虫追篤

むそう・あつし。歌人。「短歌ください」、「岡野大嗣と詠むレッツ短歌!」、「日経歌壇」、…

虫追篤

むそう・あつし。歌人。「短歌ください」、「岡野大嗣と詠むレッツ短歌!」、「日経歌壇」、『西瓜』読者投稿欄「ともに」への投稿を活動の中心におく。2年目も歌人としての実績を少しづつ積み重ねていこう。歌集出版を目標に。別名義「アステリズム」でも活動中。(2022年4月1日記)

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  • 一首評集

    歌人・虫追篤によるnote記事の中から、一首評をピックアップ。

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    歌人・虫追篤によるnote記事の中から、書評・歌集評をピックアップ。

最近の記事

一首評:來る「短歌ください」第190回 自由題(『ダ・ヴィンチ』2024年2月号掲載)

もし私がコーヒーミルで遺骨を砕いたとしたら、そのとき私の手にはどんな感触がのこり、耳にはどんな音がきこえ、そしてどんな景色を見るのだろうか。 短歌とともに寄せられた作者コメントには「散骨のために」と書かれていたとのこと。いくら目的があったとしても、遺骨をコーヒーミルで砕くときには、色々な抵抗を感じそうだ。 四句後半からの「新 宿、新宿は晴れ」という空白と読点で区切られている表記は、あたかもコーヒーミルで遺骨を砕き始める時のハンドルの抵抗感、少しずつ回していき次第に回転が滑

    • もっと歌書や時評集を

      なぜその考えに至ったのかの詳しい話はまたいずれするつもりだが、今年は(歌集だけでなく)歌書や時評集ももっと読んでいこうと思った。 できれば、読むだけでなく歌書や時評集の書評も、(感想文程度でもいいので)noteなりどこかに書き残しておくようにしていきたい。 砂子屋書房のウェブコンテンツ「日々のクオリア」とか、書籍にまとめたりしてはくれないものだろうか……

      • 一首評:近藤かすみ「雲井通」より

        鉄道の改札口のほとんどが自動改札機になって久しい。そこを通り抜けるたびに、空港での手荷物検査や保安検査場の金属探知機を思い出して、「スキャニングされているな」と感じることもままある。 特に、紙の切符ではなく、交通系カードやスマホを機械にあてて通り抜けるとき、「スキャニングされてる感」はいよいよ強まる。 そんな感触からだろうか、作者は「つぎつぎに改札をくぐる人」の身体の内側に「臓器」が詰まっていることを改めて感じたのだろう。少し不気味な感覚だ。 さて。このうたで注目したい

        • 「わからない」と初詣

          「初詣」が何日までにするものなのかいまだによくわかっていないけれども、三が日のうちには行った方がいいのかなあ、と思いつつ、今日の夕方、下鴨神社(正式な名称は「賀茂御祖神社」)に向かう。 下鴨神社は、京都の寺社仏閣の中でも好きなところのひとつ。8月に開催される納涼古本まつりの開催地でもある。森見登美彦の小説にも頻繁に出てくる神社だ。 本殿と自らの干支の社(「言社」と呼ばれる干支のお社がある)にお参りのち、破魔矢を手に入れて帰路に。 破魔矢を入れてくれた袋をふとみたら、「山

        一首評:來る「短歌ください」第190回 自由題(『ダ・ヴィンチ』2024年2月号掲載)

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        • 一首評集
          45本
        • 書評集
          15本

        記事

          一首評:近藤かすみ「水滴」より

          「やのあさって」とは、今日から数えて3日後のこと、つまり「明後日の次」の日を指す。「しあさって」はさらに1日後の4日後のこと。ただし、これは地域によって逆なこともある。つまり「しあさって」は3日後で、「やのあさって」は4日後という場合もある。私も後者の方で覚えている。 (今日から数えての)日数を表す言葉としては、ぎりぎり日常生活の中で使う言葉といったところだろうか。 このうたで描かれているシチュエーションは、本を読んでいるところなので、もしかすると、本の中に「やのあさって

          一首評:近藤かすみ「水滴」より

          なゐ

          2024年、年明けて久々のnote更新。 今年の抱負などを書こうか、などと思っていた夕方に地震発生。「令和六年能登半島地震」と名付けられたとの報道も聞こえてくる。 震源地から離れた関西でも大きくはないが揺れが。船の揺れにも似たゆったりした長い時間の揺れに、13年前の東日本大震災を思い出す。 実家が新潟なので、老母や兄夫婦の安否が心配だったが、18時ごろには連絡も取れて一安心する。 能登半島は以前の仕事でゆかりが(少しだが)あった土地。現時点では被害の全体的な状況がまだ

          一首評:(執筆中)

          (執筆中)

          一首評:(執筆中)

          自分で運転して車酔い

          ごくたまになるのだけれど、自分で自動車を運転してて車酔いをしてしまった。三半規管が調子悪いのでしょう。 しかも、自動車を降りてからバスに乗る必要があって、さらに追い討ちでダウン…… まあ、そういう日もありますね。

          自分で運転して車酔い

          一首評:田中有芽子「私は日本狼アレルギーかもしれないがもうわからない 【あ】行」より

          一瞬のSF。 一瞬、破調に迷うようなうた。でも、 あしたはい/ちじかんがよん/じゅうごふん/になりますせん/せいのれんらく と区切れば五七五七七にきっちりと収まるうえに、二・三・四句目の端に「○ん」という音が配置されていることがわかる。かなり計算されているうただと思う。 そして意味の上でもまた、一瞬何を言っているのか迷ってしまう。1時間が45分?? 種明かし的に読むのも野暮かも知れないが、学校などで実際に聞こえてきた先生の言葉なのではないだろうか。 先に出てくる「

          一首評:田中有芽子「私は日本狼アレルギーかもしれないがもうわからない 【あ】行」より

          一週間、空いてしまった

          この一週間、更新が空いてしまいました。10月から毎日更新を目指していたんですけどね……体調を崩すとダメですね…… (続きは、ちょっと後で書きます)

          一週間、空いてしまった

          一首評:藤原建一「2017年11月4日 日経歌壇」掲載歌

          マスメディアによる報道の特質を端的に表しているうただと思う。 このうたが日経歌壇に掲載された当時ならば、ここでうたわれている事柄にピンとくる人は多かったことだろう。 ここでの「内村選手」とは体操の内村航平のことであろう。2017年にモントリオールで開催された世界体操競技選手権にて、内村航平選手は跳馬の着地で負傷して途中棄権し、2009年から続いた世界選手権個人総合での連勝記録も6で途絶えることとなった。 オリンピックでも金メダルを獲っているような著名な選手でもあり、おそ

          一首評:藤原建一「2017年11月4日 日経歌壇」掲載歌

          ノーベル文学賞と訳書の有無

          先日、今年2023年のノーベル文学賞の受賞者が発表された。受賞者はノルウェーの劇作家ヨン・フォッセ。私自身は不勉強で初めて聞いた名前だったが、ノルウェーの演劇界ではイプセン以来の重要な劇作家と言われているらしい。 さて。このヨン・フォッセの著作の日本語訳書が、現時点では出ていないらしい(おそらくこれを機会に出版されることになるとは思うが)。 この「ノーベル文学賞受賞時に訳書がない」ということがこの数年で結構あったこともあり、一部では「日本における翻訳文学文化の衰退」を心配

          ノーベル文学賞と訳書の有無

          一首評:藤原建一「2020年9月19日 日経歌壇」掲載歌

          不穏。どこまでも不穏。 作者が「山なか」のひとけのない沼に来て、その沼に釣竿が浮いているのを見かけた光景をうたったうたと読める。 が、「ひとけがない沼」ではなく「人なき沼」といううたうことによって、映画のワンシーンのような、あるいは神からの視点のような、俯瞰的な映像が頭に浮かぶ。 啄木鳥の音にしても、「けたたましく聞こえる」ではなく「音けたたまし」とうたうことで、誰も聞いていない中にただ啄木鳥の音がそこに鳴っている印象が強く残る。 啄木鳥がけたたましく木を突き続ける音

          一首評:藤原建一「2020年9月19日 日経歌壇」掲載歌

          送られてくる映像をまえにして

          パレスチナのガザ地区を統治する武装勢力ハマースによる現地時間10月7日朝からのイスラエルへの攻撃に端を発し、イスラエル政府は戦争状態に入ることを宣言した。 ……この一文をできるだけ正確に書こうとするだけでも、いろいろと確認しなければいけないほど、この問題は歴史的に根が深く、また現時点での情報も入り組んでいる(しかも、本当に正しいかどうか不安は残る)。 いったい何が起こっているのかと、多少なりとも知らなければいけないと思い、ウェブ上で情報を集めようとするのだが、今回のこの戦

          送られてくる映像をまえにして

          一首評:藤原建一「2021年8月28日 日経歌壇」掲載歌

          上の句から読んでいくと「そんなことがありうるのか?」という気持ちにまずはなる。ありうるとしたら魚屋とかにある大きな冷蔵庫だろうか。丹後半島のような山間部も近くにあるような海沿いの街。そこの漁港や魚屋の冷蔵庫に迷い込む猿…… 冷静に考えてみると「知らぬ猿」というのはちょっと不思議な言葉だ。じゃあ「知っている猿」がいるのか。そんなひとがどれぐらいいるというのか。 そうした不思議な気分になりつつ下の句を読むと、これが起こったと思しき季節やタイミングを知らされる。すると一瞬納得し

          一首評:藤原建一「2021年8月28日 日経歌壇」掲載歌

          (準備中)

          (ちょっと記事の内容について書き直します)

          (準備中)