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書評 ゴールデンスランバー 伊坂 幸太郎   ハリソン・フォードの「逃亡者」を想起させる逃亡劇。ラストに見事に伏線回収!!。

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*原作小説と映画を比較検討する企画第14回。

この映画は昔、当時、付き合っていた女の子と行った。
その帰路、彼女がビートルズのファンだということを教えて貰った。
早くに亡くした父親の影響らしい。

その時に聞いた話しでは・・・

ゴールデンスランバーというタイトルは、ビートルズの曲からの引用だ。

Once there was a way to get back homeward
家に帰る道が、昔はあったんだ
Once there was a way to get back home
自分の居場所に帰る道が、昔はあったんだけれど・・・

「Slumber」とは、居眠り
「Golden」は、黄金
合わせると、黄金の居眠りとでもなるのか?

青春時代の楽しい居眠りでもしていたような時間
あの頃の時間は永遠のようで・・・、いつでも近くに仲間がいて居場所もあった

大人になって・・・

友に裏切られ、主人公の青柳は総理暗殺の犯人にされてしまう。
これは「逃亡劇」なのである。

読者は彼が犯人でないことを知らされる。だが、警察もメディアも彼を犯人と断定するのである。
どころか警察は、彼を殺そうとする。

日本人は、自ら考えているようでいて、実は考えているように思わされている


別に伊坂さんだけの考えではないが、こう言っている人は多い。
メディアやネットが人の考えに影響を及ぼしているのだ。
考えているようであり、本当は誰かの考えに踊らされてしまう。

だが、青柳を知っている人は、あまりにも出来過ぎている証拠に疑問を抱く

その前に、この物語は青柳の一人称の部分と、元カノの樋口晴子のパートの2パート構成なのだ。一見、無駄に思えるこの構図だが、実は、後半、掛け合いのようになっていき、ドンドン面白くなっていくのである。これが本書の魅力の1つである。

樋口晴子は青柳を疑わない。そんな二人の恋愛が終わったきっかけがおもしろい。

チョコレートを2つに割った時、青柳がいつも大きい方を彼女に渡そうとする
それが嫌になったのだ。
小さくまとまりすぎる青柳に不満なのだ。よくできましたは貰えても、「大変良く出来ました」は貰えそうになかった。それで別れたのだった。

そういう青柳の性格が、逃亡にもよく出ている。そういう性格だから信頼もされる。彼を助けてくれる人はたくさんいた。

総理が殺された。犯人は青柳だ。当然、周囲の人間はパニックになる。しかし、他の人たちの感覚は・・・、この記述がおもしろい。なるほどと思う。

大事件が起きても、わたしたちは会社に行って、仕事してさ。・・・・個人的な生活と、世界、って完全に別物になっているよね。本当は繋がっているのに。

青柳たちは学生時代花火屋でバイトをしていたことがある。社長の言葉はおもしろい。

花火って色んな場所で色んな人が見ているだろ。もしかすると自分が見ている今、別のところで昔の友達が同じモノを眺めてるのかもしれねぇな、なんて思うと愉快じゃねぇか。たぶんな、そん時は相手も同じことを考えているんじゃねぇかな。
・・・思い出つうのは、だいたい、似たきっかけで復活するんだよ。自分が思い出してれば、相手も思い出している

これはタイトルの「ゴールデンスランバー」と関わってくる。黄金の居眠りのような時間。あの楽しかった時間を共に過ごした仲間たち、今は離れ離れになり音信不通だが・・・・

私の一番好きなシーンは車のシーンだ。
樋口晴子は、昔の青柳とのデートを思い出した。雨の日、雨宿りした草むらに放置されていたカローラ。それを仲間たちはラブホテルがわりにしていたのだ。そのバッテリーを交換に行く。青柳が来るかもと思うのだ。ここで青柳と樋口のパートが交互に進行する。一人称で青柳だけの記述だと、ここの良さが出ない。ハラハラドキドキしながら、どうなるのかなと思い展開を見守る。
樋口晴子が車の中にメモを見つける。

俺は犯人じゃない 青柳雅晴

「だと、思った・・・」
この後、青柳は引き返してきて、エンジンがかかり・・・・
このシーンは実に気持ちいい。

伏線を回収することで青柳が犯人でないとわかるシーンも多い

とんかつ屋が、事件の日に青柳がやってきたとして、こんなことを言っている。
米粒1つ残さずに食べていた。
普段の彼は汚い食べ方をしていた。
青柳が痴漢をしていたという話し・・・
これもないと樋口は思う。
何故なら、彼の父親は異常なまでの痴漢嫌いで
息子に「痴漢死ね」と習字で書かせるほどなのだ。そんな彼が痴漢なんてするはずがない。

総理殺しという命題は、たぶん、ケネディ暗殺事件のオズワルドと関係している。
オズワルドが、ケネディを殺した犯人とされているが、彼自身も殺された。
今では、ほとんどのアメリカ人がオズワルド犯行説を信じていない

つまり、青柳はオズワルドにされたのだ。

青柳はイメージ操作をされていた。
その操作に操られてメディアや国民は、彼が犯人と疑わなかった。
オズワルドのようにだ。

イメージ・・・、大した根拠もないのに、人はイメージを持つ。イメージで世の中は動く。

思えば俺たちって、ぼうっとしている間に、法律を作られて、そのうちどこかと戦争よ、って流れになっても反抗できないようになっているじゃないですか。何か、そういう仕組みなんだよ。


青柳の場合、それが総理殺しの犯人とされたのだった。
その事実は最終的に是正されない。ここがポイントだ。
伊坂幸太郎がこだわったのは、ここであると思う。
総理殺しの犯人は青柳ではない。しかし、青柳であるという誤解を晴らすことなく物語は終わった。

巨大な国家の陰謀の前では個人はいかに泥弱であるかということだ。

ラストで怒涛の伏線回収。
青柳の遺体が発見されて死んだと認定されるのだが・・・
彼は整形し別人として生きている。

大切な人たちに「生きている」ことが知らされる。
父親には「痴漢死ね」という悪戯手紙が届く。
これは両親にしかわからない暗号だ。
そして、ラストシーン。
エレベーターでたまたま樋口の家族と遭遇
そのまま気づかれずに・・・と思ったら
幼い娘が戻ってきて、彼の腕に「大変良く出来ました」の判子を押す。

このラストシーンは、映画の日本版にもあります。
とてもいいシーンですので、映画と合わせて比較してみてください。

映画は、日本版と韓国版があり
今回の企画では韓国版を見てみました。

2020 10/4




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