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[小説] リーラシエ ~月齢1~


          第二夜 月齢1


「…うん?」

ディアナが目を覚ますと外はすでに明るかった。寒い季節にも関わらず太陽は持てるエネルギー全てを発散させるように輝いている。

「これは…」

腕の間に沈めていた顔を少し上げると、テーブルの上にティーカップと焼き菓子が置いてあった。肩には毛布が掛かっている。寝ている間にリーラシエが掛けてくれたのだろう。

「リーラシエさん?」

ディアナは家の中を見回したがリーラシエはいなかった。昨日足元に寄ってきた猫も見当たらない。どこにいるのだろう。

「ははっ。」

細く高い声が耳に飛び込んできて驚いて声がした方を見た。窓の外にリーラシエと、猫もいた。嬉しそうに草の上を裸足で駆け回ってはしゃいでいるリーラシエを猫も嬉しそうにぴょんぴょん飛び跳ねながら追いかけている。

ディアナはその二人から暫く目が離せなかった。笑っている。それも声を出して。リーラシエはディアナを快く迎えてはくれたけれど、笑顔という笑顔は一切見せなかった。だからあんなに楽しそうに笑っている姿を見て息をのんだ。

窓の外を眺めているとディアナが起きたことに気づいたリーラシエが猫とともに戻ってきた。

「あ、おはよう…ございます。」

リーラシエがきごちなく挨拶をした。

「おはようございます。焼き菓子いただきました。おいしかっです。ありがとうございます。」

ディアナはぺこりと頭を下げた。さすが旅人なだけあって初対面の人との会話に慣れている。すらすらと流れるように言葉が口をついて出てくる。

「朝食を…用意しますね。…大したものはありませんが。」

リーラシエは微かな驚嘆を隠すようにそそくさとキッチンに向かった。今のディアナの様子を目にして、やっと実感が湧いた。初見の人にも笑顔を向け、滑らかに言葉を繋ぐ。これが旅人なんだ。

リーラシエは自分と対極だと思った。顔見知りの人でさえまともに言葉が出てこない。ましてや笑顔を向ける余裕などない。初対面の人となら俯いているのが常で相手に顔を向けられればましなくらいだ。

「どうぞ。」

リーラシエは湯気をあげているスープを控えめにディアナの前に出した。ディアナは目の前に置かれた色とりどりのスープを目を見開いて凝視した。かと思うと今度は立ち昇る湯気を胸いっぱいに吸い込んだ。

「新鮮な食材ですね。どこで調達したのですか?」

リーラシエに質問を浴びせるディアナの目は好奇心に満ちた輝いた目をしていた。リーラシエは不思議に思った。確かに食材は新鮮だろうが、一口も食べずに分かるのだろうか。

「食材はすべて今朝近くの茂みや森で採ってきました。」

それを聞いたディアナはますます目を見開いた。自然由来の食材と出会うことはしばしばあるが、採れたてというのは滅多にお目にかかれない。興奮した様子でスープに向き直り、手をあわせた。

「いただきます。」

慎重にスープを掬い、口に運ぶ。瞬間、ディアナの目がぱっと輝いた。

「おいしいです、すごく!」

ディアナがキッチンにいるリーラシエの方を見て言った。それはお世辞や嘘ではなく、紛れもないディアナの本心だった。ディアナの輝く目線を直射されたリーラシエはばつが悪そうにキッチンの壁に背をつけた。

こんなにも喜ばれるとは思いもしなかった。いや、そもそも人がお世辞でなく素直に賞賛の言葉を口にすること自体が驚きだった。ディアナが心からおいしいと思って言ったことはリーラシエにも分かった。

ディアナの食事が終わるのをキッチンから遠目に見ていたリーラシエはディアナがスープを飲み干したのを確認するとそそくさと皿を片付けた。

褒められるのに全くといっていいほど慣れていないリーラシエは、意図せず賞賛を受け思考が右往左往していた。しかしそれと同時に確かに嬉しさも感じていた。未だかつて他人から褒められこれほど心が温まったことがあっただろうか。




遠い昔、まだリーラシエが子どもだった頃、大人に褒められたことはある。けれど、それに対して素直な喜びを感じたことはない。大人からの賞賛には何か思惑が隠れているように感じてならない。

「いいことをしたら褒められる」という定説があるが、その「いいこと」というのは大人にとって都合のいいことと言い換えることができる。子どもは大人に褒められると喜ぶ生き物だから、それを利用して褒めることで餌付けしているのだろう。

大人は「いいこと」をした子どもを褒め、褒められた子どもはまた褒められたいと思い「いいこと」をする。そうすれば巧妙な策略も小細工もなしに子どもを思惑通りに動かすことができる。

もちろん、子どもの頃はここまで考えが及ばなかったが、幼いながらも大人が褒めることに裏があることには勘づいていた。そのため、褒められるといつもムスッとした顔をしていた。

これが大人たちは気に入らなかったのだろう。リーラシエは「可愛くない子ども」と認識され、見事に煙たがられた。周りの子どもたちも大人に唆されたのか知らないが、リーラシエに関わろうとする者はいなかった。

リーラシエはそれで一向に構わないと思っている。他人から褒められることを期待して生きるなどごめんだ。リーラシエは窓から空を見上げた。日の光に照らされたその顔は僅かに歪んでいた。

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