【繊細さん#29】「無価値感」についてのおさらい♡人に合わせるということ。
こんにちは。
今回は、繊細さん有料マガジン向けとなります。
記事後半は、マガジン『”繊細さん”という豊かさを活かす!!』ご購入者さま向けになります。
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前半部分でも十分深い内容になっていますので、このまま読んでいってくださいませ•*¨*•.¸¸♪✧
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✧˙⁎⋆振り返りnote☟
赤ちゃんの時は、”価値100%(200%かもしれないね)”だったのに、『無価値感』という”感”はどうやってつくられていくのか?
親(社会)から子へ伝達される「恐ろしい呪い」のような言葉がわたしたちの満点の価値を下げていくのです。
後半部分は有料部分となっています。(途中までは無料で読めますのでご興味あればこのまま読んでいってくださいませ)
✧˙⁎⋆もうひとつ。
「わたしなんて・・・」という思いの深いところにせまっています☟
誰もがある、といってもいいほどの人間あるあるな感情、「無価値感」。
この思いに”ふた”をすると、それはどんどんふくれあがっていく・・・。
それでは、本題に入りたいと思います。
人に合わせることが美徳とされている
日本では「人に合わせる」ということが美徳とされています。
日本の学校教育では、こんなふうに、人に合わせることが正しいということを習います。
学校教育が「我慢」という概念を強調するのは、お互いを理解することや協力することの基礎を作る上ではたしかに大切なことかもしれません。
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