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一首評:藤原建一「2017年11月4日 日経歌壇」掲載歌

各局のニュースの中で何回も内村選手は負傷するなり

藤原建一(2017年11月4日 日本経済新聞 日経歌壇 穂村弘 選)

マスメディアによる報道の特質を端的に表しているうただと思う。

このうたが日経歌壇に掲載された当時ならば、ここでうたわれている事柄にピンとくる人は多かったことだろう。

ここでの「内村選手」とは体操の内村航平のことであろう。2017年にモントリオールで開催された世界体操競技選手権にて、内村航平選手は跳馬の着地で負傷して途中棄権し、2009年から続いた世界選手権個人総合での連勝記録も6で途絶えることとなった。

オリンピックでも金メダルを獲っているような著名な選手でもあり、おそらく当時のニュースで繰り返し取り上げられたことだろう。

当たり前だが、内村航平選手のその怪我は一瞬のこと、一回きりのことである。にも関わらず、ニュースで何度も何度も取り上げられることによって、あたかもその怪我が繰り返し発生したかのような錯覚を覚えてくる

本当に一瞬の怪我で、内村航平選手は多くのものを失うことになる(今から振り返れば、彼の選手としてのピークもこの時の怪我でほぼ潰えたとわかる)。

その一瞬の悲劇が映像の上で繰り返されることで、なんだかその濃度が薄められていくようにも思えてはこないだろうか。

そしてまた、思う。

ニュースの時間は有限だ。このように繰り返し報じられるニュースがあれば、本当は存在しているはずなのに報じられないニュースもあることが、このうたから想像することもできる。

薄められていく悲劇と取り上げられることすらない悲劇。どちらにしても、その本当のありようは随分と歪められているようだ。


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