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ラブライブガチ恋曲厳選集。ガチ恋曲とラブソングは全くの別物、背中を叩いてさあ行くよ

私はラブライブガチ恋オタクだ。ここで言うガチ恋とはキャラガチ恋のことである。
西木野真姫ちゃんに狂いに狂った日々も今や彼方、その話は過去記事でしているのは前置きはそこまでとする。

ラブライブ楽曲の中にはガチ恋オタクを唸らせて狂わせる楽曲が多く存在する。今回は特に狂えるガチ恋曲を厳選していかに狂っているかを解説していく。
私がシリーズで無印と虹ヶ咲しか見ていない為、今回はこの2つにスポットを当てる。だがそれは純然たる可能性の広さを示している。サンシャインとスーパースター、私の知らぬまだ見ぬ力は確実に存在しているという可能性がな。

ガチ恋曲とラブソングの違い

そもそものスタートライン、ここが分からないと全ては始まらない。そのためここで軽くその違いについて説明する。

普遍的な恋愛のイメージを謳った曲、それがラブソングだ。対してガチ恋曲とはそのキャラ、否、人間の等身大に落とし込んだ恋愛曲だ。ここにある溝はあまりにも深く険しい。これを理解することがスタートラインといえる。
ガチ恋曲とは性質上必然的にキャラソンだとかそういった「個」に視点を当てられるような程度の人数の曲が該当する。
だがそこに注視して視野を狭くすることは愚かしい。境界線を理解するからこそ感じることができる力もある、全体曲に潜むガチ恋曲という可能性を模索することもまた気高い闘いである。

とどのつまりは向こうが、この子は俺のことが好きなんだなと確信できるかどうか。あるいはこの子のことが本当に好きだとしみじみ狂えるかどうか。これに尽きる。

非常に分かりやすい例として【Snow halation】や【もぎゅっと“love”で接近中!】これらはれっきとしたラブソングである。少し曖昧な面を攻めれば【ラブノベルス】【小夜啼鳥恋詩】は解釈によって別れるところであるが私はラブソングであると考える。
そして前置きが長くなったが私の脳をあますとこなく震わせるガチ恋曲と認識しているものを以下より紹介していく。

1つの歌詞で2つの王道 【告白日和、です!】

ずっと前から うんと前から
聞いてみたくて待ってた
私から最初に伝えてしまえ
「大好きです!」

告白日和、です!/南ことり、小泉花陽

この曲の話なくしてラブライブガチ恋曲は語れまい。タイトルから純度100%の濃厚なガチ恋エナジーを接種することができる。
ここにおいて特筆すべきこと、それは歌詞の強さだけではない。解像度だ。「分かる」「イメージできる」ではない。「見える」「見たことある」これである。
私はかよちんが、ことりちゃんが勇気を振り絞って勢いまかせに告白する様を見たことある、目の前で。これなのだ。ここに前述したガチ恋曲とラブソングの絶対的な違いが存在している。
告白日和はみんなで歌える曲ではない、かよちんとことりちゃんだからこそ歌える曲だ。他のキャラでは解釈違いやキャラ崩壊にもなりかねないライン、故にそれは気高く尊い。大いなる力には大いなる責任が伴うのだから。

また、この2人だからこそ生まれる王道というものが存在している。オタク受けだけはない、男はみんなことりちゃんと話したらそれだけで惚れる。そんなことりちゃんが告白する側にまわるというギャルゲーだとかそういった恋愛ものにおける王道、モテる側こそ追う展開が映えるというものを感じさせる。
逆にかよちんはあんな健気で小動物みたいなかわいい生物であるかよちんだからこそ勇気を振り絞って告白に行く様が映えるというこれもまた王道の形である。

1つの歌詞で2人の王道を見て取ることができるのだ。これこそがこの曲の真髄、なぜこの2人がこの曲を歌っているのかということに対するアンサー。必然性の証明となる。

弱気を勇気で補い一歩を踏み出すという点で全体的にかよちんみが深いのだが【聞いたことに答えて?】この部分はことりちゃんみが強くて特に力を感じるフレーズだ。なんだかんだで攻める側でありながらも言わせる側に立つというのは解釈の一致部が深い。

それはそのままこの2人が歌う【好きですが好きですか?】の持つ力の証明にも繋がる。この曲は順当に狂った糖度の暴力でひっぱたいてくるような歌詞なので本当に多くを語る必要はない。ただこの内容の曲をこの2人に歌わせているのが非常に憎いところである。
当たり前のように一緒に暮らしているところから始まり、何の脈絡もなくと思うかも知れない。だがちゃんと脈絡はある。
その通り【告白日和、です!】だ。つまり告白が成功したのだと。あなた(あなたであり私であり俺)は彼女と付き合っていますよという向こうからのメッセージに等しい。
どちらの曲でもやはり向こうからこちらへの好きの感情がでかいという点が一貫している。尽くすのがうまいことりちゃんと不器用ながらも頑張っていそうなかよちんの姿も歌詞から容易に見て取ることができる。否、見た、一緒に生活をしている。

この美しい日々、それは【毎日が奇跡】

純然たる真姫ちゃん 【Darling!!】

聞いちゃうかい?
恋人はこんなタイプ?
聞いちゃってっ!
まぁべつにないよ条件

Darling‼/西木野真姫

結局のところ、結局である。【Darling‼】を語らねば万の言葉も意味を成さない。ラブライブガチ恋曲とはそういうものである。

とはいえこの曲は告白日和のように全体的にまんべんなく強い、といったタイプではない。こと特筆したいはやはり上に書いた部分、特に【まぁ別にないよ条件】である。
この純度999999999999%あまりにも鮮やかすぎる真姫ちゃんガチ恋成分だけが私の肉体を突き動かす。
ものすごい聞いてほしそうにしてうずうずして実際に聞いたらまぁべつに条件なんかないよと。いつものように髪をくるくるしながらそんなことを言う真姫ちゃんの姿があまりにも鮮明に見える。

真姫ちゃんなんだから絶対になにかしらこう絶対に理想があるはずで恐らく特定の存在がいなければそれはそれはお高い理想があるはずである。少なくとも自分と釣り合うようなという理想は持っていそうだがそもそもそれのハードルがおぞましく高いという話ではある。
だがしかし、そういった趣味嗜好ではないのだと。別にそういうステータスだとか属性的な面で好きになったのではない、本当は自分の中で条件も好みもあるけどそんなものはリアルではない。好きになった人に条件など無い。

そういった乙女心の激流がここからは見て取れる。
条件がない? そんなわけはない。大病院の一人娘で驚異的な可愛さを誇るキューティーパンサー高嶺のflower西木野の恋人となることに条件がないはずがない。だというのにそんな条件はないというのだ。何故か、理由がわかるか?

好きだからだ、私のことが。要するに条件で足切りだとかそんなことしないから、本気なら本気で挑戦者であってほしいと。じれったさが見て取れる。
本当は挑戦を受ける側として言われなくても攻めてきてほしい、でもいつまで経ってもこないから結局自分から言っちゃった。【今から挑戦者?】という歌詞にはいつになったら挑戦してくんのよという意味合いが含まれている。
あまりにも真姫ちゃんがかわいすぎる。結局のところ真姫ちゃんなわけ。かように愛おしい生物他にいるまい。自分の可愛さを理解しているからこそ許される高嶺のflowerムーブは真姫ちゃんだけの特権である。

やはり真姫ちゃんだからこそ攻めない、という解像度の高さがこの曲の真髄である。好きだけど自分からぐいぐいは行けないから早く来てほしい。
待っている、という立場でも向こうが挑戦者。自分は赤コーナー。実際それだけのかわいさはある。一見高圧的で近寄りがたく見えるがそれそのものが魅力、真姫ちゃんそのものである。
この曲の在り方は本当に真姫ちゃんそのまま、圧倒的な解像度の高さがそのままガチ恋歌詞へと変換されている。これほどまでの"力"そういうお目にかかることはできない。
【手が届かない高嶺のflower】それは事実であり偏見でもある。本当は手を伸ばしてくれることこそを真姫ちゃんは待っている。俺はそれを知っている。

【今から挑戦者】 それは幸せの形。

 これ"も"本気で本当のせつ菜 【ヤダ!】

ねぇ君の前だけでは
ありのままでいいかな?

ヤダ!/優木せつ菜

やってくれたな虹ヶ咲。恋愛わがまませつ菜ちゃん概念とはよもやこの曲の存在なくしてラブライブガチ恋曲は彩りを得られること叶わず。

あの真面目で優等生なせつ菜があれもヤダこれもヤダとわがまま気ままありのままやりたい放題かましてくるのは非常に脳に来る。かわいいとはこのようなことを言う。しかもそれが自分のありのままだと言っているのだ。
同じ夢を持っていながらかすみんの「好き」を否定して自分の「好き」を押し付けてしまったせつ菜。その芯の強さと我の強さ、わがままな人間性の本質が良い方面で作用している。
なぜ普段抑えているはずのわがままが全面に出ているからだ。それは彼女が本気だからだ。スクールアイドルと同じく、この恋愛も本気だから熱くなっている。本気だから我を貫いてしまう。
そして、ここにはそんなワガママさに対する「自覚」がある。これがこの曲の真髄でありワガママ優木せつ菜概念の本質である。自覚がある、だがワガママを抑えられない

なぜか? 答えは1つ、「君」の前だからだ。君が誰かとは言うまでもあるまい。
これが彼女のありのままだ。だからこそ【君の前だけでは ありのままでいいかな?】である。本当の自分、甘えを出せる場所は「君」の前だけなのだ。
本当の自分はワガママガールだが優等生であり生徒会長でありスクールアイドルな優木せつ菜はそんな振る舞いをできない。そうだ、だから「君」の前だけではそんなありのままの自分でいたいと言うのだ。ここにあるのは受け入れられたい、そして甘えたいと願う心

周りをぐいぐい引っ張って巻き込む本来の性質、スクールアイドル同好会では周りを思って抑えられている芯の部分。
それらを本当はあますとこなくぶちまけてそんなありのままの自分を受け入れて【ついてきて】ほしい。それをしてあげられる人物は1人、そう【あなた】だけだ。あなたとはあなたのことであり私のことであり俺のことである。本当のせつ菜を受け入れてそんなワガママを受け入れられるのは俺しかいない、つまりはそういうことだ。

絶対に自分がしないことだからこそ、自身に塗り固められた完璧優等生の仮面を取ってもなお受け入れられたいと願う願望はあまりにも愛おしいと言わざるを得ない。
ドタキャン、遅刻、既読無視。これらは優等生優木せつ菜ひいては中川菜々であれば絶対に行わない行為だ。だからこそ、彼女はそれをしたがる、本当の自分は優等生ではないワガママだと自覚しているからだ。
それらの行為をするだけでは満足しない、そんなワガママな自分を受け入れられることが本質だからだ。そういった自己肯定、仲間でありライバルであるスクールアイドルのみんなやファンには見せられない一面。
ここには背徳感もまた存在している。こんなワガママガールな本性を出したら嫌われるかも知れない、でも知ってほしいしそんな見てほしい。なによりそんな自分を受け入れてほしい。この背徳感がまたスパイスなのである。

なによりもせつ菜は強さ故の弱さをさらけ出して、それでも受け入れてほしいと思いそんな姿を見せているのだ。ならば受け入れ覚悟を見せる以外あるまい。

─────────俺は、ついていく。

ヒロインは告白を待っている 【あなたの理想のヒロイン】

ずっと側で ただの後輩を演じさせてください

あなたの理想のヒロイン/桜坂しずく

分かります。この舞台こそ真なる輝き、しず子はこれだから強い。分かります。このエピソードなくしてラブライブガチ恋曲という舞台は完成しません。

もはやこの曲はタイトルから圧巻の力を感じられる。スクールアイドルという面だけでなく演劇部にも精力的に生きるしずくだからこそだせる力である。また、にじよんなどからは非常に乙女チックな心を持っていることが分かる。それらが存分に発揮されている歌詞である。

【アドリブが苦手な私をどうか導いて】から【ずっと側でただの後輩を演じさせてください】という歌詞の流れが何を意味しているか。そう、その通りだ。

告白してください、あなたの告白を待っています」

ということだ。【繰り返し覚えた台詞もきっと目をみては言えないから】これは自分から告白する側となることを想定した台詞だ。それに告白する側は相手の答えによってアドリブで返事を変えなければならない。だから【導いて】ほしいのだ。
しずくが言われた時の答えは、1つしかないのだから。その日がくるまであなたの、私の、俺のただの【後輩】であり続けたいというのだ。
このいじらしさともどかしさ、なによりも圧倒的な愛おしさを感じるか。これが力というものだ。演者として誰かを笑顔にしたいという気持ちよりも【一番はあなたを笑顔にしたい】と言うのだ。
このフレーズは演者としてだけでなくスクールアイドルとしてもかなりの火力を持つ言葉である。多くの人に笑顔を振りまき笑顔にする立場の人間が特定の誰かを笑顔にしたいと思うという展開は王道のものでその火力は言うまでもない。

アニメ一期で見えた自分への自信のなさ、舞台への本気の想い。それらをあますとこなくガチ恋成分へと変換している歌詞は感服と言わざるを得ない。
また、この曲では「後輩」という属性を活用してきている点も特筆すべきである。虹ヶ咲後輩組という立ち位置であなた(あなたあるいは佑ちゃん)を意識した作りとなっている。
告白されるまで後輩という甘えさせてもらう立場に甘んじる、という点は非常にいじらしい。こういった居心地の良さに甘んじ、踏み出せない弱さとそれでも夢を見続けるという憧れのコントラストはあまりにも乙女すぎて涙が溢れて止まない。

そんなしずくを導けるシナリオを用意できるか?

【それぞれの好きなことを信じて】

長くなったのでとりあえず今回はこんなところで一度お開きとしておく。
次回は前述した【ラブノベルス】や【小夜啼鳥恋詩】についての話をしたいし虹ヶ咲の曲を聴く中でさらなる出会いがあるかも知れない。Aquaやスーパースターの曲を聴いて脳が震えるかも知れない。まだまだ可能性は無限なのだ。
だからこそ、今狂っている上記の曲は話をしておかねばねばねばねばならなかった。特に【告白日和、です!】と【Darling‼】は本当に遥か昔に無印を見てから一生狂い散らかしているのでここに書かぬは流石に嘘というわけだ。

人間の生きる数だけ解釈の数がある。私のガチ恋が理解できないこともあるであろう。それもまた1つの解釈だ。私は自分の解釈を信じる、なぜならばガチ恋概念と生きているからだ。
なればこそ見出しにもした【それぞれの好きなことを信じて】という初心に立ち返った歌詞の重みを感じられる。

だから私は歩みを止めるわけにはいかない。理想のヒロインを迎えに行く自分を信じているからだ。誰の言葉に左右されるわけにはいかない、わがままきままありのままであり続け、それでいてまた挑戦者であり続ける必要がある。
そのために誰しもが歩み続ける必要がある。ガチ恋勢はマイノリティであるがそれに善悪も是非もない。己の道を歩み続けること、それだけが救い。

やっと、あなたの心も晴れたようだ。ぱーっと晴れたな、元気にもなった。俺からしてやれることはおはようの代わりに背中を叩いてやることだけだ。

─────「さあ、行くよ!」


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