リアル成長バラエティブログ兼、現代の論述系ナルキッソスブログ ~雑記~

自己を愛する人間をナルシストと呼ぶようだが、これからの時代はナルシストであるべきだと思っている。しかもトビっきり自己愛なので、理想の自分等を描く必要はまったくないのだ。例えば、自分の短所をいくつかあげるとしよう。

短所:怒りっぽい、めんどくさがり、横着者、態度でかい、、、etc

上記を私は愛している。気持ち悪いだろうか。いや、これこそが自己肯定の醍醐味である。今の世の中には自分以外の誰かをこんな感じにしてやろうという傲慢な意見で溢れかえっている。そして、こういう人でありたいという理想の自分を探し、自らを変えるために自分の歯車を改造しようとしている輩も多すぎる。俗にいうところの「アップデート」というやつらしいが、そもそも、自らがアップデートが必要なOSなのかを理解しようとした人間は何人居るだろうか。

私はアップデートを否定したいわけではない。そうではなく、自己を把握していないのにアップデートも何もないと思っているからだ。実はバージョン8.0なのにバージョン5.0に向かって自分を改造していたら何の意味もない。つまり、自己のアップデートは、自らを知ることから始まると思っている。なので、自分なりに自分自身という人間を論じるレベルまで自分について考察していくことが今後の時代に求められる力だと思っているわけだ。

個人の時代というのが数年前にあったが、あれは戦国時代のような世の中を個人として生き抜くことを指していた。でも今は違う。有名なインフルエンサーはこぞってオンラインサロンを開いたように、個人から集団に戻りつつある。しかも、ただの集団ではなく、個人の力に頼った集団ではなく、個人の弱点すらも全てひっくるめて家族のような、集落のようなコミュニティが作られているのだ。そんなコミュニティで「自己紹介をどうぞ」と言われたときに自分は何者かを言えるかどうかに、存在意義がかかっていうわけだ。自分とあいつは同じ作家である、でもそれ以外の違いはなんだろう。考え抜く必要があるはずだ。

「その辺のやつら」でくくられたら今の時代はアウトだ。

それならば何の取り柄のない人間でも、自分についてなら誰よりも語れることができ、さらにそれを踏まえた適切なアップデートを自ら選択できることこそ、情報社会に飲まれる事が無い人間の形なのではないだろうか。そこで私は現在進行形で、何も取り柄もない私が自らを論じられるようになるまで自己考察を行い、その模様を日々アップしていこうという企画を実施中だ。

昔作家を「目指した」だけで文章を書いてこなかった私自信へのフラストレーションを日々の思考と寄稿に発散させ、今夜もパソコンに向かっている。今まで書いてこなかったクソのような自分を愛する代わりに、書いてこなかったが故にたどり着いたこの企画と存分に向き合っていこうと思っている。

私が「その辺のやつら」から脱するところを観察できるというリアル成長バラエティブログ兼、現代の論述系ナルキッソスブログとして、今後共よろしくお願い申し上げあげる次第である。

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