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奈良の大仏様はどう教えられてきたのか?(15)大仏よりも薬・病院?④ー歴史授業の進化史・古代編

もくじ
(1)はじめにーならの大仏さま
(2)天皇はいばってる?ー金沢嘉市氏の授業
(3)民衆を苦しめた?ー山下國幸氏の授業
(4)壮大な無駄?ー向山洋一氏の授業
(5)大仏よりも薬・病院?ー米山和男氏の授業
(6)オールジャパン・プロジェクトー安達弘の授業
(7)日本人と天皇と王女クラリス
(8)三島由紀夫と歴史教育

(5)大仏よりも薬・病院?ー米山和男氏の授業④同列目線で見ること 

 最後に授業者の米山氏の歴史教育に関する意見を見てみよう。

 ある時代の歴史を学習したとき、現在の自分の生活感覚からいくと考えられないこと(たとえば、前述の天然痘を治すために大仏をつくって祈るなど)にぶつかると、そこに矛盾を感じ、やがて問題が生まれてきます。歴史学習のなかでの矛盾の源となっているものの一つは、子どもたち一人ひとりの現在の生活であり、現代という時代であると考えます。(127ページ)

 この米山氏の考え方に異論はない。
 私たちは現代を生きている。そして現代を生きる人間として、現代に課題を感じ、解決したいと考えている。その私たちは過去の歴史を見るとき、当然、現代に生きる人間として見ている。つまり、歴史は常に現代の課題をもとに見られている。

 その意味で米山氏の考え方は正しい。
 また、私たちが歴史に興味を持つのは、過去の政治や文化が現代とはちがうからであることに多い。人間はちがいにこそ敏感であり、そこに憧れさえもつことがある。子どもたちもそれは同じである。その意味でも米山氏は正しい。

 ゆえに、最初に持った興味、最初に大事だと思った問題などは現代からの視点になるのは当然のことである。だが、次にその問題を解決しようとする段階においては当時の人の立場に立たなければ本当の解決にはならない。
じつは米山氏の所属する研究団体である「社会科の初志をつらぬく会」の綱領には次のような一文がある。

 わたしたちの会は、子どもたちの切実な問題解決を核心とする学習指導によってこそ、新しい社会を創造する力をもつ人間が育つのだという確信から生まれました。

 米山氏は歴史学習における「切実な問題」は過去と現代との矛盾から生まれ、その「問題解決」は継次的な追究によると考えている。WHYの問いに答えるシミュレーションこそが歴史学習における問題解決であるが、この時に現代の視点で過去の問題を解決しようとするのは後出しジャンケンと同じになってしまう。そこに「切実な問題」は見いだせない。

 小中学校の公民学習や小学校三・四年の地域学習、五年の産業学習は当然のことながら現代の視点で現代の問題を解決することになる。だが、歴史学習においては過去の問題を解決するには現代の私たちがいわばタイムマシンで過去へ移動し過去の人間として過去の問題を解決するというイメージが必要である。

 現代の人間が過去の人間になって過去の問題を解決するというステージにすれば、それは現代の人間が現代の問題を解決しているのと同じステージということになる。後出しジャンケンの「上から目線」ではなく「同列目線」になるからだ。その時代の問題を解決するのだから「同列目線」で「矛盾」をとらえることが必要である。

 ここで、日本社会科教育学会編『新版社会科教育事典』(ぎょうせい)にある「問題解決学習」(220~221ページ執筆者:藤井千春)の項目をもとに問題解決と歴史人物学習の関連について考えてみたい。冒頭で問題解決学習についてこう定義している。

 子どもたちに、課題達成の過程において、そのための具体的な必要性から知識や技能を習得させるという学習活動の指導方法である。 

 ここでは子どもが「必要性」を感じながら学習することが大事だということを確認したい。「なぜ?」WHYと問われなければ「必要性」は語れない。HOWだけでは事実をなぞるだけになる。また「課題達成の過程での具体的な必要性から知識や技能を使用するように、学習活動を導く」と書かれている。「具体的」という指摘も重要だ。歴史学習ではこれは具体的場面=「エピソード」になる。

 この「必要性」(WHY型の問い)と「具体的場面」(エピソード)は密接な関係にある。課題達成と知識・技能の習得を結び付けている第一の接着剤「必要性」であり、第二の接着剤は「具体的」な場面(エピソード)である。

 先の米山氏の授業でいうなら年表づくりを通して得た時代背景や造営技術・建設の様子という知識が「なんのために」という「必要性」(WHY型の問い)によって課題達成の方向へと子どもたちの追究を連続させている。ただしここでは当時における「具体的」な場面(エピソード)はとくに設定されていないので、現代からの「上から目線」がやや残ってしまっている。

 事典にはこうも書かれてる。

「問題」とは、課題を達成する過程において子どもたちが直面する障害である。

 ここで大事なのは「障害に直面」しなければならないという指摘である。現代に生きる子どもたちが過去の歴史の中で「障害に直面」するためには疑似的にでも過去に行くしかない。遠く離れた現代からいくら叫ぼうとそれは「障害に直面」しているとは言えない。よって、疑似体験=当時の人物に「なってみる」シミュレーションが必要なのである。

 さらに藤井氏は「「問題」には正解があるわけではない」「「問題」の本質的な役割は、子どもたちに調べ直し・考え直しを迫ること、すなわち子どもたちに新たな事実やそれらの関連に気付かせ、新たな見方・考え方を育成する方向に、学習活動を再発信させることである」と述べている。藤井氏は「問題」の「本質的な役割」を的確に指摘している。「新たな見方・考え方」の育成である。歴史人物になってみる=シミュレーションするということは自分以外の視点をもって歴史事象を検討することである。現代に生きる自分以外の見方・考え方を手に入れることは、まさに「新たな見方・考え方」である。
 
 問題解決学習が『新版社会科教育事典』に書かれているように「必要性」「具体的」「問題(直面する障害)」の三つの要素で成立しているとすれば、WHY型の問い+エピソードによるシミュレーションこそが歴史学習における「問題解決学習」の形態であると言うことができる。

 

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