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難民が働く会社をヨルダンで起業したワケ
初めまして、中東の難民に仕事を届けることを目指す、オリーブ食器ブランドMUUTの大橋希です。すでに色んな言葉に引っかかっている方が多いのではないかと思います。中東!?難民?オリーブの木?
なぜ、私がこの事業を始めることになったのか綴ってみたいと思います。
お金持ちになりたかった高校時代
この話の始まりは、起業するずっと前、高校時代に遡ります。校則がほとんどない自由な高校に通っていた私は好き放題やっていました。金髪に近い色に髪を染め、ダンススクールに通い、将来の夢は「金持ち」と豪語していました。ただなんとなく、学校つまらないなあという気持ちがありました。
そんな時に母が持ってきてくれた「交換留学」のパンフレット。元々人と違う経験がしてみたいという思いが強かったので、どうせなら言葉が何もわからない国に行きたい、なんかかっこいいからフランス!とフランスに一年間留学することを決めました。
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軽い気持ちで決めた留学、日常会話さえもできない語学力だったためホストファミリーとの会話も学校の授業もものすごく苦労しました。そんなフランス生活で見えてきたのは、最初に持っていたフランスのおしゃれでキラキラしたイメージとはかけ離れた姿でした。
フランスには多くの移民が住んでいて、移民ルーツの人が多く住む地域は窓ガラスが割れ、見るからに治安が悪い場所でした。実際に授業でもフランス社会に潜む宗教の問題や移民ルーツの人の経済格差について学びました。
「先進国だと思っていたフランスでも、こんな格差があるのなら、世界は一体どうなっているのだろう?」
それと同時に今までの人生の中でお金や教育で苦労をした経験がなかった私は、なんて恵まれた環境で生きてきたのだろうと思いました。
もっと世界について知りたい。私にできることがあるなら、やってみたい。そう思わせてくれた経験でした。
難民の人と話した日
留学時代にアラブ地域から来た移民の友達ができたことから、ずっと中東に行きたいという思いがありました。大学三年生の時に中東のヨルダンへの渡航を決めました。理由は中東で一番安全だったから、です。
2015年当時、紛争中の隣国シリアから多くの難民の人が流入していたヨルダンは混乱の最中でした。実際に難民キャンプや難民の方の自宅に訪問し、シリアで起きたことやヨルダンでの生活について話を聞きました。
その時会った難民の人たちの口から出て来た言葉は今も頭を離れません。
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「私の家は空爆を受けて瓦礫になってしまいました。もう母国に居場所はありません。」
「目の前で家族を殺されて、身の危険を感じて逃げて来ました。」
今まで聞いたことのないような話で言葉を失いました。逃げた先のヨルダンでも仕事はなく、国連やNGOの支援でなんとかその日を生きていました。
生まれた場所が違っただけ、それだけなのにこんな理不尽なことがあっていいのだろうか。
「いつかこの地域に戻ってきて、自分ができる最大限のことをやる。」その時、心に決めました。
起業の決心がつかなかった日々
起業するという発想がなかった私は、まずは社会貢献を最前線で行なっている会社に就職しました。そこで起業を目指す人たちを見ることで、起業という選択肢があることを知りました。ただ、自分にはそこまでの能力がないとずっと思っていました。スキルも経験もない私には、到底できっこないと。
そんな気持ちが変わったのがコロナ禍でした。きっと多くの人がそうだったように私も家で過ごす時間が多くあり、自分の人生について考え直す時間がありました。本当にやりたいことは何だろう、あの時ヨルダンで抱いた気持ちをこのまま無視してもいいのだろうか。
「とりあえず、ヨルダンに行ってみよう。」
今動かなかったらきっと一生やらない。そう思い、無謀にもコロナ禍に移住を決意し、会社を辞めて一人ヨルダンへ渡航しました。
求められているのは「仕事」
ヨルダンに発つ日、成田空港では今まで持ったことがない大きな不安を抱え(コロナ禍で空港が真っ暗だったことも相まって)ていました。
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「ヨルダンで一体何から始めればいいのだろう?」
最初に渡航した時から7年経っていたので、まずは難民の人たちの状況が変わっているのか知りたく、ヒアリングを始めました。結果として、状況はほとんど変わっていませんでした。援助機関や親戚のサポートにより何とか生活できている状態でしたが、将来を考えられるような余裕はありませんでした。
特に足りていなかったのは「仕事」。失業率が20%のヨルダンでは、難民の人が就けるような仕事はほとんどありません。あったとしても難民であるというだけで搾取され、現地の人に比べて低い賃金や超過労働が当たり前の過酷な状況で働いていました。
ちゃんと月給が支払われ、休日があり、時間通りに帰れる仕事。そんな当たり前がなかったのです。経済大国である日本から来た私にできることは、労働環境が整っているちゃんとした仕事をつくることだ。そう感じた私は「難民の人がポジティブな気持ちを持てるクリーンな仕事をつくること」を目標に決めました。
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▼株式会社qaraqとは
2021年コロナ禍をきっかけに、代表大橋がヨルダンに渡航。生きるために国から逃れた、何万人といる難民に雇用を生むため、起業を決意。現地で大量に余っているオリーブの木で木製食器をつくるブランド「MUUT」を立ち上げ中。
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