書評 展望塔のラプンツェル 宇佐美まこと 社会問題をこれでもかというくらいに、てんこ盛りにした悲惨な物語だが光明はある。
子供の貧困や親によるネグレスト、性的虐待、暴力虐待死の問題がクローズアップされてきたのは最近だと思う。
本書の冒頭、児童相談所職員松本とその相棒が登場する。
その物語に、出てくる虐待疑惑のある保育園児が
晴という子供だと、私たちは、まず思ってしまう。
だが、この物語には錯覚が利用されていて
時間軸が違う。
つまり、松本の物語は現在であり、晴とその周辺のメインストーリーは過去なのである。それが松本と晴が同一人物であるというラストの種明かしで明らかになり
読者は驚くのである。
何をいきなりネタバレさせるのかと思われるかもしれないが
この物語は核心はそこだから、そこをスルーするわけにはいかない。
でないと、この物語について何も語れない。
本書は社会問題を描いた秀作である。
しかし、子供の晴と海となぎさのメインストーリーの扱う社会問題と
晴の大人になった姿。児童相談所職員松本の扱う問題はかなり質が違う
よく深刻になっているのではないかと思う。
貧困という共通項はあるのだが、若い女の子に対する集団レイプ
不良たちによる理不尽な暴力、ヤクザの暴力、借金のかたに風俗で働かされる・・・
在日の民族差別・・・・。これは昭和時代の社会問題だった。
そして、現在の問題は、父親が娘をレイプ。ネグレスト。虐待。親が子供の未来を決める・・・。
社会問題の質が変化しているのがわかる。
読んでいるうちに違和感が風船みたいに膨らんでいき何か違うという感覚に支配される。
それで気づく、この物語にはからくりがあると。
不妊の問題が出てくる。これがわからなかった。
これは昔の問題なのか、それとも今の課題なのか?。
子供が産めない母親は辛い。それは今も昔も同じだった。
社会問題は現在と過去では変化しているのだが、子供の本心は変わらない。
ほんと不思議なんだけど、子供って親のそばにいたいもんなんだよな。暴力振るわれても嘘ついて、親を庇おうとする子もいるくらいで、家庭ってもんは力があるよなぁ
子供はいつの時代も親によって不幸にも幸せにもなる。
そんな子供たちに最低限必要なことって何だろう?
笑って暮らせる空間と、お腹を満たす食事・・・
なのだそうだ。
虐待をされている子は親と離せば良いのかという議論も興味深い
子供の分離不安は、時に虐待されるよりも大きい
問題は親に対しての不信感ではなくて、自己に対する不信感なのだそうだ。
子供が自分を責める状況はトラウマになることがある。
あれくらいがなんだ!。あれは躾だ。・・・は嘘をつくからな。言ってわからねぇ奴にはヤキを入れるしかないだろ。俺だって親父にあれくらい・・。
虐待は繰り返えされる。
フィリピーナの息子の海は人種差別を受け、なぎさは兄やその友達から子供の頃より性的虐待を受けていた。この地域には塔がある。
この物語の中で一番切ないシーンはここなので紹介しておく
塔にはラプンツェルという髪の長い娘が住んでいて、可哀想な子がいると髪を垂らして助けてくれるという妄想を信じていたのだった。いつかラプンツェルが助けてくれると思いながら、なぎさは兄やその友達に犯されるのを耐えていたのだった。
それを自分と同じ境遇の晴に教えて聞かさせる。そのシーンが切ない。そこには、なぎさの絶望が見え隠れしている。
そして、海となぎさは夕日を見ながら思うのだ。
今日の夕日と明日のソレは違うのだと。
今日のあたしたちは、明日はもういない。
そう信じないと生きられない。
そんな子供たちの苦しみは、晴が大人になり松本になっても続くのだった。
でも、それでも自分が1人でも救う。そう思う松本だった。
世界は変えられる。
私は、ここからそう感じた。
もちろん、良い方にだ。
2020 11/1
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