岩のようなメンタルをつくる。そして頭はスポンジのように・・・。
こんにちは。
『執着』。
仏教の言葉です。
あまりいい印象のない言葉。
ネットの辞書で調べると・・・、
頭の中に、いつまでも持っている考え。
これが、「執着」といわれるものです。
「さとり」や「目覚め」など、これらのことを探求していくと、『執着』というものを”捨てる”(手放す)作業が必要になってきます。
「エゴ」はとらわれそのもの。
「エゴ」を捨てるということになってしまいますが、わたしは、「エゴ的考え」を捨てる(手放す)、という解釈でいます。
「エゴ」とは、過去や未来へと向かい、”いま”を拒絶する思考。
記憶そのもの、と言ってもいいと思います。
過去の経験の記憶は、「エゴ的思考」を増大させていきます。
だから、歳を重ねるにつれて、”あたま”がかたくなる、という表現があるのかもしれません。
子供の頃は、頭も柔軟で、スポンジのように、なんでも吸収します。(素直なのでね)
でも、歳を重ねていくと、〈わたし〉という考えが定着してきて、それが、「素直さ」から遠ざかり、頑固な考え方になっていきます。
これが、いけないことではありませんが、この思考が強い人ほど、生きづらさを感じるのかもしれません。
このことすら無意識で、自分の不幸は他人のせいと思ったり、自分の考えが正しいと自分を正当化したり、ややこしいことになっていきます。
すべては、記憶。
過去に自分に起きたできごとをいい・わるいの判断とともに記憶の引き出しに入れていく。
これが、”あたま”がかたくなる原因です。
記憶の引き出しにしまっても、ことあるごとに引き出しから出してこなければいいのですが、すぐにわたしたちは、引き出しを開けて判断してしまいます。
閉めっぱなしにしておいたらいいんですよ、笑。
記憶を持つことが悪いことではなくて、記憶を引っ張り出さない、ということが大切。
「とらわれを捨てる」ポイントは、ここにあるのではないかと思います。
実際に経験はしていないけど、過去に人に聞いた話とかも同じ。
人に聞いただけなのに、自分が経験したかのように、引き出しにしまっていきます。
さらっと流そう。
ちまたではこれを「スルー力」と言ったりしますね。
自分にとっていらないものは、記憶の引き出しに入れない。
そして、引き出しに入れてしまっても、あとからいらないと思ったら、それを捨てることもできます。
新しい記憶の引き出しを作る。
潜在意識の書き換えともいいます。
『瞑想』でも、新しい記憶の書き換えはできます。
あたまが”空っぽ”の時間を増やす(何も考えない時間を増やす)ことで、記憶の書き換えを行うのです。
頭は、スポンジのように、心は、岩のように・・・。
”岩”のようなメンタルにすることができます。
強くなるのです。
ささいなことでは、揺らがない・・・、ブレない・・・。
そんなメンタルを作っていこう!
お盆ですね。
心穏やかに過ごせますように。
今日も”愛”あふれる一日をお過ごしくださいませ。
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