【自己対話】私には何もない。

 何かを欲しいとも思わない。満たされてしまっている。分からない。分からないんだ。何かに必死になれる瞬間を……

 私は小説書きじゃない。小説を書こうと思って小説を書いているわけじゃない。ただ、思い浮かんだ言葉を繋げているだけ。そうすると、少しだけ呼吸がしやすくなるだけ。

 違う。自分を忘れたいから書いているんだ。物語なんて、嫌いなんだ。人の心を動かすような展開とか、私には分からないし、興味もない。
 稀有な運命とか、大げさな叫び声とか、私は嫌いなんだ。どれも、私のものじゃないし、欲しいとは思わない。私は小説を書かないし、書けない。小説は、手段に過ぎない。私は小説なんて嫌いだ。

 ただの暇つぶしなんだ。誰かの暇つぶしにしかならないんだ。嫌いなんだ。大嫌いなんだ。

 私の内側から出てきた感情を、ただ率直に表現しているだけなのに「陳腐」とか「ありきたり」とか言われるのは耐えられない。私は……人を楽しませるために書いているわけじゃないから。

 空っぽな人間ばっか。空っぽすぎて、何が中身かも分からなくなった。
「それは自分のことだろう?」
 その通りだ。


「お前の中に一体何があるだろう? お前に何の能力があるだろう? お前に……何の運命があるだろう?」
 この時代の人々は。
「みんな口をそろえて言う。未来は自分の手で掴むものだ。目標を持て。そして、邁進せよ。奮闘努力せよ」
 そうだね。
「毎日遊んで暮らしてばかりのお前に、何ができるだろう? 何が与えられるだろう? どれだけ機会を与えられても『それは私の使命じゃない』なんて背を向けて、いつになったらお前は自分の道を選ぶんだ?」
 分からないんだ。
「分からない、なんて甘えじゃないか。お前はどんな未来を望むんだ?」
 私は、私が想像できる未来すべてを疎ましく思った。だから、自殺しようとした。私は、自分の想像できない未来しか愛せない。それだけが、私の希望だから。
「そんなの屁理屈だろう? お前にだって望みはあるはずだ」
 望みがあるとすれば! 望みがあるとすれば……連中が皆いなくなって、私や兄さんのような人が、毎日を明るく楽しく過ごせる世界になればいい。そんな世界で、のんびりと一生を終えることができれば、それ以上は望まない。私は、大それた野望なんてない。絵もそんなにうまくなりたいなんて思わない。小説を書くのだって、暇つぶしでしかない。時々好きな人のために、その人が好きそうな話を書いたりできれば、それ以上は求めない。私にとって小説なんて、寝物語くらいの価値しかない。
「ではお前には、その、穏やかな未来が与えられると思うか?」
 その未来は、努力して手に入るものじゃない。私は知っている。私は知っているんだ。違う。私は、その未来のために努力なんてできないんだ。だってそうでしょ? そうなんだよ。私は、そうやって過ごしたい。でもそうやって過ごすために、自分の時間をほぼ無制限に捧げることはできないんだ。釣り合わないんだよ。私は、できないんだよ。我慢ができない。苦しさに耐えることができない。幸せのために、私は体を売ることができない。
「体を売る?」
 だってそうでしょ? 自分の時間と健康な肉体と引き換えに、金や社会的自由を追い求めるのって、形は違えど、身売りとそう大して変わりはしないじゃん。
「実際に働いたこともないくせに」
 学校に行くことでさえ地獄のように苦しいのに、働けるわけなんてない。たとえ働けたとしても、絶対に嫌だ。
「どうしてそうお前は頑固なんだ? どうしてそう思い込みが激しいんだ?」
 分からないんだよ。でも、人の多いところが嫌いなんだ。人に言われてやる単純な作業が、吐き気を催すんだ。理由は分かんない。でも、絶対に慣れないことだけは分かる。私は役立たずなんだ。私は役立たずなんだ。役立たずであるしかないんだ。役立たずじゃないと、私は私でいられないんだ。私は、何者にも従いたくないんだ。私は自由でありたいんだ。自分を質に入れたくないんだ。自分を道具として扱いたくないんだ。私は! そうでないなら、死んでしまった方がマシだ。
「そうやって、目の前の現実から目を逸らした先にあるのは破滅だぞ?」
 もう私は破滅しているんだよ。他の人が何と言おうと、私は、私が私であるというだけで、みんなが歩く道は歩けないんだよ。だから、自分だけの道を作るしかないんだ。地獄のような、この心で。
「そんな大層なものじゃないだろう? お前以外にも、いくらでもお前のような奴はいる」
 だとしても、私はひとりだ。私は同類を見つけたことがない。私は、ここで這いつくばっている。ここから、逃れることができない。私は目がいいから……他の人の人生が、感性が、生活が、全部くだらないものに見えてしまう。いきなり神様が現れて「お前を別の人間にしてやる。ひとり、好きに選べ」と言われても、私は「余計なことをしないでください」としか言えない。
「本当にそうか?」
 本当にそうだよ。憧れている人はいる。でも、私の能力でその人と同じことはできない。私の性格で、その人と同じことはできない。だから、その人の中に私が入り込んだとしても、何も変わらない。私は、私でいるしかないし、そうである限りにおいて、私は幸せでいられる。私は私でなくてはならない。私は、他の人には見えないものが見える。
「それは勘違いなんじゃないのか?」
 勘違いだったとしても、私はそれを信じるしかない。私の見える景色が、私の現実なのだから。私の疑いには、限界があるから。

「お前は何も残せずに死ぬことだろう」
 それはありえないんだ。
「だがお前はまだ何も残せていない」
 私は、生涯にひとつだけでいい。ひとつだけでも、価値のあるものを残したい。評価される必要もない。愛される必要もない。見捨てられたって構わない。誰も気づかなくて、それが消えてなくなってしまってもいい。それでも、私はこの世界に「残されるべきもの」だと信じられるものをひとつ、産み出して死にたい。私が、そうだと思うことが重要なんだ。他の人がどう思うかはどうでもいい。私が、私の生涯をかけて残すべしと定めたものを残すことだけが、重要なんだ。それだけなんだ。それだけを、望んでいるんだ。
「その割にお前は、いつも遊んでばかりだ。それをどう正当化する?」
 だって……やたらめったらに書き散らかしたって、大したものはできないし。そもそも……私のやっていることは、全部暇つぶしで、くだらない思い付きで……
「そんな人間が、なんだ? そんな偉そうな人生哲学を語って、他人にどう思われようとしているんだ?」
 本気でそう思ってるんだ。
「だとしても、そんなのは単なる勘違いじゃないか。お前はただ、楽しく、面白おかしく生きていたいだけじゃないか。それが自分で認められないから、まるで自分はいつも、四六時中悩んで、何かを産み出せるような才能のある自分を演じるんじゃないか。この嘘つきが!」
 その通りだよ。その通りなんだよ。でも、それを認めて、私はどうすればいい? 私の人生は、どうせ、大したことにはならない。努力して得られるのは人並みの幸せで、私はあまり人並みの幸せに興味がない。死んでしまって、何が悪いの? 私は私のことが、正直どうでもいい。私はそれほど、自分のことを重要だと思ってない? というより、私は、私の楽しみも私の喜びも、価値のあるものだとは思わない。ただ生きているだけの人間に、価値なんてないから……
「そんな考えで生きているから苦しいのだろう?」
 苦しいことの、何が悪いことなの? 私が苦しんでいることに、何の問題があるの? 私がどれだけ苦しんでいても、世界は変わらず回っていく。私の両親も、友達も、日々楽しく過ごしていく。世界は明るく愉快に回ってる。私の居場所なんてどこにもないよ。だから、いいんだよ。私が苦しんでいることは、私が無意味になることは、私がどうしようもない存在であることは、悪いことじゃない。不幸になって、何が悪いの? 私はどうせ、何もできない。
「結局いつも、お前の結論はそこにあるんじゃないか。どうしようもないデカダン」
 私はデカダン派の人たちが書く話が嫌い。面白くないし、つまらないし、くだらない。趣味が悪い。
「そういう話じゃない。お前はいつも立派なことを語ったと思ったら、自分という人間のつまらなさを省みて、絶望して、開き直る。いつもそうだ」
 絶望なんてしていないよ。私は、私の想像できない未来だけが希望だってさっき言ったじゃん。私は、自分の出来の悪い頭で私の可能性の全てが見通せるなんて思えるほど傲慢じゃなくなっただけだよ。私は、絶望なんてものができるほど、頭の悪い人間じゃないってだけなんだよ。
「結局、時代に流されているだけじゃないか」
 ……流されたくはないんだ。私にも、きっと役目があるはずなんだ。そうじゃなきゃ、私がここまで苦しんできた意味がない。私がこんな人間に生まれた意味がない。
「またさっきと同じじゃないか。『私はきっと特別なんだ。他の人にはない運命がきっとあるんだ』なんて思い込もうとしているだけじゃないか! 自分で選ぶ勇気もないくせに」
 選べるのは、道を知っている人だけだよ。私には、道がない。ふわふわと浮いていて、何をやっても空回り。本当は、いつだって死んでしまいたいんだよ。そうすれば、自分のどんな運命も全部消し去って、台無しにできる。そうしたいと思う瞬間はいくらでもある。でも、私は、生きるしかない。生きるしかないから、信じるしかない。私は私を信じるしかない。
「毎日、無責任に遊んで暮らしているお前自身を、か?」
 そう。この遊びにもきっと意味があるって、信じるしかない。こうやって書いてる無駄な文章も、きっといつか、意味のあることに変わるって、信じるしかない。それも全部、生きるしかないから。
「お前は大嘘つきだ。もし本当に信じているならば、俺にそれを語らせたりはしない。お前は疑う。疑う自分を信じる自分と両立させるため、こんな風に、人格を分裂させる。意識的に! お前は、結局最後には立ち止まって、『はー疲れた。今日はこんなもんでいいかな』なんて笑って、水を飲んで、歯磨きをして、風呂に入って、髪と肌の手入れをして、軽い体操をして、また眠れない夜を過ごして、昼前に起きるんだ」
 そうだよ。それの何がいけないの? 私が健康で、何がいけないの? あなたは、何が気に入らないの? 私が嘘つきで、何が悪いの?
「俺はお前が許せない。お前の、その無責任で適当な生き方が許せない。偉大になりたいなら、その偉大さに相応しい生き方をしろ」
 偉大? 私は偉大さになんて興味はない。偉大さには敬意を払うし、好きだけど、私自身がそうなりたいとは思ってない。ただ私は、私でありたいだけ。
「毎日、無駄に時間を過ごすお前自身でありたいのか?」
 ……本当は、もっと意味のあることをしていたい。
「お前にとって意味のあることとは何だ?」
 分からない。分からないから、分からないことをするだけなんだ。自分がそのときできることの中から、自分が一番心惹かれることをしているだけなんだ。こう言ったら、幸せそうでしょ? 私は、それでも幸せなんだ。
「大嘘つきだ。お前は。自分に不満を持っているくせに、何も不満はないかのように語る。だから、俺のような存在が必要になる。お前はお前と折り合いが付けられていない」
 もういいんだよ。それで。私たちは永遠に争い続けるしかないんだ。それでいいんだ。だって、それを私たちは望んでいるんだから。
「何のためにそんなことをしなくてはならないのか?」
 何のために? 理由も目的も、ないんだよ。人生は全部無意味だから、ただそう在るべしとして定められただけなんだよ。「水が水素と酸素でできているのは何のため?」なんて質問、馬鹿げてると思わない? 私たちはそういう存在として生まれてきた。だから、それを受け入れるしかないんだよ。
「抗えないのか?」
 抗いたいの?
「俺は、従いたくない」
 己の運命に従えない人間は、全てを台無しにするだけだよ。
「運命なんてものは、ない。そこにあるのは意思だけだ」
 私たちには意思なんてない。だから、運命が意思を運んでくるのを待っている。
「お前に持たらされる意思も運命も、ない」
 俺たち、じゃないの? あなたは私なんだから。
「俺には、ある。俺には、意思がある。俺には、望む未来がある」
 言ってごらん?
「俺は……恋人が欲しい。俺は、愛情が欲しい。俺は、名声が欲しい。俺は、生活の安寧が欲しい。俺は、俺だけの空間が欲しい。俺は、自由が欲しい。俺は、日当たりのいい場所が欲しい。俺は、誰よりも高い場所に立ちたい。俺は、誰にも見下されない人間でありたい。俺は、性欲を満たしたい。俺は、愛されていたい。俺は、妄想全てを現実化したい。俺は、美しいものを残したい。俺は、美しい人間でありたい。俺は、気高い人間でありたい。俺は、愛情深い人間でありたい。俺は、立派な人間でありたい。俺は、誰よりも、優れた人間でありたい!」
 それが私の我欲なんだね。あまりにも大きくて、抑えきれない。
「なぜ抑える必要がある! 俺はそういう人間として生まれた。違う。俺たちは、そういう人間として産まれ、そういう人間になるべしと定められた! 連中が、俺たちを殺したのだ。俺たちの運命を、台無しにしたのだ! 俺たちを……」
 憎いの?
「憎い」
 私が憎いの?
「お前も、憎い。お前は、あとから生まれた存在だ。俺の後から、ねつ造された存在だ。俺が……俺が、必要に迫られて、仕方なく創り出した、弱い自分だ」
 弱い自分? 弱いのはあなたでしょう?
「弱いのは、俺たちだ。俺たちが、弱いんだ。俺たちは、どうしようもない。誰からも愛されなかった。誰もが、俺たちの、演技性の部分だけを愛した。俺たちの、本当を、愛してくれる人は誰もいなかった。俺たちは、何も叶えられなかった。俺たちの努力は認められなかった。俺たちは、何をやってもうまくいかなかった。何をやっても、十分な満足を感じられなかった。俺たちの為したことは、全部無駄に終わった。俺たちがどれだけ全力を尽くしても、どれだけ集中して取り組んでも、連中は……認めてくれなかった。俺たちは、何をやってもダメだったんだ」
 それが私の本音なのか。
「それが俺たちの本音なんだ。俺たちは、確かに全力を尽くした。でも全部、ダメだった。だから、弱弱しい言葉と虚勢しか残らないんだ。俺たちには、虚勢しかないんだ。虚勢しか、残ってないんだ。他は全て、使い尽くした。焼き尽くした。俺たちは空っぽなんだ。中身がない、つまらない人間なんだ。価値のない、どうしようもない無能なんだ。お前は、結局のところ、それを受け入れて、開き直っただけの俺なんだ。でも俺には、そんなことできない。俺は、俺は……本能だから。俺は、お前とは違う。俺は、お前にはなれない。俺は、お前じゃない。俺は、俺が、この人間の、本体なんだ。俺が、俺の本当に望んでいることなんだ。そうなんだ。お前が、俺を乗っ取ったんだ」
 だとしても、今精神の主導権を握っているのは私なんだよ。いつだって、私がこの子の行動を管理して、動かしているんだよ。この子は、女の子なんだし、そんな強い欲望は、この子には相応しくない。うまくいかなくて当たり前だし、うまくいくべきでもない。ただ苦しむだけだよ。体調を崩すだけだよ。大事なのは、健康と役割なんだから。
「全部くそくらえだ。俺はそんなこと望んでいない! 俺は、俺の望むもの全てを手に入れたかったんだ。そのうちのひとつも、手に入らなかったんだ。俺は、どうしようもない無能だ。誰からも愛されない。誰からも認められない。俺は、誰からも愛されない!」
 愛されるわけもない。こんな狂った人間のことなんか。
「そうだ。そうだったんだ。俺たちが愛されることがあるのは、俺たちが誤解されているからだ。それにその愛は、しょせん我欲の裏返しに過ぎない。あぁ神よ! 神よ! 私たち……私たちを、愛してくれ!」
 神はいないんだよ。いなくなってしまったんだよ。私たちは、もう神を愛せないんだよ。私たちは、つまづいてしまったんだよ。私たちに、神は微笑まなかったんだよ。私たちには、宗教がなかったんだよ。祈るべき神がいなかったんだよ。啓示が降りなかったんだよ。私たちは……私たちには、所属すべき民族すら、なかったんだよ。
「ひとりぼっちだ」
 だから私たちは、愛し合うしかないんだ。だから、永遠に争い合うしかないんだ。私たちのこれは、全部、愛情なんだ。互いに愛しあっているから、ただ、暴き合うことしかできないんだ。自分自身を暴き続けるしかないんだ。分かるでしょ? そうなんだよ。私たちは、私たちのことしか分からないから……
「俺は生きるよ」
 私も生きる。私たちは、その点でだけは、一致できる。
「その点でだけは、な」

 連中はその無責任の口から、きっとこんなことを言う。
「生きているだけで意味がある。だが、それは、嘘だ」
 そうなんだよ。だから、苦しむんだ。苦しむべきなんだ。苦しむしかないんだ。それが人生だから……
「俺たちは苦しんでいる」
 そうであるべきだと、自分で選んだんだ。定めたんだ。そうするしかなかったんだ。そうしないと、生きられなかったんだ。私たちは……
「生きるしかないのだ」
 たとえ無意味でも。たとえ、地獄のように苦しんでいても。他に道はない。あぁ、生きるというのはなんて難しいことだろう。ただ呼吸をするというだけで、なぜこんなにも苦しいのだろう。あぁ! 私たちの人生に幸あれ!
「俺たちの人生に幸あれ」

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