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いつ来るともわからぬ機会が来た!地方のコピーライターの35年②

<40代~の仕事 やっぱり続けていてよかったと思う>

私は、自分が面白いと思う物や人をみんなに伝えたい性分のようだ。これは、子どもの良いところや隠れている才能をみつけて伸ばしてやりたいと思う学校の教師と共通しているんじゃないかな。だから、教師という仕事もとてもやりがいがあると思うのだが、私、ちょっとアウトローな面があるので、学校という組織が肌に合わないということを講師として勤めた2年間で確信した。

そして、超保守的な宇宙人の夫👽にも感謝しなければならない。生活を気にせず好きな内容の仕事を選んでやれたから。地方のフリーのコピーライターが自活するとなると、かなり必死で、家事などやっていられないし、シングルで子どもは育てられないだろう。

娘が高校生ぐらいになると、新規の仕事依頼も増えていき、夫も仕事に関しては協力的だった。家のことをきちんとした上での仕事、という暗黙のプレッシャーはあったけど。完璧主義とまでは言わないけど、できるだけきちんとしたい性格の私。いま思えばよくやったなあと思うし、若かったんだな。

しかし、会社の上司のような、思ったことをズバズバ言う超保守派の夫👽には「そんなアルバイトみたいな趣味みたいな仕事は、仕事のうちに入らない。」と言われましたよ。
夫の思う「仕事」は朝から夕方まで正社員としてどこかの企業に勤め(または公務員)かなりの収入を得ることで、仕事の内容より、得られる対価が重要(夫は、共働き、二馬力、という言葉が好き。ひと昔前の言葉だ)。お金は大事だけど、働き方や生きがいといったことに関して価値観が正反対だと疲れる。ここはパートナーを選ぶうえで最重要ポイントだ(あっさり外れた)。

<日々鍛錬し、いつ来るともわからぬ機会に備えた>

40代に入った頃、つまり21世紀に入った頃からインターネットが急速に発達。企業や病院、大学などが自らのサイトを運営し、メディアミックスで広報の幅が広がっていった。

それに加えて、雑誌やPR誌の記事を書く機会が増えていった。
ネットが発達したことで打ち合わせや原稿確認がメールで可能になり、全国誌やポータルサイトの取材執筆を地元ライターに依頼するという流れができてきたのだ。

ライターとコピーライターでは同じ文章でも書き方が違うのだが、対象の面白さや良さを取材でみつけだし取捨選択し、コンパクトにインパクトがある文章を書くコピーライティングの経験が、功を奏した。自分にとってやりがいのある仕事がいつ依頼されてもよいように、どんな仕事も、できるだけ断らずにやってきた。

もちろん、小さな仕事でも学ぶことは多く、それが次の仕事につながったから、夫👽から何と言われようと、信念をもって続けることができた。

若くないからやれる仕事も増えていった。
企業のトップや学長へのインタビュー、経営者の座談会、医療や介護関連の取材、企業の採用や人材育成関連の執筆など。
中小企業になると専門の部署も作れないから、補助金申請や講演会の原稿作成、経営方針の見直しといったあらゆることに関して、経営者が自分の頭の中を整理するために「ちょっと話を聞いてもらえないか」となる。
20代の私にはとてもできない仕事だと思う。

勤め人と違って定年はない仕事だけど、世の中の「定年退職」が納得いくぐらい体力や記憶力の衰えは感じる。一緒に仕事をする人の多くが年下になってきて、引退宣言しようかなと思った時期もあったけど、声がかかるうちはもう少し頑張ってみようか、とも思ったり。

「このおばさん、連れて行きたくな~い!」と若い衆に思われないように、もうしばらく面白い仕事をするために、頭の中身も見た目もシャキッとしなくっちゃ、と決意を新たにする今日この頃なのだ。
(おわり)



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