなってしまった。

小学生
骨折から復帰して小学生は楽しく過ごしていた。柔道やりながら毎日ファミコンや漫画など見て友達とのんびりしてた。しかしまた卒業式前に車に引かれて、今度は首を痛めたのでした。しばらく不調に悩まさせる。

中学暗黒期
なんとなく不調のまま中学生になり、環境も変わったからか友達とも合わずに自律神経不調で不登校になってしまう。この頃の自分を支えていたのはプロレスかな、不登校の中で兄と行ったプロレスに感動したり、助けられたと思う。
中3で学校に復活したけど勉強は全然ついていけなかった。

アルバイト期

高校に行かずイラストの専門学校や役者の養成所など通うけど長く

続かなかった。その間はフリーターとしてアルバイト。

自慢ですが、アルバイトは沢山した。
そして自慢ではないが、ほとんど長続きしなかった。

ざっと、上げると

ガソリンスタンド、イタメシ屋、喫茶店、ファミレス、居酒屋、パブ、ガラスクリーニング、引越し、ぬいぐるみ、ラブホテル掃除、薬のインタビュー、クリーニング屋、テレアポ、交通整理、警備員、イベントスタッフ、お化け屋敷、ビアホール、あんこ屋、ホームヘルパー。

この頃の自分は何かになりたくても、なれない「何者でもない」自分で毎日を過ごしていた。

いま振り返ると無駄な日々な気もするし、掛替えのない日々の様にも思える。

とにかく自分が熱くなる物を探していた。

リラクゼーション期

そんな自分がやっと見つけた熱中出来る仕事が、「クイックマッサージ」だった。

当時22歳くらいで飛び込んだ世界、初めて人に「楽になったー」「指名したい」と言われた時に「これだ!」と確信した。当時は解剖学や整体の方法など全く知らずに、ただひたすら教わった指圧を丁寧にやっていた。

この頃の気合は今でも叶わないと思う。

柔道整復師学校期 
人生の大きな転機が接骨院へ見習いで入った事だった。
当時は資格もなく、少しリラクゼーションで経験がある状態であった。なぜか面接の日は眠たくてすっぽかしたのに、後から接骨院の院長から電話があって私は外出していたので、母親が対応した。
その対応が素晴らしかったと院長から、面接なしで「来なさい」とお声がかかり働き始めるという、今考えるとどーしょうもない事をやっていた。
でもコレがなければ後の柔道整復師学校へ入学する事もなく違う生活をしていたのかもしれない。

接骨院院長期

この頃学校を卒業と同時に、修行していた接骨院の院長が辞める事になり資格取得したばかりで、院長になる事になった。

めちゃくちゃプレッシャーになって初日にギックリ腰となり後輩に院を任せるという自体になりました。

我ながらメンタル弱いな〜と思いつつ、周り方に感謝を忘れない事を学びました。

整形外科で修行期

この頃は接骨院で経験を積んで自信満々で「今度は整形外科で活躍するぞ!」と意気込んでいたのですが、整形外科のスピードについて行けず、最初の整形では二ヶ月くらいで転職を決意しました。
接骨院と整形外科ではまるで競技が違う感覚でしたね。気合を入れ直して2つ目の整形外科では何とか仕事を続けれてましたが、毎日ギリギリの精神状態で「やらなきゃやられる」くらい気合を入れてないと、ついていけない状態でした。ある時フト「このままでは倒れてしまう」と思い次の仕事を探しました。

デイサービス管理者期

整形外科から脱出した私は、次に前々から興味があったデイサービスの機能訓練指導員をやろうと思い面接にいきました。
私は普通の機能訓練指導員で良かったのですが、ちょうどオープンニングのデイサービスだったので「管理者もお願いね」と言われて、軽い気持ちで管理者兼、機能訓練指導員となりました。

全く経営経験がないので、懇親会に参加したり、飲み会でケアマネさんと仲良くしたりと施術とは関係ない事をする必要性を学びました。
営業は楽しい飲み会が大切です。売上もそこそこ伸びた所で、「もう少し施術や機能訓練に時間を取りたい」と感じて今度は介護施設に転職します。

特養機能訓練期 
営業もいらない、送迎もなく機能訓練だけに集中出来ると思って今回は特別養護老人ホームに転職します。
今回も入ってみて分かるのですが、ただマッサージや体操をする事だけが仕事ではなくて、施設全体の業務も絡み、色々な事への対応が求められます。
入ってみて、やった事がない事が多かった。
・移乗動作指導、褥瘡へのポジショニング、生活リハビリ指導、福祉用具選定、レクリエーションの企画、職員の健康管理などなど。
これまた施術だけに集中出来ない環境でもありましたが、利用者さんや職員さんが喜んでくれると嬉しく今だに続けている仕事となっています。

認知症改善整体期

認知を改善する整体として、スタートした活動です。当初は独立も視野に入れてましたが、コロナと重なり活動も自粛して、現在は数名の方をサポートしています。4年くらいサポートしてますが認知機能は維持されていて、やはり脳や体への刺激が大切と感じています。特養に入居する方はかなり認知症が進んでいて、あまり改善にはいたらないので施設に入る前に出来る事をやるといいですね。例えば水分量をしっかり摂取したり、脳トレをやったり、体を動かしたりと普通の感覚に戻る事が大切です。

通信大学期
コロナで飲み会もほぼ無くなり、暇になったので、暇つぶしに「大学生になってコンパをしよう!」と思って入学しました。中卒の私は大学コンプレックスがあり憧れていたのです。大学は編入だったので二年間で卒業となりましが、憧れの単位とかレポートとかに追われる日々を過ごす事が出来て満足でしたね。
欲を言えばコンパがしたかったですが(笑)

鍼灸学校期

これはこれから始まるので、また次の話ですね。

こうやって半生を振り返ると、何だか面白いですね。

また更新しますので、見てくださいませ!

この記事が参加している募集

#自己紹介

230,907件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?