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【さとり#2】One Heart流 「さとり」の探求。思考はほんとうの自分ではありません。

こんにちは。


ピアノ講師、メンタルコーチの「One Heart」です。


このnoteは、有料マガジン『”差”取り(さとり)プロジェクト!ひとつの世界で生きる』におさめています。



みなさんは「さとり」という状態に興味がありますか?


いまこのnoteに目をとおしてくださっているということは、
多少なりとも「さとり」というワードに興味がある、
という方が多いのではないかと思います。


「さとり」って、特別なことではないんです。


お寺にこもって、修行して・・・さとりに至る。


そんなイメージもあるかと思いますが、
わたしたちはもともと・・・さとっている存在なんです。


でも、生まれてから人間として成長し、脳が発達する段階において人としていろいろな経験をしていくうちに、大切なことを忘れてしまうんですよね。


その、大切なことというのが、「さとり」の状態である、ということなんです。


ものごとをちょっと離れた視点からみること。
視座を変えること。
そこから見えること、感じること・・・。


そんな、”俯瞰する力”であったり、客観視できる力があると、
「さとり」に近い状態になっているのかもしれませんね。


そうなることで、人生というのが”軽く”感じるようになる。


「わたしの人生」から→ただのライフ(生命)


に変わるんです。


ただのライフ(生命)


ただ、呼吸して、ただ在る。


そんな感じ。


「わたし」というドラマの主人公を演じなくていいんです。


そんな人生を体験してみませんか?


時々無料で公開しています。
今回も無料記事です。


✧˙⁎⋆前回の記事はこちら↓
(前回の記事も無料記事です)


✼••┈┈┈┈••✼


✧˙⁎⋆今回、本文の中で引用しているご著書はこちらになります。
エックハルト・トール著「さとりをひらくと人生はシンプルで楽になる」


1.病気は思考のバランスがくずれた時に生まれている


思考をコントロールできないと、
自分を病気にしてしまうこともあります。
病気は、思考のバランスがくずれた時に生まれているのです。
思考力は、使い方次第で人間の最高の道具になります。
しかし、一歩「使い方を間違える」と、
役にたたないばかりか、有害にさえなってしまうのです。
より、正確な表現をすると、
「使い方を間違える」ではなく、
「使っていない」になるでしょう。
なぜなら、思考の側がわたしたちを使っているからです。

エックハルト・トール著「さとりをひらくと人生はシンプルで楽になる」より


「思考」がわたしたちを使っている!?


衝撃的な言葉。


よくよく考えてみると、「思考」にのみ込まれたりする感覚はこういうことを意味しているのでしょうか。


建設的に「思考」を使うと、自分を前に進めることがうまくできるけど、そうでない場合は、「思考」が進化の足かせになったりすることも少なくない。


思い通りの人生になっていないと感じる時とかがまさにそうかもしれません。


「思考」の使い方なんて気にもしたことない、誰もがそう思うはず。
「思考」の使い方に気づくだけでも、意識の向かう方向は変わってくるような気がします。


引用文にあったように、「病気」も「思考」の使い道によって引き起こされてくるのかもしれないですね。
(病気については今後のnoteで書いていきますね)


自分の人生の舵取りは「ほんとうの自分」がする


”思考”を「ほんとうの自分」だと思い込むことから始まり、
そこから「ほんとうの自分」って何?という自分の内面と向き合う旅路がスタートする。


もうちょっと深掘りした表現をすると、”思考”を「ほんとうの自分」と思い込むというのは、自己(思考)が強まってしまい、視野が狭くなってしまった状態ともいえます。


思考は、正しく使うと人生の舵取りがうまくなり、現実がスムーズに流れていく。


「エゴ(自我)」という思考の産物は、けっして”悪い”側面ばかりではありません。


ここで「エゴ」という言葉が出てきましたが、本書では「エゴ」を「にせの自分」と表現しています。


「エゴ」は思考活動があることで、その存在が成り立っています。
エゴはたえず考えることによってのみ、生きられるのです。

エックハルト・トール著「さとりをひらくとシンプルで楽になる」より


今後たくさん「エゴ」という言葉が出てきますので、このことを頭の片隅に入れながら読み進めてくださいね。


「ほんとうの自分」と協力しあうことで、現実を思うように創造することができる。


まずは勝手にわき上がる思考を、「自分自身ではない」と認識する。


自由への第一歩。
自分の思考は「ほんとうの自分」ではない、と気づくこと。
この気づきは「思考を客観的にながめる」ことにつながる。


思考を「客観的にながめる」。


思考を客観的にながめると、高次の意識が活動しはじめる。


思考をはるかに超えた果てしない「知性の世界」が存在することや、思考はごく小さな一面にすぎないことにも気づきはじめる。


2.思考を客観的にながめる、とは


思考は、意見をする、推測する、判断を下す、比較をする、文句をいう、好き嫌いをいう、といったことを休みなく行なっています。


最近のできごとの再現や、これから起こりそうな状況のことを考えたりもしている。


そんな時は、たいてい悲観的な考えをしていることが多い。


思考は、”過去”というものさしを使って、ものごとを判断している。
そして、それを記憶の貯蔵庫にしまい、いつでも取り出せるようにしておく。


思考は、”過去”というフィルターをとおして現在を見ていて、判断をしているため現実が歪んでしまっているのです。


でも、この思考の束縛から自分自身を解放することができる。


「思考を客観的にながめる」ということは、
自分の「思考の声」を聞く、ということ。

  • 今、イライラしている

  • 〇〇しなきゃ、と焦っている

  • 退屈だな、と感じている

など。


終わりのないひとりごと。
もうひとりの自分との会話。


わたしはこんなことを考えているんだ、とか
私はまだ、人と比較していたんだ、とか
いろんな発見がある。


いろんな、「自分」が見えてくる。


観察するときは、
あれこれ判断しないで、ただ見るだけ。


「観察」もけっこう忙しい。


自分が話した「言葉」に注目してみる。。


「言葉」はそのまま、「心のあらわれ」でもあるので、
いま自分がどんな思いでいるのかがわかる。


そして、「エゴでない(純粋な)心のあらわれ」が行動をともなう時に、
ほんとうの意味で、人に気遣いができる。


「エゴ」が沈静化すると、
あまり外側のことが気にならなくなってきます。

思考を客観的にながめていると、
その行為をしている、
「ほんとうの自分」の存在に気づきます。

同時に自分の内奥から、
魂の喜びがわき上がるのを感じるでしょう。
これが、「在ること」の喜びなのです。

エックハルト・トール著「さとりをひらくとシンプルで楽になる」より


この感覚になると、「自分」という存在を喜びとともに感じられるようになる。


思考、感情、肉体、外界などのあらゆるものの重要性が薄れていきます。


これが、「エゴ(自我)」のない、「無我の境地」と言われる感覚。


そして、「在る」という言葉。


これが、「ほんとうの自分」の本質をあらわす表現。


なんだかよくわからないけど、
”いい気分”を感じる
そんなときは「大いなる存在」とつながっているという合図。


そしてその状態は、
意識がない、のではなくて、
むしろ意識はとても敏感で、研ぎ澄まされている。


針に糸を通すような感覚で、とても集中した状態。


一瞬、一瞬の「いま」を逃さず、
パラパラ漫画のように瞬間を生きているので、
とてもキラキラとしている。


最初は数秒しか続かないかもしれないけど、
だんだんとその時間を持続させることができるようになる。


誰に何を言われても、
自分がどんな失敗をしても、
自分がひとりで孤独を感じていても・・・、


「大いなる存在」につながっていれば、
”幸せ感”を感じていられる。


こんな感覚になっていくんです。


目の前に起こる状況にあまり右往左往しなくなる、
そんな感じだと思います。


感情に圧倒されることが少なくなれば、だいぶ楽になりますよね。


今日はここまでです。


読んでいただきありがとうございました。


今日も”愛”あふれる一日をお過ごしくださいませ。


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