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書評 GO  金城一紀 第123回直木賞受賞作品。在日文学の1つの頂点だと思う。

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黒人差別の問題で、今、世界は混乱している。
「差別」というと、学校ではキング牧師の話し(公民権運動)や南アフリカのアパルトヘイトの問題になるが、日本というか、私の住む関西では在日朝鮮人差別だろうと思うのでした。

平成の今でも、関西では平気で差別してるし、当たり前と親世代の人たちは思っている。
昔、同級生と阪神の話しをしていて、ある選手が逆転ホームランを打ったので、私はその選手を「すげー」と褒めたのだが、虎キチの友人は苦笑いをするだけだった。
「何で?」と聞くと「あの人、在日やん・・・」と。
私は、目が飛び出るくらい驚いた。阪神ファンに、そんなんを持ち込むのかと。
たぶん、私が韓国の人と結婚したいと言うと、両親は反対すると思う。
関西では、今でも、それはある。現在進行形だ。
私は、それに違和感を常々感じているが、何も言わない。そんなことを言う雰囲気が関西という土壌にはないからだ。それは甲子園球場の前で巨人の応援歌を歌うほどの勇気がいる。
たぶん、瞬殺されるだろう。

ということで「差別」を扱った文学を読もうと思った。
積み上げ本に、この本があり手にとった。

本書は、高校生のラブストーリーである。
パッチギという映画に雰囲気が似ているが、主人公の杉原は頭がいい。喧嘩も強い。文武両道なのだ。
恋人とオペラに行こうとするなんて、そんな高校生はおらん。
映画とか、甲子園とか、ひらかたパーク(遊園地)なんだが・・・、うーん、オペラかよ。
違和感ありまくりだ。
それに舞台は東京だ。東京に、鶴橋みたいな焼肉の街というかコリアンタウンあるのかと思ってしまう。とにかく、東京でも在日は差別されている。

彼は、日本人女性に恋をする。
だから、展開はロミオとジュリエットみたいになる。
差別とか偏見が邪魔するわけである。

在日とは、私の認識では朝鮮民族。つまり、旧植民地支配を受けていた朝鮮人の被害者たちというイメージである。何らかの理由で日本に連れて来られたと認識していた。
しかし、在日には2つ種類があると本書にはある。在日韓国人と在日朝鮮人だ。そして、この双方は敵対している。何じゃコレ!。

この主人公は、在日朝鮮人だったが、途中で父親がハワイ旅行したくなり在日韓国人になったのだった。
その時の父親の台詞がおもろい。

国籍は金で買えるぞ。おまえはどこの国を買いたい?


有名な投資家の人が、相続税のかからない国の国籍を取ったという話しが昔あった。
実際、国籍は変更可能なのである。
国籍は金で買える。これは事実である。

杉原は在日なので、喧嘩をひんぱんにしかけられる。
昔のヤンキー映画の世界みたいだ。

黒人解放運動の指導者マルコムXはこんな風なことを言っている。
私は自衛のための暴力を、暴力とは呼ばない。知性と呼ぶ。


すごい屁理屈だが、発想はおもしろい。

杉原は、自分が朝鮮人であることを嫌ってもいる。
要するに自由人でありたいのだ。

朝鮮は、昔から儒教の色濃いい・・・、乱暴に言ってしまえば「目上の人間を敬え」・・・、「女子供は、御主人様(父親)に決して逆らってはいけない」

男尊女卑って奴ですね。戦前の日本みたいだ。
私は、これをクズ思想と思っている。
最近の韓国文学のモチーフは、すべてコレだ。
ほんと、あの国は嫌である。何やねん、女性差別って、あほかと思う。
誰でも母親の中から出てきた。なのに、それ大人になったら忘れるんですか。

彼は朝鮮学校に通っていたが、ここはクズである。
橋本徹弁護士も前に言ってたが、どうしょうもない。

<偉大なる首領様>金日成。
民族学校を語る上で、この人物を避けることはできない。
・・・が偉大な人物であるかを、嫌というほど教え込まれた。

新興宗教に似てますね。
私なら、入学式の直後から登校拒否するだろう。

彼は、子供の頃から警察とかに普通に差別されていた。
道を歩いているとパトカーに・・・。

あんたらみたいな社会のクズは道のはしを歩きなさい!

これは人権問題だと思う。

朝鮮学校には、総括と自己批判というのがある。
ようするに、ちくりの時間である。互いに監視し合い、友人の揚げ足取りをするのだ。
日本語を使ったらいけないらしく、使った人間を仲間にちくらせるのだ。

だんまりを決め込むとビンタを食らったり、延々と自己批判させられて、口を割るまで総括は続くので、皆、あっさりと口を割る


ほとんど洗脳とかの世界ですね。
THE 共産主義そのものです。
学校とは認めたくないですね。こんなの。

 韓国に旅行をした時、タクシーの運ちゃんに「在日」であることをからかわれ、馬鹿にされ罵倒されるシーンがある。その上、釣りも寄越そうとしないからキレたら、運ちゃんから金を奪おうとしたという免罪まで着せられる。酷い話しで、父親が杉原を殴って解決という、解決にも何もなっていない。儒教の国らしい。解決方法。正しいかどうかでなく、目上の者が正義みたいな論理なのである。

ほんと、こんなエピソードを聞くと、韓国文学の色んな話しが頭をよぎる。
あの国は、早く変わらなくてはいれないと思う。めちゃくちゃだ。

在日は、韓国人にまで馬鹿にされる存在なのだ。
そんな杉原だが、日本人の女の子が好きになる。
この杉原の台詞が大好きだ。

俺にもよくわからないんだ。かなり不思議な子でさ、突然現れて、気がついたら向こうの世界に引きずり込まれていた


恋というのは、こういうものなんだよ。
気づくと彼女が世界の中心にいて、自分が何をしているのかもわからなくなるのだ。

二人はいつも「カッコいい」を探していた。
それはジャズであったり、オペラであったり、映画であったり、絵画であったりする。

杉原らしい会話を1つ紹介。

「ブラームスって何人なのかな?」
「知らない。でも何人とかそういうのって関係ないと思う。だからブラームスって世界中の人たちに聞かれているんじゃないかな。ブラームスの音楽って綺麗だもんね」

音楽は国境の垣根を超える。
まさしく自由。それは杉原の求めているもの。

杉原と彼女はホテルにやってくる。
親友が死に杉原は落ち込んでいる。
このエピソードはあまりにも悲惨すぎる。差別と誤解から産まれた悲劇だ。

結ばれようとする直前、杉原はカミングアウトするんだ。
自分は在日だと。
この時の彼女の台詞が印象に残った。まるで、私たちの親世代のような時代錯誤の台詞だからだ。

・・・お父さんは、韓国や中国の人は血が汚いんだ。って言っていた。

だから嫌だ。無理だというのだ。
私なら「君は無知なのか!」と説教するだろう。そして、「きもい」と嫌われる。
どうせ嫌われるなら、それでいい。
彼は、そんな彼女にこう言った。

僕の本当の名前は、「李」。李小龍 ブルースリーの「李」。めちゃくちゃ外国人みたいな名前で、こんな風に君を失うのが怖くて、教えなかった。
何か切ない。ブルースリーみたいに蹴りをいれたれ。

泥酔した父を迎えに行き、北朝鮮にいる叔父の死を知らされる。
このシーンも切ない。


韓国には行ける。でも、北朝鮮には行けない。何がそうさせるのだ。もとを糺せば、韓国だって北朝鮮だって、ただの陸地じゃないか。何が行けなくしているのだ?。深い海か?。高い山か?。広い空か?。人間だ。糞みたいな連中が大地の上に居座り、縄張りを主張して僕を弾き飛ばし、叔父さんに会えなくしたんだ。信じられるかい。テクノロジー全盛でこれだけ世界が狭くなっている時代に、たった数時間の場所に行けないこと


国境やイデオロギーが自由をいつも殺す。
そういうものがない「自由」な世界にならないものかと思ってしまう。

彼女に呼び出されて学校に行く。
そこでの会話がいい。

俺は何者だ。
・・・在日韓国人
俺はお前たち日本人のことを、時々どいつもこいつもぶっ殺してやりたくなるよ。お前ら、どうしてなんの疑問もなく俺のことを<在日>だなんて呼びやがるんだ。俺はこの国で生まれて、この国で育っているんだぞ。在日米軍とか在日イラン人みたいに外から来ている連中と同じ呼び方をするんじゃないよ。<在日>って呼ぶことは、おまえらが、俺がいつかこの国から出ていくよそ者って言っているようなもんなんだぞ。分かっているのかよ。そんなこと一度でも考えたことがあるのかよ
・・・俺は<在日>でもモンゴロイドでもねぇんだ。俺を狭いところに押し込めるのはやめてくれ。俺は俺なんだ。いや、俺は俺であることも嫌なんだ。俺は俺であることからも解放されたいんだ。

在日の主張のように読めるかもしれないが、そうではなく。
人間を勝手にカテゴリーに当てはめてレッテルを張り自由を制限する
それに対して、彼は反発しているんだ。
それは当然の権利であり、在日だから差別されていいとか
時代錯誤な昔の考えは、もう、おさらばだぜと正論を述べているのである。

これは黒人を差別する時代錯誤な馬鹿な白人にも言えることだ。
元をたどれば人類はアフリカ大陸からやってきて
1つだった。時間をかけて肌の色が変化した。
それは環境に適応したに過ぎない。ダーウィンの進化論を学ぶべきだ。
そんな歴史的な事実すら逸脱した差別主義者は馬鹿だと言いたいのだ。

これ、いい作品だった。
読む価値ありますよ。
久しぶりに興奮して関西弁が出てもたよ。

2020 6/27



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