透析はしないことにした

今日、祖母の入院する病院の医師から
病状説明と方針決定のために呼ばれた。

重篤な心臓病に加え、肺炎、
腎機能が下がってきていることで
それぞれの臓器があっぷあっぷして、
いつどうなるかわからない状態。


数ヶ月前に実家でひっくり返ってしまい
骨盤が骨折してからこれまで入院が続いて、
肺炎を繰り返したりして抗生剤の投与や
輸血を繰り返してきた。

整形外科の先生によると、内臓がそんな状態でも
骨折については改善しているというから驚き。


祖母は故郷で結婚していたようだったが
どういうわけか大阪にきて祖父と出会い

祖父の親からは「人の嫁さんもらわんでも」と
反対されながら、一緒になったそうだった。

酒飲みの曽祖父に「酒がない!」とえらく
叱られて買いに行かされたと聞いた。

曽祖父が亡くなった後、祖父の兄弟間で、
相続に揉めに揉め、裁判にまで至った。

身ぐるみを剥がされるような思いをした
祖父母は、悔しかったと思う。

そこから祖父母は肉体労働を重ねて
資産を築いてきた。

祖母は何度も流産し、母を8ヶ月で早産した。

朝方、産婆さんを呼びに行ったのは
祖父だったらしい。

母が生まれる少し前までは、
まだ妊娠8ヶ月の子どもは生存率が高くなく、
積極的に助けていなかった。

母は、自分が生き延びたことを
「夏生まれだったから」と言う。

未熟な赤ちゃんにとっては寒さは大敵だから、
そうなのかも知れない。


祖母は自分には絶対に贅沢をしなかったけど、
人には絶対にケチらなかった。

ここぞというときにはどこからか
札束を出して周りを驚かせた。

「死に金使いなや」とよく言った。

祖母は、七福神でいう布袋さんみたいな
にこやかな笑顔で来客を迎えた。

初めて主人を連れて行った時、
色々詮索し、自身の不幸話をする母とは違い、

祖母は主人に何も聞かず、ただ
「あそこからあそこまでうちの土地や」
と家の窓の外の景色を見せ、
「頼むで」とだけ言った。

そういう潔いおばあちゃんだから、
きっと悪あがきは望まないと思った。

人工透析や延命処置はしないことにした。


祖母の愛を受け取れるようになるまで
時間がかかった。

中学生の頃に祖父母と揉めた母が家出をしたとき、
洗濯したわたしの下着を祖母が片付ける姿が
生理的に嫌でたまらず、思わず
「触らんといて!」と叫んだことがあった。

出かけるとき、薄く開けた窓の隙間から
覗く姿を、監視されているよう感じて
思春期は、祖母のことが気持ち悪かった。


祖父が亡くなったとき、祖母は
息を引き取った祖父に
「先行ったらあかんやないの」と
手で祖父の足元をはたいて言った。

その後、気が狂ったように
祖父のベッドを解体し始め、
それを「だれがあんなんしたんや」と
覚えていないようだった。
ショックで、混乱していたのだと思う。

わたしの結婚式の日、神社に向かう車の
後部座席から祖母が言った。

「昨日、おじいちゃんが夢に出てきてな、
みんな仲ようしいやって言ったわ。
おじいちゃん死んでから初めてや」

祖母を通して、亡くなった後も
伝えてくれる祖父の愛を感じて
涙が止まらなかった。


主人のことを
「名前で呼び捨てで呼ぶのはかなわんなあ、
ほな、みっちゃんはどう?」
と主人のあだ名を決めたのは祖母だった。


今年、バリアフリーのため、1週間だけ
うちの狭いマンションで一緒に過ごした。

その時にっこり笑って話してくれた。
「さとに子どもができた時、どれだけ嬉しかったか」


思い出すたび、感謝でいっぱい。
残りの時間を穏やかに見守りたい。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?