[小説] リーラシエ ~月齢6~
「…ん?」
凄まじい轟音とともにディアナは目を覚ました。
窓から外を見ると、朝だというのに真っ暗で風が暴れ回っていた。太い幹を携えた木は毅然と立ち続けているが、木の葉は風に吹かれ枝から離れていく。
「おはようございます。外うるさくて起きちゃいましたか?」
リーラシエはまだ寝ぼけているディアナを覗き込んだ。
「はい。すごい音で。リーラシエさんは早いですね。」
半開きの目をごしごし擦り、ディアナは大きな欠伸をした。
「外は暗いですけれど、もうとっくに日は昇っている時間です。」
「え?!」
ディアナは驚いて窓の外とリーラシエを交互に見た。確かにいつもよりお腹が空いている気がする。
「ディアナさんは、朝弱いですか?」
リーラシエは控えめに尋ねた。
「はい。実は。」
ディアナは照れたように頭をかいて目線を逸らした。恥ずかしさからか頬が少し上気している。
「旅人なのに朝寝坊かって笑われるんです。」
ディアナはより一層恥ずかしそうに目を伏せた。
「昨日、一昨日と早起きしたから、そのツケが回ってきたのかもしれません。」
「そうなんですね。なんだか安心しました。」
「え?」
リーラシエは顔を緩めてディアナの方を見遣った。
ディアナはリーラシエの真意がわからず困惑している。
「私、ディアナさんは完璧超人だと思っていたので、その、苦手なことがあるって知って安心しました。」
リーラシエは失礼なことを言っていないか心配で、恐る恐る言葉を繋いだ。
「あはは。」
ディアナは突然わっと笑い出した。
「完璧超人だなんてとんでもない。私はただのしがない旅人です。」
目をぱちくりさせるリーラシエをよそにディアナは武勇伝のごとく失敗談を語りだした。
「まだ旅人になってまもない頃です。私は海を見たことがなかったので、まず始めに海を目指しました。しかし、歩けど歩けど一向に海は見えませんでした。」
「ミャ?」
朝食を終え、暇を持て余した猫がいつの間にか側に来ていた。続きを促すように声を鳴らす。
「歩き疲れて、空腹も限界に達した時、一人のおばあさんに出会いました。疲労に顔を歪めている私を見て、おばあさんは咄嗟に駆け寄り、近くにあるという自身の村に案内してくれました。」
話しながら、ディアナはその時のことを思い出しているのだろう。徐々に顔が綻んでいく。
「それで、おばあさんは美味しいシチューをご馳走してくれて、元気を取り戻した私は聞きました。『海はどこですか?』と。」
ディアナは口元を緩め、ふっと息を洩らした。
「そうしたらおばあさん、目を丸くして素っ頓狂な声を出したんです。私はびっくりして思わず後じさりました。」
堪えきれなくなったのだろう。ディアナは身をよじって笑い出した。
「おばあさんは言いました。ここから歩いて海に行くのは不可能だと。徒歩だと足場の悪い険しい山路を越えなければいけない。でもしばらく歩いたところに川があって、そこに川渡しがいる。その人に言えば、海に連れて行ってくれると。」
ディアナはひとしきり笑い終えたのか、呼吸は落ち着いている。
「私、知らなかったんです。旅の常識を何も。その時初めて知りました。情報は旅人の命綱だと。」
ディアナの大胆な失敗談にリーラシエは思考が追いつかなかった。もし、そのおばあさんに出会わなかったらディアナはずっと歩き続けたということだろうか。だとしたら、危機一髪だ。
「おばあさんに会えなかったらのたれ死んでいたかもしれません。危ない。」
ディアナは快活に笑った。
一方のリーラシエは笑い話ではないのでは?と苦笑した。
しかし、そんな失敗も笑い飛ばせるくらいディアナは旅人として成長したのかもしれない。地図、羅針盤、携帯食料。ディアナの持ち物は最低限で洗練されている。少ないが、不足はない。過不足のない持ち物を選別できることは熟練した旅人の証だ。
「それから、私は旅人に出会う度に聞きました。『旅のコツは何ですか?』と。もちろん、全員が答えてくれたわけではありません。顔をしかめ、足早に去っていく人もいました。しかし、私は聞き続けました。旅人として成長して、あの子に会うまでは私は旅をやめないと心に決めていますから。」
ディアナは確固とした決意を滲ませた。リーラシエも猫も感心したように見入った。
「…旅を続けているということは、まだ『あの子』には会えていないんですか?」
ふいにリーラシエは呟いた。自分でも意図していない発言に戸惑った。
「ごめんなさい。変なことを聞いて。」
狼狽するリーラシエにディアナは優しく首を横に振った。
「はい。まだ会えていません。何せなんの手掛かりもありませんから。とにかく進んでしらみつぶしに探すしかありません。」
そう語るディアナの顔は絶望ではなく、むしろ希望に満ち溢れていた。
「でも、もし会えなくても、あの子がどこかで生きてさえいれば、私はそれで満足です。」
実に清々しかった。ディアナは本当に『あの子』の幸せを願っていることが如実に伝わってきた。
それと同時に『あの子』はすでに幸せだとも思った。ただ生きていてほしいとディアナに願われるほど『あの子』は思われている。それ以上の幸せがこの世にあるのだろうか。
「朝食を用意しますね。」
絡まった気持ちを抱えながらリーラシエはキッチンの奥へと消えていった。
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