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2024年3月8日 金曜日

煙草が切れたので、朝一番でコンビニに買いに行くことにした。外に出たら雪が少し積もっててびっくりした。テレビがない、ラジオもそんなに聴かない、ネットもそんなに見ないと世の中のことが本当にわからない。わからなくてもいいのだが、たまに怖くなる。正月の地震も結構時間経ってから知ったし、きっと首相が変わっても戦争が起こっても、すぐには知れないような気がする。

昼は唐揚げを揚げた。電子レンジが壊れて数ヶ月が経つが、なくても何だかんだやって行けるものだ。一食分を食べ切れるだけ作って、出来たてを全部食べ切るのも美味しいし気持ち良い。冷凍食品は自然解凍するか、そのまま料理に使ってしまえば良い。揚げたての唐揚げは美味しかった。自分の命になるものを自分で作って食べる。命の作業。山椒を少しつけて食べるのが好きだ。

この茶碗はこの間百均で買って来たものだ。形も色も気に入っている

雪が降ったことは知らなかったが、鳥山明先生が亡くなったことを、タイミングが合ってネットで知った。私が高校生〜20代の頃、ジャンプは黄金期だった。「Dr.スランプ」が始まった頃から、鳥山先生の作品は傍にあって、特に熱心なファンじゃなかったとしてもそれは日常だった。昨今偉大な著名人が亡くなって、SNSでびっくりしたり悲しんだり信じたくないと言う人を多く見る。確かに私も昔はそうだった。しかし亡くなり方が事故や自死でない限りは、私はもうそんなにショックを受けないようにしている。人間は生きてれば死ぬもの。それは自然の摂理だ。辛くても受け入れなければならない。どの年齢でもいつ亡くなってもおかしくない。みんな寿命まで生きられると信じすぎだ。そんな保証がどこに?みんな1秒先死ぬかもしれないんだ。私もあなたも。そういう風に思って生きていれば、悔いのない人生を送られるから、私はやりたいことはすぐやるし、行きたい場所にはすぐに行く。
私は「ご冥福をお祈りします」という言葉が好きではない。私にとってよく意味がわかってないからだ。私の胸にすとんと落ち着く言葉は「ありがとうございました」と「お疲れ様でした」だ。この世での役目を果たしてありがとうと、終えてお疲れ様でしたと。
いずれにせよ鳥山先生は、どれだけの少年少女に長年夢を与え続けただろう。悟空やピッコロやベジータもヒーローだが、間違いなくそれを生み出した鳥山先生こそが真のヒーローだ。

日本は死をタブー視しすぎてる気がする。もちろん私も死ぬのは怖い。何故怖いのか?それは死後の世界のことを誰も知らないからだ。幸せになれるのか怖い思いをするのか無になるのか。誰も知らない。知らないこと、解らないことは怖い。でも自分なりに死とは何だろうと考えてみる。それが何となく形になって来てネガティブなものでなければ、若干恐怖も薄まる気がするのだ。
恐らく、原始的な民族の人たちはもっと死を自然として受け入れてる気がする。太陽が昇るように。風が吹くように。オカルトや民俗学に興味を持って少しだけだけど知識を入れてるうちに、国や政治や宗教や時代によって価値観なんて全然違って来ると、そんな当たり前のことに気づく。

民俗学については、このラジオを聴いたりしている。

壊れたPCは粗大ゴミにも出せないから、ずっと2台家にあったのだが、今日引き取ってくれる業者に発送した。フリマで商品が1つ売れた。また少しだけ身軽になった。

「三匹の男の美学」をの江戸川乱歩の回を見る。山田五郎さんのYouTubeもそうだが、竹内さんのような知識人が好きなものを語ってるのは興味深い。

夕方になってまた体の痛みが増して来た。熱を計ったら少しだけある。すぐ解熱剤を飲んだ。明日は江ノ島に行くのだから、寝込むわけにはいかない。
体力つけておこうと、ペペロンチーノを作って食べた。

にんにくとほうれん草!元気になれ!

たくさんリンパを流すとトイレの回数が増える。さらに水分もめっちゃ摂るから、さらに頻繁になる。

今日の音楽はミレーの枕子を集中的に聴いた。とても好み。

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