note AIアシスタントに俺の書いた【告白日和、です!】歌詞考察のアンチをさせてバトルした
私はラブライブのガチ恋オタクである。先日ふと暇つぶしにいつだかに実装されたnoteのAIアシスタント機能なるものを見てみた。
私の目を引いたのは編集者的機能という点だ。記事の添削だけでなく、なんと文章の書き換えまでやってのけるとのことだ。
そして「反対意見を聞く」このボタンに強く心惹かれた。AIが反対意見を呈してくれるとのことだ。どんなものでも同意することは簡単だ、同様に形だけの反対をすることもまた簡単だ。
だが反対意見は難しい。確固たる意見と信念がないと叩きつけることは難しい。だから試してみたくなった。
AIのガチ恋歌詞考察記事の反対意見を見てみたい、と。AIに俺のガチ恋世界はついてくることができるのか。
幸い当noteはガチ恋貸考察に事欠かない。弾を用意することは簡単だ。そしてここにあるものを用意するということはこの土俵においてAIには負けない、という事を意味している。
今回、かねてより私が愛して止まない神の曲【告白日和、です!】をバトルフィールドとする。
理由はAIデビューだからよく勝手を理解していない為あまり分量の多くないものが好ましかったからだ。更にこれで使い勝手を学び高みへと行きたい。
そのためにまずはこの戦いを征する必要があるわけだ。
実際に生まれた「反対意見」
スクショが私の書いたものでありその下のがAIによる反対意見となる。
なお、良し悪しが主観的なものであるだなんだという話については「人それぞれ」という全ての対話を終わらせるブラックホールと同じものな為、相手するだけ不毛なので触れない。
1
私は歌詞考察が大好きなので常日頃から必然的にあまり歌詞以外の曲の部分について語ることが少ない。メロディやリズムに一切触れない楽曲紹介に対する苦言は至極真っ当だ。
だが3つ目、これは反論せざるを得ない。お前は【告白日和、です!】を聴いて何も感じることがないのか。遠回しにこの曲は頭すっからで楽しめる曲であると言われているに等しい。
事実何も考えず涎を垂らしその歌詞と声色の甘さを味わうのが王道なのかも知れない。
ここにおいては思考を逆説的にして欲しい。迸るガチ恋エナジーを接種して感じるものがある者だけが行ける領域があると。聴く人全てに考えさせるのではない、聴いてなにかを考えたものだけが先へ進むべきだ。
歌詞のその先、誰が歌っているか。即ちかよちんとことりちゃんがこの曲を歌っている、その意味を考えられるものだけが行く領域がそこだ。
2
なるほど。ガチ恋曲とラブソングの違い、その境界線は主観であり絶対的なものではないとの点にフォーカスした反対意見である。非常に大衆的意見でありまあ言わんとすることは分かる。
確かにAIの言っていることは正しい。事実これらの違いは紙一重かどうかすら危うい。あるいは別側面と言うに相応しい。その意見を否定しない。
だから先を往く者、限界ガチ恋オタクとして高みからのアドバイスを送ろう。
これらのガチ恋歌詞をどこか他人事のように捉えてはいないか? ただ流れてくるものとして耳に入れているだけではないか? それではこの高みへと辿り着くことは出来ない。
自己投影、それだけがこの世界における唯一にして絶対の約束。そうなった時、真に熱くなるものこそがガチ恋曲、お前だけのガチ恋曲。
だからAIの言う通り主観的なものでありそこに絶対的な線引を設けることは困難だ。故に考えることにこそ意味がある。自分だけが辿り着ける好きの波動だけが己の人生を彩るのだから。そこへ線を引けるのは自分だけだ。
3
確かに主語をでかくしすぎたことについては私に落ち度がある。だがそちらもまた現実だとか人はだとか少々主語が大きいように感じる。それはそれとしてやはり戦わねばねばならない点がいくつか顕在している。
事実話すだけで惚れられる場合が少ないことも、一方的に追いかけることが良きではないということも事実だ。常識の範疇で考えたらもう何も言うことが出来ない。
だが相手はことりちゃんだぞ、あの南ことりが相手だぞ。もうこれ以上言う必要はあるまい。
3つ目の「人は誰でも平等に自己表現や恋愛をする権利を持っている」とのこと、これも事実だ。だから人の世は回っている。そう、誰にでも平等に権利を持っている。だから強者が生まれ、その影で弱者も生まれる。
勇気を出さずとも告白できる者と勇気を出さないと告白できない者、真に強いのはどちらであろうか。勇気を出すことができる、ということは勇気を必要としないことよりも強くはないだろうか。
私はそんなかよちんにこそ心を動かされる、視点を絞れ。お前が見るべきはかよちんだ。
4
ここにおいても非常に鋭い意見が飛んできている、AIもまたラブライブ有識者であることがひしと伺える。それでこそ私の心も燃えるというものだ。
一つ目の意見、これは確実に【ラブライブ!】2期5話である「新しいわたし」のオタクの意見だ。この言い方、確実に5話の凛ちゃんと【Love wing bell】を意識していることが容易に見て取れる。
AIのこの表現、この心理描写は確かに凛ちゃんが似合う。それは非常に分かる。というかこれは反対意見とは呼べなくはないか。だってあまりにも分かりみが深いのだ。
だが、だからこそ考えてみて欲しい。1期においてかよちんは「背中を押される」側であったことを思い出せ。これが答えだ。まきりんぱなという関係性が持つ最奥を今一度思い出せ。
2つ目の意見、これは私の言い方が良くなかったのかも知れない。攻める側、攻められる側のパワーバランスは事実極めて繊細だ。攻めさせられているのかどうかによってもその関係性は変わってくる。
だが言う側、言わせられる側では明確に言わせられる側が弱い。結局最終的には言わせられたものが負けているのだ。ことこの思考へ至ればどちらかの立場が優れているかなどとは言えなくなるはずだ。
だからこそ【私から最初に伝えてしまえ「大好きです!」】が染み渡るんだろうが。
5
実際の生活がどうのこうのとか、人間の複雑さだとか、そんな大きな視点での話に焦点を当てている時点でガチ恋勢として三流であると言わざるを得ない。
それは現実の世界のように長い時間の果ての話か? 群像劇の中で生まれる世界の話か? 違うだろう。
""告白日和""の話をしているのだろうが。確かにずっと前からうんと前から聞いてみたかったよ。でも告白日和は今日この時だけではないか。
そんな運命の1日に頑張りすぎる姿がなくてどうする、そんな姿だからこそ心を打たれるのだろうが。「告白」だから他の視点や要素を考慮してない、この恋は盲目を地で行く周囲の見えてなさと真っ直ぐさに心惹かれるのだ。
この先の話も、断続的に続く未来の話も今は必要ない。そんな刹那を生きているからこんなにもこの曲は眩しく美しく脳に染み渡るのだ。ここにこそ瞬間に美しさというものは宿る。
AIならこういう歌詞考察をするらしい
参考程度に
「告白日和、です! 歌詞考察 ガチ恋」
で記事のアイデアも出してもらった。やはりnoteのアシスタントを名乗るだけあって大衆受けを狙った構築となっている。
特にラブライブ、あるいはガチ恋オタクでなくとも楽しめる視点。一般的な恋愛に絡めてオタク以外にも恋する者特効で攻めに行く姿勢には貪欲さを感じた。私の道ではないがなるほどこういう観点もあるのかと素直に関心した次第ではある。
背中を叩いて
巷で話題になるだけあり私の想像以上にAIの力の凄さを実感した。もっとワードの入れ方だとか効果的な区切り方だとかで面白い使い方ができないものか勉強していきたい。せっかくプレミアムにも入ったわけだし。
ことここにおいては新たな掘り下げの手段として非常に有用であると感じた。正味自分だけでは出すことのできない観点や言葉が出てくることによってより多角的に【告白日和、です!】と向き合うことができた。
AI視点だからといってバカにはできない。それらは大衆によって学習を繰り返すことで発達した存在なのだから。故にこれは大衆意見との対話と言っても過言ではないはずだ。
もっと長い考察に対する反論も見てみたいし主観がどうのこうのなど不毛な意見を弾くワードの入れ方等調べてまた別のバトルフィールドでAIとはAIまみえたい。
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