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結局は、動き出さないと言葉にできない。~2~

ずっと言葉に関わる仕事がしたいと思っていました。

別に文章力があるとか、漢検の点数がいいとか本当にそういうのではないけれど、
伝わる言葉や言い回しをしっくりくるまで考えるのが、好きだった。というか昔からよく時間をかけてやっていたことでした。

頭のキャパシティは広くないので、色んな情報が入ってきては混ざり合うと、どこまでが自分の考えで、どこまでが他人の言葉か、そんなのすら分からなくなるほどですが、何だか自分にとって無性にこだわりたくなるポイント。

物語を書いたり、絵が上手いわけでもないですが、ストーリー性があるものが好きで、ここも私にとって大事にしたと感じているポイントの一つです。

目立つのが好きだから、こうやって言葉にまつわる仕事に興味があるのだろうか?
広告業界を選んだのもそれが理由なのだろうか?

建前と本音が分からなくなっているのは、本当に滑稽だなと感じます。

よく志望動機に、「そのものの持つ魅力にタグを付ける」という表現を使っていました。

これは、自分に対して強く感じているのかもしれないと後に感じました。

自分は、何が一番大切で、何が好きで、どんな思考回路を持っていて、どんな香りが好みで、どんな服を身にまといたくて、どんな働き方がしたくて、将来はどんな人生を送っていたいか。

よく、自己分析ノートを作っては、何度も繰り返し自己分析を行い、人生マップを作っては、その瞬間に満足し、また次の日になると何だかしっくりこない未完成のモノに見えてしまいます。

そのような日々を繰り返していると本当に本音が分からなくなってしまいました。

ああ、一度っきりしかないこの人生、この瞬間。後悔なく生きるにはどうしたらよいのか。

自分の人生の行き先や気持ちも不安定な状態で、人の魅力など見抜けるようになるのであろうか。

不安要素ばかりが目に付く日々ですが、そんな中にも一つ成長を感じられている部分があります。
それは、今、殴り書きのような気持を書き綴っている、今この瞬間です。

今までは、どうしたらもっと上手く伝わるとか、オシャレな見え方に魅せれるか、完璧な言葉を書ききるまでどうにも投稿するまでに至れませんでした。

でも、今はただ自分の中に出てきた言葉を書き連ねて投稿するに至れています。

これは、私にとって枷を解くため、もがく行動の一つになっていると思います。

このような無造作な行動を繰り返し、少しづつ歩きながら変化を加えていく。

そうすることで、言葉にできるようになっていくのだろうと感じます。

まだ、私は自分の引き出しを増やしている最中でしかないのだろう、と。

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