【正師を得る】ノー・禅・ノー・ライフ5

心の教科書、大愚和尚さまのyou tubeより。

題名:本物の師から学ぶとき、人間は器が大きくなる

今日の言葉:正師(しょうし)を得る

「道」がつく学問。ついている理由。まさに、今年から茶道を学び直した理由をはっきり言語化してくださっている動画でした。お茶の入れ方を習いにいっているわけではないんだ、そうだ、私は自分の人間としての「器」を、長い年月をかけて深め、広げていきたいんだ!

「道」の意味は、禅の考えからきていて、すべてのジャンルにおいて、心技体の融合が関係している。道を究めることは、自分道を究めるに通づる。

ひとひとりとして同じはないから、師匠のコピーを継承するわけでなく、師匠から学んだ自分道を次世代に継承していくことが文化となるんだ。これって、ブランドや家の継承と一緒だ。

相談者さんの「師匠を鬱陶しいと思う自分が嫌です。」の言葉に対しての、和尚さんの言葉がこれまた分かりやすく入ってきた。

「師と弟子(熟練者と若者でもいいかもしれない)の時の流れは違う。なぜ要点を絞って効率的に教えてくれないのか?イライラしていた。あるときからイライラしなくなった。物事を見る視点を変えた時からです。」

私も覚えがある。「失敗したあとで、「失敗すると思ってた」ってどういう事?!結果出ないことは会社としてマイナスなのになんで教えてくれなかったの?!」と、当時の私が理解できなかったこと、山ほどあったなぁ。そして、5年経った今、なんと愛情深い教えてあったのか!と驚き、慄く(笑)

「効率化」が最優先とされている現代で、禅のような指導法は、非効率の極みかもしれない。

でも。人間力を育てる最高の指導法だと私は思う。効率化社会にはない、「時間をかけて育む愛情」が存在しているから。あの時すぐ答えをもらって仕事をしていたら、指導者の真意や愛情に気がつかない人間になっていたかと考えるとゾッとするし、改めて指導者に対する畏敬の念がわいてくる。

動画内であった、「コーラと夏みかん」の話と合わせて考えると本当分かりやすい。そうなの、コーラはいつ、どこで買っても同じ味。でも、毎年育てる夏みかんは、年によって味か違う。これが、生きている味。生きている味は、複雑で、同じものがない。深みなんだ。すべての本質につながってくる。

教育も、均一のカリキュラムを教えるだけでは、その人の個性や強味が引き立たない。私が師事している先生は、ある一定以上のレベルの授業は、すべてカスタマイズ形式。この方法に、分かりにくさを感じて離れていく人もいた。そうか、その人たちは、コーラのような均一である安心を求めていたのか!私は、魂磨きをしたい派なので、この複雑な味がする教育法に惹かれ、今も学ばせてもらっている。

一生をかけて魂を磨いていきたい。そのためには、正師が必要だ。正師の存在は、人によって様々だと思うけれど、「この人尊敬できる!」と思えたすべての人が、心の師となり、自分の血肉となっていく。

「諦めて、素直に正面から学んでいきましょう。応援しています。」和尚さんのメッセージ、とても暖かかった^^

また次回^^


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