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奈良の大仏様はどう教えられてきたのか?(18)オールジャパン・プロジェクト②ー歴史授業の進化史・古代編

もくじ
(1)はじめにーならの大仏さま
(2)天皇はいばってる?ー金沢嘉市氏の授業
(3)民衆を苦しめた?ー山下國幸氏の授業
(4)壮大な無駄?ー向山洋一氏の授業
(5)大仏よりも薬・病院?ー米山和男氏の授業
(6)オールジャパン・プロジェクトー安達弘の授業
(7)日本人と天皇と王女クラリス
(8)三島由紀夫と歴史教育 

(6)オールジャパン・プロジェクトー安達弘の授業②東日本大震災と大仏

 次の二時間目がメインである(ちなみに私の授業では「奈良の大仏」は2時間扱い)。この時間は東日本大震災の画像を見せることから始める。授業の冒頭に次のように話す。

「前回の終了時に予告しておいたように東日本大震災のことを思い出してくれましたか?今から五年前のことです。君たちは一年生だったよね。じつは今日の聖武天皇の学習と関係があるんです。では、その当時の画像を見てみましょう」

 短時間に18枚の画像を見せた。内容は、津波による被害・自衛隊や海上保安庁及び警察による救助活動・亡くなった方への黙祷・避難する人々・支援活動(飲料水や食料、医療ケア、プロ野球選手や欧州サッカーで活躍する選手たちの募金活動等)・天皇皇后両陛下のご訪問・被害マップである。これらの画像を見た後に次のような話をする。

「このような国が立ちゆかなくなるほどの大きな災難を国難と言います。いま日本は国難に立ち向かうために日本人全員で頑張っていますが、じつは奈良時代にも東日本大震災と同じぐらい大きな国難があったんです。見てみましょう」

 こうした現代の大規模自然災害を導入することで、現代人の目線が奈良時代当時の日本人と同じ目線になることができる。ところで、この時間に聖武天皇を本格的に取り上げるわけだが、みなさんは聖武天皇と言われてその人物像をイメージできるだろうか。

 大仏はイメージできてもそれを作った聖武天皇をイメージできる人はほとんどいないのではないだろうか。イメージできたとしても「ひ弱」というマイナスなものであることが多いようである。これは当時の藤原氏の権力の大きさや都を何回も変えたという事実によって優柔不断というレッテルを張られたことによるものだ。しかし、森本公誠氏はこう言っている。

 聖武天皇がひ弱で優柔不断な人物だというのは、実は皇国史観の呪縛から解き放たれた戦後の日本史学界の動向に遠因があろう。唯物史観への雪崩を打つような論調のなかで、天皇制否定論ともあいまって、天皇の治績を否定的に論じることが流行のようになっていた。教育界に与えたその影響は大きく、たとえば中学生の修学旅行を引率してきた教師が大仏殿に来て、「先生は入らないが君たちは二百万人もの人民を酷使してつくった大仏をよく見て来い」といって、出口で待つといった調子である。(森本公誠『聖武天皇 責めはわれ一人にあり』講談社22ページ)

 氏はさらに以下のように続ける。

 筆者は十五歳で入寺し、東大寺に籍を置く身である。つねづね、ひ弱で優柔不断な人間がどうしてこのような大仏を造ることができたのか、と素朴な疑問をいだいてきた。(同22ページ)

 たしかに巨大プロジェクトを発想するような人間が「ひ弱」で「優柔不断」だとは考えられない。

 授業に戻ろう。ここで、宇治谷孟『続日本紀(上)全現代語訳』(講談社学術文庫)等をもとに作成した年表を子どもたちに見せる。聖武天皇が位についてからの17年間の年表である。この年表を子どもたちに検討させる。

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