見出し画像

書評  死の家の記録 ドストエフスキー   「貨幣とは鋳造された自由である」っていう有名な文句を見つけられて嬉しいが退屈な話しであった。

画像1

本作は、ドストエフスキーの監獄ルポである。
登場人物が多く、1つ1つのエピソードは平板であり情報が後へ後へと押しやられていくようなイメージがあり退屈だった。
当時のシベリアの監獄は、日本のともアメリカのとも、かなり印象が違う。
すごく自由に思えた。
厳しい集団生活や臭い飯、点呼等のシーン強制労働的なシーンも少なかった。
酒を飲んだり、女を買ったりもできた。そんなことは日本では不可能だ。
なのに、脱獄したのは最後の2人だけ、それもすぐに逮捕された。
というのも、シベリアという立地が関係してくる。

シベリアってどんなところなのか?。
ロシアのヨーロッパ部分の東端、ウラル山脈を西の境界とした太平洋岸まで続く広大な土地と解説にはある。つまり僻地であり、地元住民には密告者も多く。そんなところを村の人間以外の人が歩いていると目立つ。足に鎖がついているのである。

妻殺しの罪で服役していたゴリャンチコフの死後に見つけた記録という形をとっているのだが、作中、この妻を回顧するシーンもなくば、罪の意識を感じている場面も現れない。何か変だった。読んでいくうちに、そういう違和感を感じた。
解説によると、ゴリャンチコフ=ドストエフスキーなのだそうだ。
ドストエフスキーは、シベリアで監獄生活を4年していた。ペトラシェフスキー事件に関わって逮捕され、1850年から1854年までの四年間オムスク要塞監獄で過ごした。
つまり、自分の実体験をベースにしているのだ。だから、リアルなのである。
ということは、当時の記録とも言えるのであり、民族学的な資料でもあるのである。

監獄の中で囚人たちは冗談を言いあい、ときには罵り合ったり喧嘩もする、酒を飲み女も買う、小銭を稼ぐ内職を持っている。


日本の刑務所とは、かなり違う。

本書に、ストーリーというものはほぼなく、ただ、たんに監獄の情景や囚人たちの人物がエピソードとともに紹介されているだけである。それが延々となされるため、読み続けると疲れる。平板と言ったのは、このことだ。
その囚人たちの描写だが、確かに粗暴である。しかしながら、常に暗い調子を帯びているわけではない。したたかな生活力、ときには底抜けな明るさや人間味さえ感じさせるところがある。
貴族階層と庶民の分断というモチーフもあったり興味深い。

人間味の部分を少し例を出して説明すると、こんなシーンがある。

子供をおびき寄せて・・・斬り殺したというのだ。・・・それまで男の冗談に笑っていた房の連中が、・・・いっせいに罵りだした。・・・・囚人たちが罵ったのは別に義憤からではなく、ただ単にそういうことをしゃべってはいけない・・・。

囚人たちは足かせを着けていたが、監獄の中を自由に歩き回って、悪態をついたり、歌を歌ったり、自分の仕事をしたり、パイプタバコをふかせたり、酒まで・・・夜中にはカード賭博を・・・。


この自由度はどこからくるものなのか、それは金が流通しているからである。
「貨幣とは鋳造された自由である」っていう有名な文句があるが本書からである。
まさしく監獄なのに金がものを言う世界。外と同じだ。ときに、金は人間の自由度を広げる効果があるのだ。

金は監獄の中で恐るべき意味と力を持っていた。・・・何がしかの金を持っている人間は、一文無しに比べて味わう苦しみが十分の一ですんだ。

ドストエフスキー自身は金持ちでかなり優遇されていたが、それでもこの生活の不自由さは耐え難いものを感じていた。それを囚人の一人に代弁させているシーンがここだ。

俺たちはここで何をしているんだろうね?。生きているのに人間じゃないし、死んでいるのに死人じゃないし・・・。


最後に、印象に一番残った言葉を紹介したい。

それにしても、人間は生きられるものだ!人間はどんなことにでも慣れられる存在だ。わたしはこれが人間のもっとも適切な定義だと思う。

2020 4/29


この記事が参加している募集

読書感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?