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めいそう日記Ver2〜Day342:旅は続くよどこまでも

1. 瞑想小咄〜旅は続くよどこまでも

一つゴールを迎えたら、それでちゃんちゃんと終われるとは限らない。実はゴールだと思っていたものはただの通過点に過ぎず、その先にはまた新たなゴールに向けた道が続いている。

そんなことを感じたのは、ある一つの出会いからだった。

先日、伊勢神宮の内宮前の休憩所で、知り合いの人と一緒に伊勢神宮のことについて、いろいろと話をしていた時のこと。隣に一人のお遍路さんの装束を着た旅人のような人が座った。

時刻はそろそろ夕刻を迎えようとしていた。連日茹だるような暑さが続いており、かつ夕方の気配が漂い始めていたため、参拝客はまばら。そんな中で、お遍路さんの姿をした人はとても目立った。

気にはなるものの、知人と伊勢神宮についての話を続行していたら、お遍路さんの方から話しかけてきた。どうやら、私たちが伊勢神宮の話を聞いていたようで、とても興味深かったとわざわざお礼を言ってくださった。

せっかく声をかけてくれたので、こちらからも気になっていたことを質問してみた。出立からして、おそらくお遍路さんなのではないかと思っていたが、尋ねてみたところやはりそうだったらしい。しかしまた、なぜお遍路さんが伊勢神宮までやってきたのだろうか。話を聞いてみると、これまた不思議なものを感じた。

その方は東北から来られた方だった。3ヶ月ほどかけて、今の旅路を続けているらしい。最初は八十八ケ所の歩き遍路をしようと思ったのだとか。しかし、お遍路が終わったところで言われたことが、「高野山に行きなさい」とのことだった。言われるがままに高野山に赴いた。すると、そこで言われたのが、「熊野三山を周りなさい」だった。

そしてようやく熊野三山を周り終えたところで言われたのが、「伊勢神宮へ行きなさい」だったのだとか。

これは私の想像だが、きっと当初の予定よりは随分と長い旅路になったのだろう。まさか高野山に行くとは思ってなかったろうし、熊野三山に行くとも思っていなかったはずだ。ましてや伊勢神宮まで来るとは。随分遠くまできたものだと、思っていたのではないだろうか。

その方の顔は、非常に柔らかくて穏やかだったのが印象的だった。きっと、長い旅路の中で、いろいろな人との縁があり、助けられ、伊勢神宮の前にやってきたことに、心から感謝をしているのだと感じた。

宇治橋の鳥居の前に立った、その方の姿は祈りの極致のような感じがした。

その人にとって、これがゴールになるのだろうか。きっと違うだろう。これからまた、地元へ帰ってそして新たなスタートを切るのだと思う。やはり、ゴールと思っていたものは、ただの通過点に過ぎないのだ。

そしてそれは、単に物理的な旅にとどまらず、きっと人生の旅に関しても同じことが言えるのだろう。「ここがゴール」と思っていたら、案外、その先にある新たなゴールに気づくかもしれない。

ちなみに、伊勢神宮は内宮と外宮の他に全部で125の神社の集合体だ。そんなことをその人に話してみたところ、「さすがに一度地元に帰らせてください!」と苦笑しながらおっしゃっていた。

旅は続くよ、どこまでも。

2. 今日の瞑想〜2024.7.23 Tue 6:05〜(10min)

火曜日の朝。大分調子は回復中。でもまだまだなので、引き続きしっかりとした休息を忘れずに。まずは瞑想しよう。

今日の瞑想音楽はこれ。

姿勢を整えて座る。今日は昨日よりも雑念が強い感じ。気になっていることがあるので、それがずっと頭に浮かんで消えてくれない状況。雑念を手放そうとしても、強いものだとすぐに浮かんできてしまう。今日はなんとも言えない瞑想だった。

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