【メイドカフェ文化とは何か?】夜と朝の間に愛が生まれ、白昼に萌え出ずる
「どうも」メイドカフェ(Japanese maid café)を文化にした者です。正確には「メイドカフェ」を文化(Japanese maid café culture)として政府に認めさせた者になります(詳細は以前の記事『【メイドカフェ】を文化にした者からオタクへの密命』をご参照ください)。
以前の記事『【メイドカフェ】を文化にした者からオタクへの密命』(以下「ファースト記事」と呼びます)で記述した通り、メイドカフェはサブカルチャーからカルチャー(文化)になったのかという疑問が依然として存在します。本稿ではメイドカフェの定義と歴史を逍遥しつつ、サブカルチャーあるいはポップカルチャーとしての「メイドカフェ文化」とは何かを(個人的な備忘録を兼ねて)漠然と茫漠と考察したいと思います。
メイドカフェの定義
「メイドカフェ」とはウエイトレスがメイド服を着用しているカフェ(あるいは喫茶店)のことです。それ以上でもそれ以下でもありません。
分類的には「コスプレカフェ」にカテゴライズされます。コンセプト飲食店⊃コンセプトカフェ⊃コスプレカフェ⊃メイドカフェ⊃メイド喫茶、コンセプト飲食店⊃コスプレ飲食店⊃コスプレカフェ⊃メイドカフェ⊃メイド喫茶といった感じです。
《メイドになりきった店員が、客を「主人」に見立てて給仕などのサービスを行う》などと説明されることがよくありますが間違いです。何故ならメイドカフェ御三家をはじめとした伝統的メイドカフェには、お客さんを「ご主人様」と設定するコンセプトはないからです。メイドカフェ(およびコンセプトカフェ)の中に「ご主人様設定」を採用するところが増えたというだけの話です。
また、明治末期の『カフェー・ライオン』を原型とするのも誤りです。何故なら『カフェー・ライオン』の女給は和装にエプロン姿であり、メイド服をコスプレとして着用していないからです。店員がメイド服をコスプレしていないカフェがメイドカフェであろう筈がありません。
メイドカフェの歴史
(メイドカフェの歴史に関しては、ファースト記事と重複します。)
世界初となるメイドカフェの常設店『CURE MAID CAFÉ(キュアメイドカフェ)』は2001年3月30日コスパグループによって秋葉原に開設されました。それ以前、制服系同人誌即売会『コスチュームカフェ』などでイベントとしてコスプレ店員による「カフェイベント」は行われていましたが、ウエイトレスのコスプレをメイド服に統一し、常設店としてメイドカフェを開設したのは『CURE MAID CAFÉ』が最初となります。
続いて2001年11月10日にクラシカルなメイド服に加え、パステルカラーのメイド服をバリエーションの一種として初めて採用した「昼はメイドカフェ、夜はメイド居酒屋」の『ひよこ家(HIYOKO家)』が秋葉原に開店。翌2002年7月19日にメイドさんが特定のコスプレネームを持つようになった『Cafe Mai:lish(カフェメイリッシュ)』(開店当時の店名は『Mary's』でコスプレ喫茶だったそうです)が同じく秋葉原に開店しました。
メイドカフェ御三家
これら原初のメイドカフェ3店舗を「メイドカフェ御三家」と言います。
メイドカフェ御三家
「メイドカフェ御三家」とは、世界初となるメイドカフェの常設店として2001年に開店した『CURE MAID CAFÉ(キュアメイドカフェ)』、同じく2001年に開店した「昼はメイドカフェ、夜はメイド居酒屋」の『ひよこ家(HIYOKO家)』、2002年7月19日開店でメイドさんが特定のコスプレネームを持つようになった『Cafe Mai:lish(カフェメイリッシュ)』(開店当時の店名『Mary's』)を指します。
オタクの社交場として確立
「オタクの社交場」としてメイドカフェを確固たる存在にしたのはメイドカフェ御三家のひとつ移転前(残念ながら移転後は十分なスペースがなくなってしまいましたが)の『ひよこ家』です。秋葉原に来たオタクたちは『ひよこ家』に集い、パソコンやアマチュア無線の情報交換を行い、マンガやアニメ、ゲームなどの話題で熱い議論を交わしました。
メイドさんのタレント化
メイドカフェにおいて個々のメイドさん(Japanese maid)にスポットライトを当て、メイドさんの個性を尊重し、メイドさんをタレント化したのはメイドカフェ御三家のひとつ『Cafe Mai:lish(カフェメイリッシュ)』が始まりです。
開店当時の店名は『Mary's』でコスプレ喫茶だったそうで、ウエイトレスが同店の制服とも言えるオリジナルのメイド服を着用して給仕する「メイドタイム」とウエイトレスが自身の持つキャラクターコスプレ衣装を着用して給仕する「キャラコスプレタイム」の二部構成だったとのことです。ポイントはコスプレイベント等で活躍中のコスプレイヤー10人をウエイトレスとして採用してスタートしている点にあります。
もともとコスプレイヤーやアイドルがメイドカフェのメイドさんになっていることが多かったという当時の状況もあり、オタクにとって会いに行けるアイドルとしてメイドさんのタレント化が加速しました。
テーマパークとしてのメイドカフェ
メイドさんのタレント化とほぼ時を同じくしてメイドカフェのテーマパーク化が起こりました。テーマパークとしてのメイドカフェを確立したのが『メイドカフェぴなふぉあ』(2003年)です。秋葉原駅前のガラス張りの路面店(残念ながら「ぴなふぉあ1号店」は現存せず)は観光スポットになり、多くの人が店内を覗き込む光景が常態となりました。ピンクを基調としたメイド服も革新的で、メイドカフェ業界に震撼が走りました。
また、『電車男』などの作品を通じてメイドカフェの存在を広く世間に知らしめたのも「ぴなふぉあ」でした。「ぴなふぉあ」が切り拓いた道を発展的拡張により独自進化させたのが、エンターテインメント系メイドカフェである『あっとほぉーむカフェ(@ほぉーむカフェ)』や『めいどりーみん』(および『アキバ絶対領域』)、コンセプトカフェとしては『王立アフィリア魔法学院』といって過言ではないでしょう。
メイドカフェ定番フレーズ
メイドカフェ御三家には、お客さんを「ご主人様」と設定するコンセプトはありませんでした(現在でもありません)。お客さんを「ご主人様」「お嬢様」設定し、「お帰りなさいませ、ご主人様(お嬢様)」というフレーズを生み出したのは名古屋・大須のメイドカフェ『M’s Melody』(2002年9月13日開店 - 2018年7月1日閉店)だと界隈で言われています。今ではメイドカフェのみならず大多数のコンセプトカフェ(コンカフェ)にとってなくてはならないフレーズとなっています。
また、御三家など伝統的なメイドカフェには存在しませんが、エンターテインメント系メイドカフェには「おいしくなーれ、萌え萌えキュン」などのおまじないフレーズがあります。おまじないフレーズが知られるようになったのは『あっとほぉーむカフェ(@ほぉーむカフェ)』hitomiさんの貢献によるところが大きいと思われますが、あくまでエンターテインメント系メイドカフェに限定されたフレーズであり、メイドカフェ(メイド喫茶)一般のフレーズではない点に注意が必要です。
メイドカフェのメイド四天王
(「メイドカフェのメイド四天王」に関しては、前回の記事『【秋葉原】コロナ禍のメイドカフェ散策』と重複します。)
メイド四天王
いわゆる「メイドカフェのメイド四天王」とは、『Cafe Mai:lish(カフェメイリッシュ)』ありささん(卒業)、『メイドカフェぴなふぉあ』田川まゆみさん(現『Cafe Mai:lish(カフェメイリッシュ)』まゆみ副店長)、(「Cos-Cha」「JAM」を経て)『セントグレースコート』の店長だったイヌ発電さん、『私設図書館 シャッツキステ』(旧『シャッツキステ屋根裏部屋』)の店主だった有井エリスさんの4人を指します。
メイドカフェを文化として育む
(「メイドカフェを文化として育む」に関しては、ファースト記事と重複します。)まだサブカルチャーであり、カルチャーに至っていないかもしれませんが、「メイドカフェ」(あるいは「メイド喫茶」)を文化として育んできたのは、『コスチュームカフェ』(コスチュームカフェ実行委員会)や世界初となるメイドカフェの常設店『CURE MAID CAFÉ』(2001年)を開設したコスパグループのみなさん、2001年からメイドカフェのメイドをなされている『ひよこ家』(2001年)の「人間国宝級メイド」店長まいさんや『Cafe Mai:lish』(2002年)のまほれ店長・まゆみ副店長(いわゆる「メイド四天王」のひとり)といったレジェンドメイドさんたち、そして何と言っても名も無きオタクたちです。
「オタク」とは何か?
ファースト記事で「未来を切り拓くのはオタク!?」と書きましたが、通奏低音として常にメイドカフェ文化を支えて来たのはやはりオタクたちです。それでは、「オタク」とは一体何でしょうか?
オタクの定義
オタクとは「消尽した者」のことです。「消尽した者」とは「可能性の限りを尽くした人」です。「消尽したもの、それは疲労したものよりずっと遠くにいる」とジル・ドゥルーズは書いています(Gilles Deleuze『L'Epuise』1992年)。自らの内側から湧き起こる衝動に駆られ、常に可能性の限りを尽くしている人々です。
人は自分が何に関心を持ち、何を好きになり、何を愛するのかを自らの意思で決めることはできません。それはあるとき突然やってきます。その対象はマンガやアニメ、ゲームかもしれませんし、電子工作やパソコン、アマチュア無線なのかもしれません。
それは単にリビドー(libido)によるエロス(erōs)・タナトス(thanatos)に突き動かされた美少女ゲームなのかもしれませんし、もっとストレートにエロゲームなのかもしれません。しかし、「消尽した者」はリビドーよりもっと根源的な深淵から湧き起こり、自身をはみ出していく衝動「ピュシス(physis)・ゾーエー(zoe)」によって心を奪われ囚われた対象に関心を持ち、執心し、好み、愛おしむことに可能性の限りを尽くすのです。
ちなみに、オタクは取り憑かれた対象に可能性の限りを尽くす者ですが、あくまで「消尽した者」であり、それは必ずしも博学多識という訳ではありません。そのことが後に他者の外部記憶へのアクセスを希求する動きに繋がる要因になります。
「萌え」とは何か?
「萌え」とは、自分の内なる深淵から湧き起こり、自身をはみ出していく衝動である「ピュシス・ゾーエー」のことです。
前述の通り、人は自分が何に関心を持ち、何を好きになり、何を愛するのかを自らの意思で決めることはできません。その「愛」(趣味嗜好「萌え」の種子)は自身の内でありながら、自分では決して知ることのできない深淵の闇、「夜と朝の間」の世界からやってきます。
「生まれ生まれ生まれ生まれて生の始めに暗く、死に死に死に死んで死の終わりに冥らし」(空海『秘蔵宝鑰』830年頃成立)
もちろん、「萌え」の対象は人それぞれですが、オタクは「夜と朝の間」の世界からやってきた趣味嗜好(関心事)に対して自分の内なる深淵から湧き起こり、自身をはみ出していく衝動たる「萌え」に駆られ、「萌え」の対象に可能性の限りを尽くすのです。
「オタク=男性」ではない
ちなみに、一部の向きにはオタクといえば男性という誤った固定観念があるようですが、有名な初期『コミックマーケット』(コミケ)の会場写真を見れば分かる通り、実際は昔から女性の方が多いくらいです。
オタクが見る夢
「疲労したものは、ただ実現ということを尽くしてしまったのにすぎないが、一方、消尽したものは、もはや何も可能にすることができない」(Gilles Deleuze『L'Epuise』1992年)
趣味嗜好(というにはいささか生やさしいけれど)に取り憑かれ、可能性の限りを尽くしているオタクが見る夢、それは白昼夢です。「疲労した者」は横になって夢を見ますが、「消尽した者」は覚めたまま座って夢を見ます。実現ということを尽くしてしまった「疲労した者」よりずっと遠くにいる「消尽した者」は、目を見開いたまま夢を見るしかないのです。限りなく瞑想に近い白昼夢。
パソコン通信と他者の外部記憶
一個人として可能性の限りを尽くしていたオタクたちはパソコン通信、インターネットを経て、他者の外部記憶に触れることで自身では尽くしてしまった可能性を探り、限界突破の手掛かりを見出そうとしました。
他者の外部記憶にアクセスできるリアル空間
そんな折り、秋葉原の電気街に店員もオタクという「消尽した者」たちにとって抵抗のない空間が誕生しました。しかもそこにはメイドさんという分かりやすいアイコンがありました。それがメイドカフェです。
パソコン通信やインターネットを通じて他者の外部記憶へのアクセスを試みていたオタクの前に、他者の外部記憶にリアルでアクセスできる場が「コミケ」などのイベントではなく常設店として新たに加わったのです。
当時、その動きを素早くキャッチしたパソコンショップが販促施策としてメイドカフェ出店に動きました。黎明期のメイドカフェ運営会社にパソコンショップが多かったのはこのためです。
オタクの媒介者としてのメイド
そして、コスプレイヤーがまだオタクとして扱われていた時代、自らもオタクという認識のあったメイドさんが「消尽した者」たちの媒介者となることで、やがてメイドカフェはオタクの社交場として確立されたのです。
オタクのサロンとしてのメイドカフェ文化
詰まるところ、メイドカフェ文化とはオタクのサロン文化なのです。夜と朝の間に生まれた愛(趣味嗜好「萌え」の種子)によって「消尽した者」が、白昼夢にとどまらず他者の外部記憶に直接アクセスし、取り憑かれた趣味嗜好(関心事)を萌え出ずらせる社交場、そこで繰り広げられる日本独自のサロン文化、それがメイドカフェ文化です。
メイドカフェは萌え産業ではない
従って、メイドカフェはいわゆる「萌え≒かわいい」と見做す「萌え産業」ではありません。村上春樹論でよく引用されるフレーズ「あらかじめ失われた恋人たち」(リルケの詩『予め失われた恋人よ』)にかけるなら、オタクは「あらかじめ萌えたオタクたち」です。予め萌えているオタクの社交場がメイドカフェであり、メイドカフェの本質はメイドさんに萌える場ではないからです。
この「萌え」のミスリードが現在のメイドカフェ産業の縮小傾向を招き、実態はキャバクラやガールズバーといった風俗営業許可が必要な「接待を伴う飲食店」のシステムでありながら「メイドカフェに見せかけた」プチぼったくりカフェ&バーの乱立に繋がっているように感じます。
メイドカフェ論
以上、メイドカフェ文化を漠然と茫漠と考察した備忘録になります。ヴァルター・ベンヤミン(Walter Benjamin)であれば、断片群の草稿であっても後に『パサージュ論』(『Das Passagen-Werk』)のように形として結実するものになったのでしょうが、非才の身ゆえ備忘録止まりです。
ベンヤミンは『パサージュ論』の断片群である草稿をジョルジュ・バタイユ(Georges Bataille)に託し、ナチスの手から逃れるためアメリカへの亡命の途中、スペインのポルトボウで亡くなりました。自殺とも暗殺とも言われています。
思えばベンヤミンもバタイユも可能性の限りを尽くした「消尽した者」だったのであり、スピノザ、ニーチェ、カフカ、ゴダール、ベケットの系列も「消尽した者」、つまり今で言うところのオタクだったのかと思うと感慨深いものです。
未来を切り拓くのはオタク
現代の若者をはじめ(私を含めた)広い世代に支配的な「オタクに憬れる層」は「疲労した者」でしかありません(例えば『「オタク」になりたい若者たち。倍速でも映画やドラマの「本数をこなす」理由』)。時間効率(タムパ)やコスパを重視し、「ただ実現ということを尽くしてしまったのにすぎない」のであり、追い掛けているだけで現実は疲労しています。
しかし、「消尽した者」、つまりオタクは違います。オタクは可能性の限りを尽くすのです。嘗て秋葉原が世界有数の電気街だったのはオタクたちが可能性の限りを尽くしていたからです(現在の中国・深圳で感じられるような活力)。やはり未来を切り拓くのはオタクなのです。
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