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感じるとは・・・。理解ではなく、その先には「いまに在る」ということにつながっていく。

こんにちは。


ピアノ講師、メンタルコーチとして活動しています。
「One Heart」です。


食欲の秋・・・。
本当に、食事がおいしいと感じられる今日この頃。

小田急 箱根ハイランドホテルのディナー。
器もすばらしく、見た目からもおいしい♡


写真は、10月に宿泊した箱根のホテルディナーの写真。


ハーフコースなので、ちょうどいい感じでいただけます。
その日の気分で、お肉かお魚か選べるのもGoodです。


お料理を持ってきてから、内容を説明してくださるので食べる前からワクワクします・・・。


デザートも”秋”らしさが感じられて、本当に満足なディナーでした。


秋ってほんとうに、食べ物がおいしいからついつい食べ過ぎてしまう・・・。


実りの秋・・・。


日本って、ほんとうにすばらしい国だとあらためて感じた旅行でした♡


+:-+:-+:-+


今日は、「感じること」とは・・・ということについて。
「五感を感じること」は生命のプロセスの一環であり、「感じること」を超越したその先に「いま、この瞬間」があり、あらゆることへの”気づき”の源泉となる。


こんなことをテーマに書いていこうと思います。


ピアノを演奏することを例にして、お話してみたいと思います。



楽器の演奏をしたことのある人ならわかるかもしれませんが、
楽器は「頭」で弾くのではない、というのを体感したことありますでしょうか?


感覚で・・・という表現もありますし、
身体で覚える、という表現もあります。


頭では理論として、ピアノを演奏する際に身体のどの部分を使って弾くか、どの部分に意識する、そしてここは脱力するなど、頭で理解することをレッスンなどで基礎として学びます。


でも、実際に弾ける弾けないに関わってくる大切なことは、「技術の習得」であって、これは楽器の演奏に関しては、「頭」ですることではありません。


この、「習得」というのが、「身体で体得する」という意味となり、まさに、「身体で覚える」ことに他ならないのです。


「身体で覚える」と言葉でいうのは簡単ですが、
そこには、五感で感じられるありとあらゆることを身体に染み込ませる作業になります。


鍵盤を打鍵した時の指の力(強さ、弱さの感覚)、
音が出た時の音色の聴こえ方(柔らかい音、硬い音)
打鍵の仕方によって変わる音の響き、
鍵盤をタッチする指の触感、
次の音を打鍵する際の運指の方法などなど・・・。


あげたらきりがないのですが、こういった感覚を駆使して、
わたしたちはピアノを演奏するわけです。


ピアノを弾く、ということは
まずたいてい、楽譜を読む、というところからスタートします。
(幼児期などはそうとは限りませんし、楽譜に頼らない人もいます)


楽譜に書かれている内容を”音”にする。


まずは、楽譜のとおりに弾けるように練習するわけですが、楽譜ばかりに頼っていると”脳”で弾いている範囲から抜け出すことができません。


目で「楽譜」を追って、指を動かしている状態だから、脳がフル回転した状態になります。


これでは、「感覚」に頼るというより、「脳」に頼った演奏にどとまってしまう。


ピアノを習得するというのは、さらにその先・・・、
楽譜に頼らない演奏にすること。
(もちろん、楽譜を前に置いていても大丈夫)


目が必死に楽譜を追いかけないで弾けるようになり、さらに指が勝手に動く状態にする。


ここまでいって、はじめてピアノを習得できた、といえるんだと思います。


それはほとんど、視覚だけに頼らない、五感(感覚)に依るところですね。


視覚は、五感の中でも一番情報を得ることに使っている部分。


ここがほとんど稼働している状態は、まだ「脳」でピアノを弾いている状態。
目で見て楽譜を読む作業というのは、楽譜を読むといういろいろな知識が必要になってくるから。
どこの場所が「ド」で、音符の長さがどれくらいで、リズムがこんなリズム・・・というように楽譜の知識を知っていないと音楽にできないので、この段階では、すべて「脳」でやっている作業、ということになります。


頭(脳)でやることは、視覚で楽譜を見ること以外に、指使いの司令を出すことや、音楽を表現する上での緩急をつけること、音を正確に打鍵することなど、おもに表面的なことをやる時に頭を使っています。


でも9割は、その他の感覚なのではないかと思うくらい、ピアノは、「身体」で演奏する、と言っても過言ではないほど、脳の範疇を超えた技術なんだと感じています。


「楽譜を見る」ことがダメなわけではなくて、
楽譜に頼りすぎる、ことが身体で演奏することを妨げているんです。


ピアノレッスンでも、これについてはよくアドバイスをします。
「脳」で弾くのではなくて、「身体」で弾くんだよ、と。


楽譜から少しでも目が離せるようになるまで、練習すること。
これは時間のかかることでもあるので、ピアノの練習は根気と勝負になるんです。


視覚だけではなく、その他の感覚もフル稼働できる状態になるまで練習すること。


それと、「いまに在る」感覚とは、
とても似ている、とわたしは感じています。


冬の冷たい風を感じる、
春の暖かい風を感じる、
寒い時に温かいスープを飲んだ時の「あったまる感じ」、
真夏に冷たいタオルに触れた時の感じ、
眠るときにあったかい布団にくるまれた時の感じ、などなど・・・。


日常生活のありとあらゆる場面の中で五感で感じることは、「いまに在る」を体感していることそのものなんだと思います。


これを、味わっていこう。


そこに、判断や考え、
ジャッジメントはいりません。


個人的な考えは、脳からもたらされるもので、
いい、悪いを伴ったもの
になります。


ピアノの演奏も、より良いものにするために、五感を感じた際の、判断は勝手に出てきてしまいますが、
(あ、今ミスしたとか、思うようにならない時のイライラとか)
弾いているうちにどこかに消えていくんです。


ミスしても、思うようにならなくても、その時の一瞬の判断は仕方ない。


さーっと流してしまおう。


こうやって、練習していると、だんだんと判断やジャッジしていても、流れていくから、「まぁいっか」とスルーできるようになっていきます。


日常生活のいろんなジャッジや判断の場面に出くわした時(自分に対しても相手に対しても)、
すぐにどっかに消えるからそのままにしておこう、と思うと、それが「いまに在る」状態そのものなので、その考えがすーーっと消えていきます。


わたしたちは、「諸行無常」の世界を生きているのだから、
ずーーっと同じではありません。


いつか、それは消えていきます。


例えば、
結婚したという知らせを聞いたり、実際に幸せそうに手をつないでいるカップルを見て一瞬イラッとしたような感情が湧き起こったとしても、こういった感情すらも一時的・・・だということに気づいていくのです。


これは、「こんな幸せは今だけでしょ・・・」みたいに、羨望や嫉妬のようなエネルギーで見るという意味ではありません。


わたしたちは、外側の誰かや何かと結ばれていなくても、ちゃんと自分の中に「幸せの種」を持っているのです。


この世で「感じる」ことは、すべて一時的である。


そしてわたしたちは、その「感じる」ことを超越したものを持っている。


ただ、「感じる」。


五感に敏感になると、この世のあらゆることに気づいていくようになります。


そして、「自分自身」にも気づくようになっていきます。


ほんとうに「いまに在る」には、それを超えていかなくてはいけない。


そのプロセスのなかに、「感じる」ことがあるのです。


+:-+:-+:-+


ブルース・リーの映画「燃えよドラゴン」の中の有名なセリフ。


「考えるな、感じろ」

とは、そういうことです。


+:-+:-+:-+


✧˙⁎⋆振り返りnote。
「生きる」ということを、現実的視点から書いています☟
”スピリチュアル”という言葉は、ふわふわとしたイメージがどうしてもついていて、なかなか受け入れられない人もいるかと思います。
「目に見えないこと」の方が大事、というのはたしかにあるかもしれないけれど、「目に見えること」も大切にしたい。(それがすべてではない、という前提で・・・)
「五感」を感じるプロセス、というのはまだ、「目に見える」範疇にあるのだと、わたしは感じています。


これが本当に体得できたら、今まで手をつけなかったことでも、苦手だったものでも、何でもできるようになるのではないか思うんです。



そして、究極的にわたしたちが人間として生を受けたのは、これが目的なのではないかと思います。
(もし、生きる目的があるとするならば・・・のはなし)


だって、肉体(身体)があるのだから・・・。


今日も”愛”あふれる一日をお過ごしくださいませ。



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