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嘘ついてもいいんだよ、の魔法[自閉症の子どもとの言葉トレーニング]

先日、言葉のトレーニングをしていた時のことです。

発語はあるし、言われてることは全て理解しているように
見えます。たぶん・・私はそう見ています。

ただ、言語として表出してくるときに、
場に応じた適切な言葉でないことがしばしばあります。


この時は、シンプルな質問をして、
答えてもらう、っていうやりとりをしていました。

「お休みの日はどこかに行った?」
*「出かけた」
「誰と?」
*「パパと」
「どこに?」
*「公園」
「楽しかった?」

と聞くと、、

しばらく沈黙したあと、少し悲しそうな、?
少し怒りを感じているような、?表情になり、

*「もう行かない」と言いました。
そして、そのあとすぐに、
*「嘘つくのは悪い子!!」と言いました。


悪い子?と聞いたのではなく、命令的な、
自分に言い聞かせてるような・・
そのニュアンスはよくわかりませんでしたが、、

突然、話の文脈とは違うことを言うことは
以前からよくあるので、その時も気に留めず
次に行こうとしましたが、

私はふと、この子は「嘘をつくことは悪いことだ」
と、教えられたり思い込んでいるために、
マニュアル通りの話や報告をしないといけないと、
それ以外は嘘をつくことになるんだと、
真面目に思い込んでいるのではないかと思ったのです。

だから、本当はあまり楽しくなかったことでも、
パパと出かけたのに、「楽しくない」と言ってしまうことが
良くないこと、パパに気を使ったり、私にとがめられたりして

パパと出かける=楽しい〇
パパと出かける=楽しくなかった✖

「嘘をつく」ことになってしまい、本音を語ることを
悪いことだと思い込んでるように思えたのです。

だからよけいに、発語時に適切な言葉が
出てこないことになる一因になるんじゃないかと、
そう思ったのです。


で、初めて言いました。

「○○ちゃん、嘘ついたっていいんだよ、
先生も嘘つくときあるよ。
せんせい、小さいとき、お母さんに叱られるのが怖くて、
嘘ついたことあるよ、みんなおんなじだよ。」

この日は、こんな風に答えてみたのです。

その子は、きょとんとした顔をして聞いていました。
たぶん、こんなこと言われたの、初めてだったのかも??

「でもね、嘘つくことで、誰かに迷惑をかけたり、
あなたが困ることになる時は、嘘はつかないほうが
いいと思うよ。」

と言うと、静かに、考え深そうに聞いています。
そして、じっと私の目を見て、それきり、
穏やかな表情になり、落ち着いた雰囲気になりました。


きっと何かあったんでしょうね、それは
私は知る由もありませんが、適切な答えが出ないことで、
この子はまともに話せない、と思われて育って来てるけど、
この日の出来事に関して言えば、パパに気を使い、
誰よりも大人な思考だと思ったのです。


その日は来た時から落ち着かず、イライラしているように
見えましたが、それから急に穏やかな表情になり、
椅子に座り直すと、自分から筆箱を開けて鉛筆を握ったのです。

こんなことは初めてでした。
いつも私に促されつつやっていました。
よそ見も独り言も多かったのです。

でもこの日は、たくさん問題を解いたり、
やり取り練習をして、レッスンを終えたのです。

どんな風に感じたんだろ?

わかりません。
でも、もしかしたら、嘘ついていいんだよ、
みんな同じだよ、って言われたことで、
安心したのかな?

だって、ね、嘘って、子どもなら、大人でも、
思わずゆっちゃうときあるでしょう?
それが人間てもんでしょ?
そこからまた、いろいろ学んでゆくのです。

考えて考えて作った嘘が、誰かを救う時だってある。

この子は緊張が強くて、不安も強い子。
だからこそ、言葉の意味を額面通りに、
全てを体で受け止めているように感じました。

家庭が道徳教育の場、のみ、だったら、
(もちろん道徳教育は大事を前提に)
余計にこのタイプの子どもたちは、言葉の裏を知ることなく、
嘘も方便も知ることなく、きっと上手く使い分けられないだろうと、
教えられることもなく、心安らげる時間を見つけることが
難しくなってゆくのだと感じました。

そんなときもあるさ
そんなこともあるさ

人は自分には甘くても、つい、ちゃんとしつけようと
思うあまり、ジャスト!ピンポイント!のひと言を
子どもに投げかけてしまいます。
手っ取り早い方法だし。

でも、理解できない、と決めつけてしまったり、
医学書に書いてあるマニュアル通りの働きかけは、
余計に子どもの治してあげたい症状を、増幅させることも
あるのかもしれないと感じています。


それでいいんだよ。
ああ、なんてやりこい素敵な言葉なんでしょう。

いつもいつも、誰にでも使える言葉じゃない。

立ち向かってほしいとき。
心折れないでがんばってほしいとき。
投げ出さないでほしいとき。
そこが、あなたの踏ん張りどころなとき。

それでいい、とは私は言えないし言わない。


でも、この子は違う。
もうずっと長いこと、ホントのことを知らないできたから。

ずっと長いこと、受容って何か?考え続けてきたけど、
ほんのちょっとだけ、その端っこが見えたような気がしました。

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